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国際関係学科国際文化学科

2015年度現地研修―イラン

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 2015年度のイラン現地研修は、8月30日(日)から9月21日(月)までの23日間、イスファハン大学での16日間の語学研修とペルセポリス・シーラーズへの3日間の国内旅行をいれ、9名の学生(女子4名:蕪木真梨弥・小林朱子・椎名真菜美・金杉 真紀子、男子5名:下酔尾啓史・横山弘尚・大瀬公佑・水野峻介・馬場統意)が参加、教員の原隆一の引率のもとで実施された。

  イスファハン大学での学生現地研修は、2011年度からはじまり、今回で4回目となる。この間、イスファハン大学との教育・文化交流協定も結ばれた。2014年度からは、第1回の交換留学生として小松峻介くん(2015年4月より、在イラン日本大使館勤務)が、2015年度は、第2回の交換留学生として山崎亮太くんが留学中である。また、2016年度の第3回の交換留学生として現地研修に参加した蕪木真梨弥さんの留学がきまっている。

 イラン国内では、保守穏健派のロウハーニー大統領を中心とする勢力が台頭してきた。米国を主導とする6か国との核問題交渉も決着し、国際社会に復帰できることを市民は歓迎していた。一方、経済制裁による物価高や失業などの不安定な経済状況から抜けだせないでいた。一歩前進だが諸手をあげて大喜びという雰囲気ではなかった。

 このような状況下、われわれは、9月はじめ、17世紀に「世界の半分」といわれたほど繁栄したサファヴィー朝の都、イスファハンでの語学研修をはじめた。
 大学キャンパスはイランで一番広く、宿舎のゲストハウスが改築中であったため、教職員寮(外国人留学生夫婦寮)に宿泊した。台所があり、ちょとした自炊ができ快適であった。大学近くにはパン屋、食品雑貨屋(小型スーパー)、果物屋などあり、食品の値段は安い。学食もあり困らなかった。もちろん、宿舎の便器が壊れ大騒ぎすることもったが。

 



ペルシア語授業は、宿舎から10分ぐらい歩いた国際交流センター内の外国人向けの語学センター棟にあり、午前中8時から12時半まで、途中、ティー・タイムをはさみ週5日間おこなわれた。4人の女性教員が交代で教えてくれた。東京外大からの留学生3名、ドイツからの女子学生が2名など外国人留学生も多い。

 午後からの自由時間は、外大生が案内してくれた。市内にある世界遺産のイマーム広場、ザーヤンデルード川にかかるサファヴィー朝のシィオーセ・ポル橋、イマーム広場、イマーム・モスク、大バーザールなど観光名所に遊び、また、バスの回数券を買い、自分たちの足でも歩けるようになり、ジョルファ地区(アルメニア教徒地区)のしゃれたカフェに出入りする学生もいた。

ホームステイ先での食事

 イスファハン滞在中、今年度の新しい試みはふたつあった。
 ひとつは、イラン人家庭での全員9名の1泊2日のホームステイであった。宗教上の慣習から異教徒、外国人、とりわけ、男性が一般家庭にホームステイするのはちょと難しく、これまでためらっていた。今回は、参加学生の蕪木真梨弥さんのお父さんがイラン人ということもあり、相談したところ、快くテヘランにいる兄弟の知りあいのイスファハン在住のザーレヤン家族に連絡をとり、実現したのである。学生たちにとってはたいへん、よい経験であった。

 もうひとつは、中世のサファヴィー朝の都イスファハンの繁栄は、そこを貫通するイラン最大の内陸河川であるザーヤンルード川からの水のおかげである。その水源である最上流域のシャハレ・コルドは、イスファハンから西に100キロメートル以上離れたザーグロス山中の高度2000メートル近くにある。ここは、イランでも最大級規模を誇るバフティヤリー遊牧民地域である。バスで、このザーヤンデルード川に沿って上流域から水源域まで行き、周辺を散策した。ここでは、国際関係学部の民族資料室用に、バフティヤリー族の民族衣装を購入するという目的もあった。途中、運良く、結婚式や葬式に出会い、写真に記録することができた。

シーラーズ郊外パサルガダエにて

 



 
 イスファハン大学での16日間のペルシア語授業と市内にある文化・史跡ツアーなどを終え、9月17日の朝、500キロメートルほどの南の古代遺跡があるシーラーズ地方に向け3泊の国内旅行に出発した。安全第一を考え、移動はすべて専用中型バスを使った。

 イスファハンを後にして、最初に向かったのは、パサルガダエ(ペルシア人の本営の意、2011年世界遺産に登録)である。紀元前546年頃にキュロス大王(2世)もとで建設がはじまったアケメネス朝の最初の首都。敷地は広く、日差しは強かった。キュロス2世の墓、宮殿跡、ゾロスター教神殿跡、それに、ソロモンの牢獄跡の小山に登った。

 二番目は、ナグシェ・ロスタム(ロスタムの絵の意)。アケメネス朝歴代の王が眠る岩壁に掘られた王墓群、サーサーン朝王シャープール1世が馬上から捕虜にしたローマ帝国皇帝ヴァレリアヌスの右手を持つ姿のレリーフ「騎馬戦勝図」が有名である(写真参照)。この日は、イランでもっとも有名な観光遺跡であるペルセポリス前にある「ペルセポリス・イン」に宿泊した。

 



 旅行2日目は、午前中、歴代アケメネス朝の宗教的な都、即位式やノウルーズ(イラン暦正月)の祭儀に使われ、世界遺産でもあるペルセポリスを見学した。

 午後は、引率者の友人のバーグ(ザクロの樹の庭園、プール、小屋)に招待され、鶏とトマトのキャバーブ(炭焼き)を楽しんだ。その日の夕方は、古都シーラーズの市内中心地のホテルに宿泊した。

 翌日は、まる一日、シーラーズ市内観光についやした。テヘランが東京、イスファハーンが京都としたら、シーラーズはさしずめ、奈良だろうか。「バラと詩とワイン町」(イランの2大詩人、ハーフェズの故郷)と呼ばれた古都シーラーズであり、引率者がイラン革命前に4年ちかく留学滞在した場所であり、懐かしかった。
 
 9月20日の夜半(夜明け前)の3時に市内ホテルを専用車で出発しシーラーズ空港に向かった。早朝の5時半のQR-477便でドーハに向かった。ドーハで半日以上、ホテルで休憩した後、9月21日の夜半のドーハを出発し、約11時間の飛行で同日の夕方6時に成田に到着した。全員、元気で安全に戻り、ほっとした。

 出発する前に、学生たちが、というより一般の日本人が抱いていたイランという国(テロ・戦争・核)の政治的きな臭さ、イランの人びと(イスラーム・シーア派教徒)の宗教的熱狂さに対するイメージは、23日間の旅で大きく変わった。これが現地研修のほんとうの目的である。 
 まさに、「百聞は一見に如かず」である。ペルシアの諺にも同じような表現がある「shenidan key bovad mānande didān」(聞くことは、いつになったら、見ることと同じになるだろうか)と。

2016年5月16日 原 隆一  記