市・市場:タイの市場

小泉康一

「市場」(あるいは市)はタイ語で、タラート。俗に、ラートともいう。タイ北部では、カートである。地方の町では、市場を中心にして市街区が拡がり、この市街区域をタラートと呼ぶこともある。

市では生鮮食料品のほか、各種の日用品が商われる。その規模は、村内にたつ小さな市から、農民が町に出掛けて行ってたつ、かなり大きな市まで様々。例えば、町の中央市場なら、大きな建物(多くは木造)の中にきちんと売場がおさめられているが、近郊から野菜などを担いで来た人、魚類を売りに来た人が集まって生産物を売る、青空市場もこれには含まれる。タイの市場はにぎやかで、市場の周りの道にも露店がひしめいている。

タイ全国に無数の市がたつが、地域の中心となる町には、比較的大きな市場がある。地方では、大体が町の商業地の一角にあり、近くに近距離・長距離のバスターミナルが隣接している。いわば町の中心だ。バンコクではドンムアン国際空港への途中に、北方線、東北線の長距離バスが発着するタイ最大のバスターミナルがあり、「モーチット市場」(タラート・モーチット)と呼ばれている。

タイでも市場は、交通の要地に発達したが、以前は川が大事な交通手段であったために、川沿い、水路沿いにできた。現代でも川沿い、そこには町があり、華僑、インド人、ベトナム人等の異邦人が商売をし、川から離れると田舎である所も多い。今では道路が発達し、市場は水路べりから、町の真中の便利な場所に移動。市場は陸上交通の分岐点に位置するようになった。

売り手と商品構成

それぞれの地方で好まれる商品の種類・性格は、市場での商品構成をみればわかる。地域差は、とくに食品の場合、顕著である。一例をあげれば、北タイの主食は、モチ米をむしたおこわ。わが国の納豆のようなトゥア・ナオという醗酵食品。東北タイの淡水魚を原料とした、塩辛。中部タイのナム・プラー(魚醤油)とカビ(海産の小エビに塩を混ぜてつき砕き、ペースト状の塩辛にしたもの)。南タイのブ・ドゥ(魚醤油)。しかし、こうした地域差をもつ伝統的食生活も、現在では運送手段の発達で、独自性が薄れつつある。

売り手も、タイの山岳部の少数民族(彼らは平地のタイ人市場に山の産物を売る)から、南タイのイスラム女性(彼らは頭に布を巻きつける)まで多様。主に食品系を扱うタイ人から、日常雑貨、電化製品、貴金属、衣類等を扱う土着の中国系タイ人。はたまた、バンコクのパフラット衣料市場に行けば、迷路状の路地の両側が、衣料品店ばかり。商品が、店内からあふれ出ている。商人の多くは、インド人である。

いろいろな市場

市場を歩き、実際に目で見てみると、それこそ商品の豊富さ、多様さに圧倒される。商品は山積み。鼻先には、豚の肉片がぶらさがる。歩道一杯に拡げられた色の乱舞、雑然さと鼻をつく臭気。売り手は大半が、女性。陽気で騒がしい。狭い小路に、商いのエネルギーが発散する。こったがえす人の群れがまた、すごいエネルギーを吐き出す。

食品は、生鮮食料品はいうまでもなく、乾物、各種調味料などから、非食品の日常雑貨、例えば各種衣類、小間物、飾り、装身具、土産物、電気製品、あげくは骨董からペットまで大量、かつ多様。バンコクの大きな市なら、銀行の出張所もある。

(A)生鮮市場(タラート・ソット)

……野菜、香辛料、果物、漬物、肉類、カビ、魚介類、カニ、タガメ、昆虫……。魚類はタライに、タガメ類は大きめのボウルに入れられている。果物屋は、多種多様な熱 帯の果物を、ひとつひとっ、こぎれいに積み重ねて販売している。ここでは、価格は、客との交渉次第。様々な臭いにあふれ、歩く所は水でじめじめしている。タイの市場では、お惣菜屋が多い。1食分をプラスチックの小袋に詰めて、売っている。ここでおかずを買って帰るだけではなく、ご飯を注文して、食事もできる。そのほか、市場には多くの食べ物屋があり、手軽に麺類、飯類の食事が楽しめる。買い物客が立ち寄り、食事をしながら一休みする。少女がきびきびと働き、どこも繁盛している。

(B)乾物市場(タラート・ジィーサーン)

……生鮮市場に対し、生地、布など乾いた物を売る市場。各種アクセサリーの店、衣服、布地の店がある。大小さまざまなネックレス、金装飾品が陳列ケースに入れられて、壁面まで一杯に飾られている。客は熱心に品定めをし、店員と値段の交渉をする。商品の価格は表示されているが、値引きはふつう。

