大東文化大学百年史編纂 コラム Colum

Column 02
大東文化学院報国団雑誌班『東文』第5号(1943年9月)について

筆者:百年史編纂委員 谷本 宗生

 1941(昭和16)年3月、大東文化学院報国団が結成される。 学院報国団雑誌班が発行した雑誌『東文』は、第1~5号(1941~1943年)までの刊行が確認されているが、残念ながら大東文化大学図書館には『東文』第3号(1942年9月)が所蔵されるのみである。 なかでも、『東文』第5号(1943年9月)の構成をみると、寄稿・論文・歌壇・詩壇・報国団各班報告・編集後記である。 同号「編集後記」(高2 鬼頭有一)では、「今日程学生たるの責務の重大なるを痛感した事はないし又それだけ完全さも要求されてゐる。 将に、一旦緩急の時であつて今日立ち得ざればいづれの時に於てか立ち得んやである。」(79頁)とし、「而も現今時局の要望する報国団雑誌なるものも何等かの形に於いて国家に報ずるところがなければならない。」(同頁)と述べている。 戦局の足音も、いよいよ学院生らにも差し迫って来ている様子がうかがえる。 さらに、「報国団各班報告」の「射撃に関する所感」(射撃班 池田満輔)では、「我々は学生なるが故に安じて勉学にいそしむ事が出来得るのであるが現在危急存亡の関頭に立つ日本は加ふるに、即刻剣を取つて立上り喜んで身を君国に捧げる事を要求して居るのである。 我々は何時有るやも知れぬ空襲に対して不断の訓練を重ねて居るのでは有るが、更に一歩進んで、戦技訓練を益々練磨す可き時なのである。」(78頁)とし、「文を修め武を錬る事は吾々学生の責務である。 …射と御とは士人必修の武芸である。古代の射は弓あるが現代の射は銃である。 …殊に現代決戦の秋吾々学生は常に戦場に在るの心構へと訓練とを必要とする。」(同頁)と鼓舞強調している。 実際1943年10月には、学院本科一部の出陣学徒壮行会も開かれるのである。

ページトップページトップ