平成31年度大学院入学式行う

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 平成31年度大東文化大学大学院入学式が4月3日、板橋校舎で行われ、51人の新入生を迎え入れた。


入学生の内訳は、博士前期課程・修士課程=42人、博士後期課程=9人。

 

 新入生宣誓は文学研究科書道学専攻博士課程前期課程の村田萌さん。宣誓で「個人個人の目標と夢を実現するために、新入生一同、つねに、より高きものをめざして、日々の努力を怠ることなく精進し、輝かしい未来に向かって成長し続けることをここに誓います。」と述べた。

 

学長告辞・門脇廣文学長

大東文化大学大学院に入学された皆さん、本日はまことに、おめでとうございます。皆さんは、大学院入学に向けて、一生懸命に取り組んでこられたことと思います。その努力に対して大いに敬意を表したいと思います。また、皆さんを支えてこられた保護者の方々、関係する皆様には、心よりお祝い申し上げます。
さて、皆さんは本日、大東文化大学の大学院に入学した訳ですが、皆さんが学ぶ大東文化大学とはどういう大学なのか、そのことを、改めて認識しておいていただきたいと思います。これからの私の話は、大学院での2年間、あるいは3年間の最初の講義です。しっかり聴いてください。

◆歴史と伝統
まず、大東文化大学は、「歴史と伝統のある大学」です。大東文化大学は、1923年、大正12年に設立されました。したがって、今年で96年になります。あと4年で100周年を迎えますが、長い歴史と伝統のある大学と言って良いでしょう。
それでは、96年前、大東文化大が、どのように作られたか。皆さんは、知っていますか。私立大学は、普通は、創立者がいます。例えば、慶應義塾大学は福沢諭吉作った大学です。早稲田大学は大隈重信が、同志社大学は新島襄が作った大学です。仏教やキリスト教などの宗教団体が作った大学もあります。
それでは大東文化大学は、どうだったのでしょうか。実は、国会の決議によって作られた大学なのです。1923年、大正12年に、当時の国会である、「帝国議会」で創設されたのです。日本には、800近い大学がありますが、このような大学は他にありません。
明治維新が起こって明治時代になると、西洋の文化が津波のように押し寄せて来ました。そして、それに反比例するように、日本の文化はどんどん顧みられなくなっていきました。そのような西洋文化への偏重を匡し、「東洋の文化」を振興させるために、大東文化大学は設立されたのです。この伝統は、現在も脈々と受け継がれています。
このような大学は、世界中で大東文化大学おいて外にはありません。皆さんがこれから過ごされる大東文化大学は、そのような意味で「唯一」の大学なのです。

◆「大東文化大学」という名称について
先ほど、私立大学には、慶應大学、早稲田大学、同志社大学などのように、普通は、創立者がいると言いました。それでは、慶應大学の「慶應」とは何でしょう。早稲田大学の「早稲田」とはどういう意味でしょう。
「慶應」年号であり。「早稲田」は地名です。「年号」を大学名にした大学には、明治大学、明治学院大学、大正大学、昭和大学、昭和○○大学、○○平成大学、平成○○大学などがあります。「地名」を大学名にした大学には、東京大学、京都大学をはじめとして、国立、公立の大学が、ほぼ地名を大学名にしています。
しかし、大東文化大学は、そのどちらでもありません。それでは、「大東文化」という名前は何を意味しているのでしょうか。この名称こそが、大東文化大学の「特長」や「個性」を表しているのです。
「大東」とは、どういう意味か分かりますか。2500年前の中国に『詩経』という詩集がありました。「詩経」の「詩」とは「ポエム」という意味です。「経」は、「経典」という意味です。
この「詩」の「経典」である『詩経』の中に「大東」という言葉が出てきます。これは「東の遠い国」という意味で、中国の東にある国、すなわち「日本」を意味しています。日本の文化は、中国の文化に基づいて築かれてきました。すなわち、「大東文化」というのは、中国の伝統文化によって築かれた「日本の文化」という意味なのです。
最初に、大東文化大学の「建学の精神」や「教育の理念」について述べましたが、「大東文化」という名称には、この「建学の精神」や「教育の理念」が込められているのです。

◆規模
大東文化大学には、約12,000人の学生が学んでいます。800近い大学の中で、大東文化大学は、だいたい35番目に大きい大学なのです。
そして、大学には、今年度は、8つの学部があり、さらに、その中に21の学科があります。大学院も、8つの研究科と15の専攻あります。今日入学式を迎えた皆さんは、その中のそれぞれの研究科、専攻に所属したということです。
大東文化大学は、このように多くの学部、学科、研究科、専攻を備えた大規模な総合大学なのです。