(C)朝市(タラート・サーイ・ユットあるいはタラート・卜一ン・チャウ)

……朝早い時間だけ開き、朝おそく(サーイ)なると商いをやめる(ユット)市。地方の町の市場は主に、早朝、人が集まって売買し、朝おそくなれば、みんな帰ってしまうことが多い。市の多くは露店で、路上市が盛んである。売り手は近在の農家の女性。野菜、果物が主で、いつも同じ場所で、同じ物が売られている。

(D)水上マーケット(タラート・ナム)

……フローティング・マーケットともいう。昔の市場は、水上市場。舟と舟の間で取引をした。客も小舟を操って、その場へやって来た。農家の女性が自分の田畑、農園でできた、野菜、果物を運んで来て、売りに出した。朝の早い時間に売買が行われ、一寸遅くなると市は閉じられ、帰宅する。今ではあまりみられなくなったが、物珍しさから、バンコクの近郊では、観光名所になっている所がある。

(E)定期市(タラート・ナット)

……土、日あるいは特定の曜日だけに開かれる市。この点を除けば、先の生鮮市場、乾物市場と何ら変わらない。バンコクの「王宮前広場」(サナーム・ルアン)のサンデーマーケット(毎週土、日に開催)は有名だったが、タイ経済の発展で、市当局により、中心部からはずれたチャトゥチャクに移動されて久しい。この「チャトゥチャク市場」はバンコク北部に位置し、今も変わらず、週末市が開かれている。多くの人々が、買物を楽しみにやってくる。タイでは土、日は仕事が休みで、男性、女性、大人、子供が連れだって見物がてらやってくる。買物をする人、品物を見に来る人、人を見に来る人、散歩がてらの人、旅行者…等々、動機は様々。西洋人も少なくない。人々は商品を物色し、移動をしながら、買物をする。この市がたつ広場は、平日はがらんとした何もない空間だが、それがたちまちのうちに、人が1日かけても全部を見きれない、大市場に変身してしまう。週末になるとあらゆる露店が集まってくる。ありとあらゆる商品が市場にあふれ、若者、観光客が多い観光名所となる。売り手はタイ全土からやって来る。車と道路網の発達で、こうした大規模な週末市が可能となった。商人はバンコク市に対して、場所を借りる手続きをとり、金曜の夕方ともなれば、売場へ物を運び込む。土曜の朝、ただちに商売ができるようにするためである。実際の話、品物の中には値段が、他の場所より決して安くはないが、品数があり、自由に物が運べるので、人々は買物にやってくる。そして炎天下、品物を見て歩き、疲れた時、ちょっと一休みして、ほっとする場所が、日傘をかけて、冷たい清涼飲料水を売っている露店である。

(F)路上市・路上販売(屋台)

……市場の周辺の路上には、衣料品や雑貨を扱う露店が出る。そのほか、人が集まる所には大抵、食物や飲物の露店が出る。常設の店舗のあいだの通路には、日傘の下で、タイ料理の揚げ物のスナックを商う露店や、地面に野菜を並べた売り手でにぎわう。狭い歩道の両側に、びっしりと露店が並び、路上市はどこまでも切れ目がない。麺類や軽い食事を出す食べ物屋。彼らは、簡単な腰かけとテーブルで営業を開始する。売り場をせり出した、色とりどりのお菓子売りの屋台。果物を切り売りする天秤棒かつぎ。竹のかごを前後にして天秤棒にかけ、ムギワラ帽子で売り歩く女性は、伝統的な女行商人の姿である。バンコクのオフィス街の裏通りなどでは、ふだんはテーブルと椅子を建物の壁沿いに積み重ねておき、昼食時にのみ、ビルからはき出されるOL達相手に、店開きする屋台がある。歓楽街バトポン小路では、観光客目当てに、夜だけ店開きする、土産物売りの露店もある。但し近年は、市当局が路上販売の規制を強め、これらの露店は表通りから、裏通りへと場所を移している。

(G)スーパー、ショッピング・センター(ス一ン・ガーンカー)

