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まんなか学部 100周年特別企画 第1弾 “Daito書道”の一世紀 ~世代を超えて受け継がれる伝統文化~(前編)

2020.09.20 / 9,095PV

2023年の創立100周年を記念して、本学をまんなかから元気にアップデートしていく〈まんなか学部*100周年特別企画〉。第1弾は大東文化大学の代名詞ともいえる「書」について、本学の名誉教授であり大先輩でもある書家の田中裕昭(号:節山)先生を訪ね、書道学科の1期生で現在書道研究所の講師を務める藤森大雅(号:大節)先生とその歴史を振り返りつつ、現役大学生の北村優介さんを交え、学生たちの今と未来について語っていただきました。
 
*まんなか学部:本学の新タグライン。「真ん中に文化がある。」を体現するプロジェクト。

プロフィール

●田中 裕昭(たなか ゆうしょう) 号:節山
【略歴】
1939年 長野県下伊那郡喬木村生まれ
1958年 大東文化大学入学 上條信山先生に師事
1962年 文学部中国文学科卒業 私立成蹊学園奉職 中高教諭となる
1982年 文学部教育学科非常勤講師
1986年 文学部教育学科助教授
1992年 文学部教育学科教授
2000年 文学部書道学科教授主任
2004年 書道研究所所長(~2010年3月)
2010年 大東文化大学名誉教授
2015年 総理官邸に「隆熾」を掲額
現在:日展特別会員 読売書法会参事 謙慎書道会副会長 書象会会長 全国書美術振興会参事 全日本書道連盟参事 大東文化大学名誉教授 日本書道ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会委員 小・中・高等学校書写書道教育推進協議会実務者会委員
 
●藤森 大雅(ふじもり ひろまさ) 号:大節
【略歴】
1981年 静岡県浜松市生まれ
2000年 大東文化大学書道学科入学 入学後、田中節山先生に師事
2004年 文学研究科書道学専攻修士課程入学
2006年 文学研究科書道学専攻博士後期課程入学
2011年 文学研究科書道学専攻博士後期課程修了(博士・書道学)
2011年 青山杉雨賞受賞
2011年 大東文化大学書道研究所特任講師・専任研究員
2018年 大東文化大学書道研究所講師・専任研究員
現在:日展会友 読売書法会理事 謙慎書道会常任理事 書学書道史学会幹事
 
●北村 優介(きたむら ゆうすけ)
1999年 東京都大田区生まれ
2018年 大東文化大学書道学科入学
出身校:都立雪谷高等学校

青山杉雨先生のもと著名な講師陣と学生が池袋に集う

右から田中名誉教授、藤森講師、北村さん右から田中名誉教授、藤森講師、北村さん

──書道学科の開設が2000年(平成12年)ですから、ちょうど20年目、北村さんが生まれたのもその頃では?
北村優介さん(以下、北村):はい、今二十歳ですから同い年ですね。

 

──そして藤森先生は書道学科の1期生。その恩師であり長年にわたり大東文化大学の書道の発展に尽力されてきた田中節山先生をメインに、過去を振り返りつつ、未来を展望していければと思います。そもそも大東文化大学が書道に特化していったきっかけは何だったのでしょう。
田中節山名誉教授(以下、田中):校舎が青砥から池袋に移転し、青山杉雨先生が赴任されたのがはじまりです。

 

──田中先生が大東生になられたのはいつですか?
田中:昭和33年です。当時は日文(文学部日本文学科)と中文(文学部中国文学科)を含めて文政学部のみ。書道の講座は中文、日文で教員免許を取るために設けられていました。小さな校舎ゆえに自ずとまとまりができ、教室での授業に加え書道部での活動等、非常に楽しくやっていたのを覚えています。

 

──青山杉雨先生が求心力となり、著名な先生方や書を本格的に学びたい学生が集まってきたのですね。
田中:上條信山先生、松井如流先生、山崎節堂先生、宇野雪村先生、仮名の熊谷恒子先生など書道界でもトップクラスの方々、それから書道史や書学に詳しい真田但馬先生、今思えば最強の講師陣です。一方、先輩方も、西林昭一、足立豊、永井暁舟先生など素晴らしい方々がおられました。

 

──当時の書道部はどんな様子でしたか?
田中:私の時代は部員30人くらい。2年生の時には初の合宿を行い、また青山杉雨先生のご発令で全国書道展(2019年で61回、2020年は新型コロナウィルス感染症拡大防止の観点から中止)の運営に携わるなど、今につながる活動のきっかけはその頃はじまったといえます。

 

──教育の充実度は今も変わりませんが、文献や図書館など、当時の書道の環境はいかがでしたか?
田中:小さな学校でしたから施設は今とは比べものになりませんし、書道の資料も教員の私物です。篆刻の松丸東魚先生が、特別に書道部の講師として来てくださいました。そして中国の古い資料を数多く持ってこられて、教室で展示会を開いてくれました。学生には何よりありがたかったですね。のちに先生宅が火事に遭ってしまうのですが、書道部員が応援に駆けつけて水浸しの資料を屋上で干したり、色々なことがありましたが先生方のおかげで良い勉強ができたと感じています。

総理官邸に作品が!? 元総理大臣は田中節山先生の教え子!