◆「建学の精神」と「教育の理念」
さて、皆さんは「建学の精神」というのを聞いたことがありますか。「建学の精神」とは、大学を作るときに、その大学をどのような目的で作るのか、その考え方を文章にして記したものです。
私立大学には、どの大学にも、この「建学の精神」というものがあります。もちろん大東文化大学にもあります。大東文化大学の「建学の精神」は次のようなものです。
漢学(特に儒教)を中心として東洋の文化を教授・研究することを通じて、その振興を図ると共に、儒教に基づく道義の確立を期し、更に東洋の文化を基盤として西洋の文化を摂取吸収し、東西文化を融合して新しい文化の創造を目ざす。
まず「漢学(特に儒教)を中心として」とあります。この「漢学」というのは、中国の学問のことです。そして「東洋の文化を教授・研究することを通じて、その振興を図ると共に儒教に基づく道義の確立を期し」と続きますが、「儒教に基づく道義の確立を期し」の「道義」というのは、「人として行うべき正しい道」のことです。「モラル」のことです。
そして、その「モラル」を身に着け、「更に東洋の文化を基盤として西洋の文化を摂取吸収し、東西文化を融合して新しい文化の創造を目ざす。」と結ばれています。
大東文化大学の建学の精神は、このようなものですが、これを一言で「東西文化の融合」と呼んでいます。
このような「建学の精神」のほかに、もう一つ、大学にとって最も重要なものがあります。それは、大東文化大学は、その教育を通してどのような人材を育成するのかということについて述べた「教育の理念」というものです。本学の「教育の理念」は次のようなものです。
大東文化大学は、建学の精神に基づき、東洋の文化を中心として広く全世界の文化に関する諸学を研究・教授し、その振興を図ると共に、東洋固有の文化を尊重し、その伝統的美徳を身につけて豊かな人格の形成に努め、併せて国際的な視野を持ち、世界の文化の進展と人類の幸福の実現に寄与できる有為な人材を育成することをめざす。
まず、「大東文化大学は、建学の精神に基づき」とあります。「建学の精神」は、大東文化大学のもっとも大事なもの、言わば大東文化大学の「憲法」のようなものです。
そのような「建学の精神」に基づいて、「東洋の文化を中心として広く全世界の文化に関する諸学を研究・教授し、その振興を図ると共に、東洋固有の文化を尊重し、その伝統的美徳を身につけて豊かな人格の形成に努め」と続きます。この部分は先ほどの「建学の精神」の「東洋の文化を教授・研究することを通じて、その振興を図ると共に儒教に基づく道義の確立を期し」というところに相当します。
さて、ここからが大事なところです。続きを読んでいきましょう。「併せて国際的な視野を持ち、世界の文化の進展と人類の幸福の実現に寄与できる有為な人材を育成することをめざす」。ここで重要なのは、「国際的な視野を持ち、世界の文化の進展と人類の幸福の実現に寄与できる」としているところです。
本学の「憲法」とも言うべき「建学の精神」、それと、「建学の精神」に基づいて、どのような人材を育成するのかについて述べた「教育の理念」という二つの文章に込められているのは、一見、対立しているように見える次のような2組の考え方です。
(1)「伝統文化の尊重」と「新しい文化の創造」
(2)「伝統的美徳の修得」と「国際社会への貢献」
最初の一組、「伝統文化の尊重」と「新しい文化の創造」で言っているのは、「東洋、特に日本の伝統文化を尊重し、その上で、新しい文化を創る」ということです。もう一つの「伝統的モラルの修得」と「国際社会への貢献」というのは、日本の伝統的な「美徳」を身につけた上で、世界の文化の進展を図り、人類の幸福に貢献するということです。
このような「建学の精神」や「教育の理念」を持っている大学は、もちろん他にありません。本学のみが持っている突出した「特長」あるいは「個性」だと言えます。
皆さんは、大東文化大学の大学院に入学するに当たり、この「建学の精神」と「教育の理念」をしっかりと読み、自分は、このような特長や個性をもった大学で学ぶのだということを、改めて認識してほしいと思います。そして、そのことに誇りに思ってほしいと思います。

◆「プロフェッショナルになろう!」
最後に、大学院に入学された皆さん、私が皆さんに言いたいことは、次の一言です。
学位を取得して、プロフェッショナルになろう!
大学院は、高度に専門的な研究能力や知識を有した「プロフェッショナル」を養成する機関です。「修士」や「博士」という学位はその証しです。
それでは、「プロフェッショナル」とは、何でしょう。田原総一朗氏は次のように言っています。
好きなことをやるために金を出すのを趣味という。好きなことをやってお金をもらうのをプロという。だからプロは、ほかの人よりも抜きんでていなければならない。でも、その仕事が好きでないと、抜きんでることは難しい。
田原氏は研究者ではありませんが、紛れもなくその道でのプロフェッショナルと言ってよいと思います。氏の言葉は、プロフェッショナルとは何かをズバリ言い当てていると思います。また、私は次のように考えています。
どうやったら世間の期待を超えることができるだろうかと考えて取り組み、誰もできないレベルで突き抜けた人がプロだ。
また、プロフェッショナルとアマチュアの違いは、次のようなものだと思います。
1 最終的な結果を出すか、出さないか。
2 常に成長のための努力をしているか、していないか。
3 自分に対する評価基準が厳しいか、甘いか。
4 成果が出たときにすぐ切り替えるか、いつまでも喜んでいるか。
5 責任感があるか、ないか。
6 不調のときに休むか、休まないか。
このように述べると、プロフェッショナルになることは、決して容易なことではないと理解できると思います。単に大学の延長線上にあるものではありません。そこから突き抜けるものがなければなりません。「必ずプロフェッショナルになるんだ!」という強い思いや覚悟、気構えがなければできるものではありません。「必ずプロフェッショナルになるんだ!」という強い思いや覚悟、気構えを持って、研究を進めていってください。しっかり計画を立て、着実に学習、研究を進めていってください。
学位を取得するには、一日一日、大変な努力が不可欠です。その努力は並大抵のものではありません。しかも、その努力を日々継続しなければなりません。努力を継続して必ず学位を取得し、その道のプロフェッショナルになってください。
以上をもって私の告辞といたします。
本日は、ご入学、まことにおめでとうございます。