……最近では市場にかわり、スーパーがバンコクの新興階級に利用されている。一日の務めを終えた人々がスーパーに立ち寄り、こぎれいにパックされた正札付きの食料品を買う。他方、ショッピングセンターの成長も目ざましい。以前はバンコクの中心部にあったものが、郊外へ郊外へと店舗を広げている。例えば、バンコク郊外のラートプラオには一大ショッピングセンターがある。以前はただの水田地帯だったが、大衆消費社会の出現で、今や大商業地区となった。テナントビルには様々な専門店、高級品店が入居。ビルに入ると、吹き抜けの大空間をエスカレーターがひっきりなく、人々をのせて、上下している。快適な冷房、清潔で整然としたビルの中には、音楽が流れ、人工光線が絶え間なく移動し、あたりを照らしている。客は若い人々が多く、カップルの姿も見い出せる。品物には商札がつき、固定した価格で販売されている。タイではまた、1980年代半ば以降、デパートの普及がめざましい。日系のデパートもバンコク市内に本店、支店をあわせ、かなりの数があり、地元資本のセントラルデパート等と顧客へのサービスで、競いあっている。

道路網の発達と市場制度の整備

ここで話題を転じ、現実の市場から、より抽象的な商品の流通市場(マーケット)の話をしよう。

タイでは道路網の発達で、地方都市が急速に成長をしている。その背景には、1960年代初めから70年代半ばまでのベトナム戦争の時、タイが米軍の兵姑基地となり、「友好道路」(フレンドシップ・ハイウェイ)が建設され、道路網が急速に整備されたことが要因の1つとしてあげられる。道路はバンコクと地方の町、村を結ぶ利便さを高めた。物資の流通が進み、その結果、地方都市は地域の経済の中心として、問屋、仲買人、小売商が集まり、大きな市場が形成されてきている。こうして、地方都市の発達は、タイの経済発展に一役かっている。

例えば、近年バンコクへの農業生産物の発送で、著しい発展を遂げた、東南部タイのチョンブリー県では、県庁所在地の市場が最大で、県全体をカバー。次いで各町の市場があり、末端に村の市場がある。バンコクを頂点に、村の市場を末端とする、階層構造の市場制度ができたことで、地方の経済が活性化している。

チョンブリー県では、食肉用の鶏や鶏卵が生産農家から直接に、村の人々(消費者)や村の雑貨店に売られる一方で、チョンブリー市や他県から集荷にやって来る仲買人達に売られている。生産物は、町に住む地元の商人が、ミニトラックで、近隣農村の農家をまわって集荷、バンコクに拠点をもつブローカー(仲買人)、輸出業者に売り渡される。養鶏農家に、鶏の飼料や薬を供給する店舗の主人は、仲買人を兼ね、奥地の村々やバンコクに、肉や卵を売りさばいている。鶏、アヒル、果物、野菜などの県下の農業生産物は、チョンブリーの仲買人や問屋を経由して、町の市場やバンコクに流通する。

魚介類も同様である。漁師から集荷して、仲買人はチョンブリーの水産加工業者に、魚を供給している。チョンブリーの仲買人は県内ばかりでなく、バンコクや他県の仲買人と直接、取引をして全国規模の商業活動をしている。このようにチョンブリー県内の農・漁村の産物は同市を経由することが多く、他方バンコクと県下の市場の取引の多くも、問屋や仲買人の集まる、チョンブリーを経由して、行われている。チョンブリー市は、地方経済の中心である。

町の市場を経由せず、生産者と消費者や、村とチョンブリーやバンコクの市場に直結する商業活動もある。長距離トラックの運転手は、プローカーでもあり、アヒルの卵を村で買い集めては、バンコクの問屋に運んでいる。小規模の工場で製造された、その土地の物産品(例えばナム・プラー)の一部は、問屋を通さず、干魚などとともに、道端、ドライブイン等で、土産物として売られている。

おわりに

タイ全土の地方都市では、市場制度を経済基盤として、中核となる都市が成長してい萬、これらの地方都市は、国家のすべての機能が菊中するバンコクと、伝統的な生活の場である農〕村との中間にあって、タイの近代化の中で、重尋要な役割を果たしてきている。さらにこうした1都市は、経済発展を土台に、バンコクの文化を地方に伝播する役割をも果たしている。

その反面、急速な近代化は、地方の伝統文化の破壊という、深刻な問題を生じているのも事1.実である。新たな国民文化の形成という荒波の嗣中で、タイの人々の生活は、急速に変化している。

〔参考文献〕

  1. 石毛直道、ケネス・ラドル共著『アジアの市場』、季刊民族学36、財団法人・千里文一化財団、1986年。
  2. 友杉孝、『図説・バンコク歴史散歩』、河出書房新社、1994年。
  3. 石井米雄監修、『タイの事典』、同朋舎、1993年。
  4. 冨田竹二郎、「タイ日辞典』、養徳社、1990年。

初出誌情報

小泉康一1996「市・市場:6.タイの市場」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第6号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.126-130.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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