安倍元総理から田中名誉教授へ色紙が贈られる安倍元総理から田中名誉教授へ色紙が贈られる 官邸に掲額された田中名誉教授の書作品官邸に掲額された田中名誉教授の書作品
──そのうちの一人、上條信山先生は田中先生の師匠とお聞きしています。
田中:私が通っていた長野の高校に上條先生のお弟子さんがおられて、「書をやりたいなら大東へ行け!そして腕を磨いて帰って来い」と言うんです。漢詩文を学べる中国文学科で単位を取り、長野県の教員採用試験にもパスした私は、卒業前に、これまでのお礼を伝えるために上條先生を訪ねました。すると先生は「本当に帰るつもりか?仕事なら私がなんとかするから東京で書を続けろ」とおっしゃったのです。
 
──それで成蹊大学の中学高校で教鞭を執ることになったのですね。
田中:私は残りましたが、当時は自分の故郷で教員になるケースがほとんどでした。そして教え子を母校へ送り出す、そんな好循環が大東の書を支えていたと思います。
 
──成蹊時代の教え子には元総理の安倍晋三氏がおられたそうですが。
田中:当時は安倍「くん」ですね(笑)。がんばり屋でしたがとてもおとなしい生徒さんでした。将来をたずねたら、「おじいちゃん(岸元総理)のようになりたい」と。そしたら本当になっちゃった。総理官邸に私の書をかけておきたいというので快諾しました。任期中はずっと飾られていたようです。
 
──成蹊での教員生活を経て母校へ戻られた経緯についてお聞かせください。
田中:青山杉雨先生から「そろそろ戻って来い」と言われて、19年務めた成蹊を離れました。「何を教えたらいいですか」とたずねると「自分で考えろ」と。そういう感じの先生でね、もうおまかせです(笑)。まだ書道学科ができる前ですからカリキュラムがきちんと整備されてはいませんでしたが、それでも書道の教員免許には対応していました。
 
──のちの授業やカリキュラムに通じる基礎的な部分を田中先生がつくられたのですか?
田中:私が本格的に関わっていくのは書道学科になってからです。その前は中文、日文両学科で書道教科教育法を教えていました。なにせ大物の先生ばかりでしたから、私はすみっこのほうで小さくなっていました(笑)。

日本初の書道学科の誕生!そのきっかけは卒業生の声

右から田中名誉教授、藤森講師右から田中名誉教授、藤森講師
──書道学科の新設へ至る経緯はどのようなものだったのでしょうか?
田中:外部、といっても大東の卒業生ですが、卒業後地元で教員をしている人たちからの声ですね。「大東でもっと専門的に書道の授業をなさったらどうですか」と。一部の国立大学を除き、書道を専門とする学科は皆無でしたから。
 
──社会的にも注目を集めたと思いますが、まさに当時ど真ん中の受験生だった藤森先生はどのように受け止めていましたか?
藤森大雅講師(以下、藤森):書道学科という名称を掲げる大学は日本初でしたから、やはりインパクトはありました。当時指導いただいていた高校の先生から、「大東大に書道学科ができるから目指してみたら?」と勧められて書道学科の存在を知りました。その先生も大東の日文の卒業生でした。
 
──ただ、先輩も卒業生もいない新学科への進学には不安もあったのでは?
藤森:既存の学部学科と違い先輩から情報を得ることはできませんが、もともと中国文学科、日本文学科の中で十分な書道の実績がありますから、そんな大学がつくる書道学科なら間違いないだろう、と。もう期待しかありませんし、両親も賛成してくれました。
田中:高校時代の彼は静岡でサッカーをしていたんですよ。運動部から書道へ転換する人はけっして稀ではなくて。面白いことに、そういう学生は体が強いせいか字もいいんです。
 
──ちなみに書道とサッカー、どちらが先だったんですか?
藤森:ほとんど同じくらいですが、サッカーは最初は嫌いでした。協調性を身につけるために親に無理矢理入れさせられたので。書道は自分の意志ではじめました。小学校の国語の授業で、上手に書けなかったのをコンプレックスに感じていて、それで親にお願いして教室へ通わせてもらいました。団体スポーツと書道はまったくの対極ですが、両者を並行して習い続けたのは自分にとって非常に良かったと感じています。次第に書道の奥深さと魅力に引き込まれていき、進路を決める段階で書道一本に絞りました。
田中:小さい頃から書道をやっていたというのは初耳です(笑)。
藤森:すみません(笑)。
 
──サッカーとの両立は頭になかったのでしょうか?
藤森:大学でもプレイしたい気持ちはありましたが、いざ書道学科に入るとそれどころではありませんでした。同期の仲間たちは皆上手だし、すでに専門的な知識やスキルを身につけて入学する学生も多く、スタートラインから違うというか、話についていけません。当初から講義内容は充実していたし、またほかの学問分野と違い、授業で習ったことを家に持ち帰って何度も練習したり、そういう時間が大事だったので、ボールを蹴っている余裕はないのが現実でした。
 
──書に充てる時間に関しては北村さんも同じで、東京23区在住にも関わらず学校の近くに部屋を借りて勉強しているそうですね。
北村:都内とはいえ通学にかかる時間が長いので、電車に乗っている時間がもったいないと感じて引越しを決めました。
 
──皆さん真面目というか、覚悟を決めて真摯に書に向き合っているのですね。
北村:僕も高校の時にサッカーをやっていましたが、一年次に書道の授業を担当していただいた先生が大東の卒業生で、そこで書道学科を勧められたんです。他大と比較もしましたが、やはり「大東が一番!」と思い進学を決めました。
田中:東京都は書道の教員採用がずっとありませんでした。そのせいもあってか、書道学科に進学する都内の生徒は顕著に少ない。ですから北村くんのプロフィールを見てびっくりしました。と同時に、都立から書道で送り出してくれたことを嬉しく思います。
 

 

※この取材は、新型コロナウイルス感染予防対策を施した上で行っております。

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