市・市場:スーク(市場)

市・市場:スーク(市場)

小笠原良治

エジプトへ渡って私が最初に案内された場所がカイロの中心街にあるアタバ市場であった。そこは天蓋のある食料品市場だったのでそこに並べられている数々の品物の強烈な匂いがこもっており、私にとっては今までに経験したことのない激臭であった。思わず「うわーっ、息がつまりそうだ」と小声で叫んだのを今も忘れない。よく見ると天井の梁から皮を剥がれ尻尾は自然のままの牛や羊がその部分の大半を紅でそめられてぶら下がっている。尻尾はそれが何獣であるかを示し、紅色は死獣や病気のものではないことを証明しているのだと言う。それら大きな肉塊の下には皮を剥がれ、うらめし気な面相の牛や羊の頭や、それらの四肢が並べられている。少し移動すると、今度は生きた鶏、鳩、うさぎが椰子の葉柄で編んだ籠の中でうずくまっている。買い主が現れればそれら小動物はそのまま持ち帰られるか、あるいはその場で処理されるのである。その売場を過ぎると魚類市場である。ナイル河で捕れたものも地中海産のものもある。彼らは魚を生で食べることはないので、多少鮮度が落ちたものでも安ければ買っていく。そのコーナーを過ぎると香料が大きな袋に詰められて置かれている。カミン(ひめういきょう)、コスバラ(こえんどう)、フィルフィル(胡椒)その他名前の分からない種々の植物性香料が原形のまま、あるいは粉末状で所せましと並んでいる。その中の或る種のものがまた強烈な匂いを放っているのである。野菜売場も賑やかである。名前を挙げればきりがないが、山積みにされているにんにくや玉ねぎも私を「うっ」と言わせた強い匂い源の1つであることは確かである。

庶民にとってスークはなくてはならない場所である。特にエジプトのような高温の地では物が腐り易いので、人々は足しげく市場に出かけ、長持ちのするものは別として、毎日のように食料品を購い、買い溜めはしないと聞いている。

かつてアラブの市場といえば、そこはあらゆる品物の売買はもちろんのこと、文芸を競い合う場所でもあった。

聖地マッカはアラブ全体が崇拝していたカアバがあり、その神殿には各部族が信仰する数々の偶像が安置されて定期巡礼が行われ、それに伴う定期市も設けられたのである。それはイスラームが興る以前からのことであり、半島の人々はもちろん近隣諸国からの巡礼者も数多く見られた。その中にはユダヤ教徒、キリスト教徒、拝星教徒(サービー教徒)なども混じり、また、ただ巡礼一途に訪れる者、巡礼と商業を兼ねている者、己れの宗教の宣教を目的とする者、詩や雄弁を誇るために来る者、あるいは市という環境でのみ解決し得る問題を抱えてくる者など、実に多様であった。

往時のマッカの人々は巡礼の月が冬季、または初春、あるいは秋の終り頃にあたるよう希望していた。それはこの季節が巡礼に適した気候だからというのではなく、市に出される野菜、果物などの農産物その他、半島の人々の生活に必要な商品の多くがその季節に出回るからであった。そこで彼らは「ナスィーウ」(延期、遅延)という規則を置いて、太陰暦の特定の月、特に巡礼の行われる月を太陽暦で行い、市の開設が彼らの望みの時季に来るようにしていた。

クライシュ族は巡礼者のために祭礼や、いくつかの市場を設けていた。それら市場の中で最も知られ、かつ大規模のものがオカーズ市場である。このオカーズという名は、今日、サウディアラビアの新聞の1つに残っている。

時に、この市場はズー・ル・カアダ(11月)の中頃から20日間、マッカ郊外にあるアラファート山の近くに開設された市場で、宗教上の祭祀、商業の祭礼、売買取引が行われたほか文芸に関する催しも行われていた。アラブは古来文芸に対する関心が深く、詩人や雄弁家がこの市に集い、詩を朗詠し、熱弁をふるったのである。大詩人アン・ナービガトッ・ズビヤーニー(604年頃没)のために特別な建物が造られ、そこで気鋭の詩人たちが各自の作品を披露し大詩人の意見を仰いだのも、この市場においてであった。そして優秀な作品は市で公表され、その詩人は名声を博したのである。また医者や哲学者たちも市場の特設場で研究発表を行い激論をたたかわせていた。

クライシュ族はこのオカーズ市場とは別にズー・ル・マジャーズ市場も開設していたが、こちらは巡礼が終わるまで開かれていた。これら二大市場のほかにも半島の各地に市場があった。特に知られているのは、ナジド北部のドゥマト・ル・ジャンダル市場、ハイバル市場、ヤマーマ地区のヒジュル市場、オマーンのスハールダバー市場、ハジャルのムシャッカル市場とシャハル市場、ハドラマウト市場、サンアーウ市場、アデン市場、ナジュラーン市場で、それぞれ決まった期日に開催されていた。

