工藤保子准教授(以下、工藤):青木さんとアーティスティックスイミング(2018年よりシンクロナイズドスイミングから名称変更 以下、AS)との出会いについてお聞かせください。
青木愛さん(以下、青木):生後10か月の頃に地元・京都のスイミングスクールへ母親に連れてこられて、それ以来ずっと水の中です。たまたまASのクラスがあるスクールだったこともあり、お姉さんたちに憧れて自分もやってみたいと思うようになりました。
工藤:中学2年生の頃からは日本代表のヘッドコーチ・井村雅代さんが代表を務める「井村シンクロクラブ」に所属されましたが、その頃はどんな生活を送られていたのでしょうか。
青木:授業が終わったらすぐに京都から大阪のスイミングスクールに電車で通う毎日で、練習が終わるのが夜11時頃のため、両親が迎えに来てくれていました。試合前は学校を早退して練習に行くこともありました。9、10月がオフシーズンにあたるのですが、それでも週に5日は練習がありました。高校2年の頃、先輩との関係に悩んで、無断で練習を休み、友達と遊んでいたのですが、全然楽しくなかったのをおぼえています。あらためてASが自分にとって大きな存在なんだと気づかされましたね。
工藤:びわこ成蹊スポーツ大学へ進まれ、北京五輪に出場。大学では中・高の保健体育の教員の免許も取得されました。競技と学業との両立、苦労も多かったのでは。
青木:これまでと同様に大学でもASの練習を中心にした生活でしたね。五輪に向けた合宿が始まると、大学に通うことが難しくなり、1年半休学をしました。教員免許は入学する前からの井村先生との約束だったのでくじけそうになりましたが、諦めずに取得しました。