さて、再びエジプトの市場に話を戻そう。エジプトではほとんどの地区に市があると言ってよい。それらは比較的小規模なものが多く、食料雑貨店、肉屋、八百屋、果物屋などの専門店が集まっている所や、衣類や布地、工芸品、貴金属などを専門に扱っている市場もある。みやげ物の市場もカイロやアレキサンドリアのような大都会にはいくつかある。その中でも外国人に良く知られているのがアズハル大学の近くにあるハンハリール市場である。ここは車の通らない狭い道が縦横に入り組み、その路に面して大小の店がひしめき合っている。一旦ここに入ってしまうと、慣れた者でなければそう易々と元の入口には戻れないような市場であるが、時間をかけて一店一店見て行くと結構楽しめる所でもある。冷やかしに店に入っただけなのに紅茶やコカコーラのサービスを受け恐縮したのを覚えている。

比較的規模の大きな市場で1つの町全体のためのものもある。そこには多分、その市場に行かなければ手に入れることが出来ないような品物が売られている。例えばタイル、ペンキ、塗装用具あるいは薬の類である。カイロのゴーリーヤ市場は薬剤、薬草で、アル・モスキー市場は布地や繊維製品市場として良く知られている。それらの市場に行けば思いの品物が入手できるので、かなり遠隔の地から多数の人々が訪れて常時混雑している。

ところで売買で最も精力を費やすことは、アラブの言う「ムマーカサ」という行為である。これは「ムサーハマ」とも言われ、いわゆる値段の交渉である。売り手も買い手もいかに己の思う値段で取り引きを成立させるか、腕の見せどころというわけで目の色が変わってくる。例えば200円くらいの価値の物でも売手は最初、500円だと吹っ掛けてくる。買手は品物の粗探しをして100円の品物だと言う。両者の言い分にはかなりの開きがありこれでは取り引きは成立しない。買い手がその品物をどうしても欲しい場合、ここに「ムマーカサ」が始まる。買い手は自分が主張した最初の値段に少し上乗せした金額から徐々に徐々にそれを上げてゆく。一方、売り手のほうはいわゆる“吹っ掛け値”から少しつつ少しつつ下げてゆく。そして両者共にまあ良いであろうという線で落ち着くというわけである。この交渉は大変に疲れる。日本人のように短気ではこの話し合いはまとまらない。しかし彼らはこの交渉を楽しんでやっているのだと言う。まあまあそんなに焦ることはない、ゆっくり話し合いましょうというわけか、交渉の途中でコーヒーや紅茶を運ばせてくる者もある。

この「ムマーカサ」は条約を結ぶ時のイギリスのやり方を学んだものだと彼らは言う。しかし、本当はイギリスの方が彼らとの付き合いで学んだものではなかろうかと言う人もある。エジプト旅行などの際の現地の案内人のほとんどは、特定のみやげ物店に客を連れて行く。言わずもがな、ガイドとその店との間には契約が結ばれており、ガイドは売り上げの何パーセントかをリベートとして店から得ているのである。

さて、市場からは少々遠のくが、全く無関係とも言えない行商人たちの話である。彼らはそれぞれに、食料品、飲み物、衣類、小間物などを商っており、「ムマーカサ」の点では市場に店を構えている商人たちよりも上手である。彼らは通常、市場より品物を安く売っている。彼らの大半は税金を収めていないし、店の賃貸料、電灯代、それに使用人なども無いからである。行商人の多くはサイーディと呼ばれるエジプト南部の出身者で「ムマーカサ」は極めて巧みであり、かつ滑稽であると言われている。

アスルの市(午後4時頃に立つ市)

長い間エジプトに滞在したが、私はこの国に日本の所々方々で見られる朝市のようなものは知らない。しかしアスルの市、つまり日が西に傾きかける頃になると地区によって市が立つのである。これはエジプトの「夕市」とでも言えようか。これについてアハマド・アミーン(1886-1954)は次のように述べている。

マンシーヤ地区にあるわが家の近くに、毎日、アスルの刻になると市が催された。それでこの市は「アスルの市」と呼ばれていた。市はスルターン・ハサン寺院の裏側あたりにあり、多種多様の品物が売られていた。或る者は敷物の上に折りたたみ式のナイフ、鋏、缶切り、包丁などを並べ、諸々の鉄製品の試し切りも行っていた。また別の場所では家禽や家畜の内蔵を商い、またその近くでは玉子や肉を売っている者、あるいは銅細工をならべている者もあった。ざわめきの中に、大声を上げて人々の呼び込みに懸命なのもいる。少し歩を進めると、そこにはマットレス、毛布、ベッドを売っているし、その側には刃物鋭ぎもいる。これら雑踏の中でトランプによる手品をしている者があった。その札さばきは実に巧妙で、そのからくりを見抜く者は極く希であった。この市はアスルの刻になると立つのだが、諸々の道具、食品類、家庭用の敷物などを取り扱い、さながら小見本市の感を呈していた。私は品物は買わなかったが、この市の商人たちを次々と巡るのが大変楽しみであった。特にラマダーン月のアスルの刻は心が弾んでいた。

さて、次は私のエジプトでの体験談である。

4月の終りか5月の初旬のころであった。大学からの帰路、急にオレンジが食べたくなって、バーブッ・ルークの果物市場へと足を向けた。この頃になるとオレンジもそろそろ終りになる時なので、良い品があるかどうか不安だった。ところがさすが名の知られた市、あったあった、未だ可成の量のオレンジが荷車に積まれ、いわゆるオレンジ色に輝いていた。私は市の中を一通り下見した後、その中の品物の良さそうな荷車に近づいた。そして「ムムキン・ウナッキー」(選ってもいいですか)と尋ねてみた。通常は「ラー」(だめだ)の答が返ってくるのだが、何と不思議、売り手は「タファッダル」(どうぞ)と言ったのである。私は、あれっ、ちょっと変だなとは思ったがあまり深く考えず、早速袋をもらい、選りすぐったものでそれを満たした。売り手にそれを渡すと、では秤に掛けてくると言って彼は奥に入った。私はこの時はルンルン気分であった。程なくして戻って来た彼は「はい、2キロだよ」と言って袋を差し出した。私は代金を払い汗を流して家まで2キロのオレンジを運んだのである。

部屋に入ると直ぐ床にオレンジをぶちまけた。するとどうであろう、良い物は上部の数個だけで下の方には小さな品物が詰められていたのである。「やられたっ」と思ったがどうしようもなかった。彼らの店には予め不良品を1キロあるいは2キロ詰めにし、上部にのみ立派な品物を置いた袋が用意されてあるのだ。そして客が選りすぐって満たした袋と用意されたものとを巧みに交換してしまうのである。これは「タブディール」と呼ばれる詐欺行為の一種である。このことがあってから、私はどんなものでも買った品物が私の手に渡るまでは、それから絶対に目を離さないようにしている。

このような不将な行為にあったのは私1人ではない。聞くところによればパレスチナの学生もやられ、腹の虫が治まらないので文句をつけに行ったそうである。しかし相手は強かな商人である。ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うで将が明かず、結局、騙された方が“愚鈍”であるとして、周囲の野次馬からも軽蔑され嘲笑される結果となった、と話していた。

もう1つ述べよう。

パレスチナの学生アブド・ル・ハリームと歩いていた時の話である。道端にたくさんの西瓜を並べ「安いよ、うまいよ、他にないよ」と巧みに自分の品物を宣伝している商人に出会った。西瓜の時季にしては未だ少し早いかなと思われる頃であった。アブド・ル・ハリームが「買っていこうか」と言った。私は珍しかったので直ぐ同意した。彼は日本で見られる冬瓜のような形をしたものを1つ手に取った。それには既に中身に達する程に縦に長く包丁の切り込みが入れてあった。これは西瓜を買う時の彼らの習慣で、その裂かれている部分を上方にして、つるの付いていた所とその反対側の尻の部分を両手でつかんで中心方向に力を加えると、裂かれている部分が少々口を開き中がのぞけるのである。もちろんそれは西瓜が熟れているか否かを目で確かめるためである。友人は少し開いた西瓜の腹の中をのぞき「うん、ハムラ、ハムラ」(赤い、赤い)と言ってその代価を支払った。私と彼は交代で汗を流して彼の部屋まで運んだ。早速、彼は避け目の入っている部分に更に深く包丁を入れて真っ二つに割った。するとどうであろう。紅状の液体がたらたらと流れ出し、その後には乳白色の未熟の断面が表れたのである。アブド・ル・ハリームは「ナッサーブ」(詐欺師め)とはき出すように言い、それを捨ててしまった。つまりこれは商人が客のいない所で西瓜に包丁を入れ、熟れていないものには紅粉を挿入しておいたのである。イスラームではこのような不正行為をかたく禁止しているのだが、このような行為が跡を絶たないのが誠に残念である。

次に市場での買い方についてである。これは「ムマーカサ」の所で若干ふれている。大切なことは、欲しい物があっても直ぐ手を出さないことである。同じような品物は他の店にもあるかもしれない。それに、同じ品物と思っても良く見ると上出来不出来もあるし、店によって値段もまちまちである。そこで、先ず市場全体を見て歩きしっかりと品定めをするのだ。そしてこれぞと思う品物のある店に入って、ゆっくりと焦らずに「ムマーカサ」をするのである。この場合、相手に「この客はこの品物に大分御執心だな」と悟られないことだ。買い気十分と見れば商人は値段を下げないばかりか、かなり高くふっかけてくる。あまり高いことを言うようだったら「では他の店で見てみよう」と言って、ゆっくりとその場を立ち去ろうとするとよい。すると大抵は「ちょっと待て、お前はいくらなら買うのか」と言ってくるだろう。その時が腕の見せどころ、うまくすれば最初の言い値の半分くらいにはなる。この場合、頃合いを見はからって手を打つことだ。あまり欲気を出すと相手も売る気をなくし、「どうぞお引き取り下さい」と言われかねない。「中庸を行えば最も安全である」と賢人は言う。

初出誌情報

山田 稔1996「市・市場:11.スーク(市場)」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第6号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.149-153.

お読み下さい

ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

市・市場:目次