主食・肉食の変化:エジプト

林 武

エジプトは19世紀後半から棉花の輸出で注目を浴びることになった。それが理由で、といってはいいすぎになるが、スエズ運河の開通で「インドへの道」の最重要拠点になったことが、放漫財政による外債増加を招いてしまうのだが、世界一の長繊維棉花の産地だったこと、つまりランカシャーの繊維工業にとって「生命線」になったことで、かえって植民地化されてしまい政治的独立に難渋する。

モノカルチュアを強制された植民地としては珍しいことながら、エジプトは食糧生産の困難にすぐさま直面する事態にはいたらなかった。それは、食糧生産と棉花生産とは季節が違うからである。

典型的なエジプトの食事の基本

その点が、幸運といえば幸運であった。しかし、エジプトでは何が主食かと聞かれると、ちょっと困ってしまう。表1の簡単な数字からすぐにわかることではないけれども、棉花とタマネギはヨーロッパでは高級品の扱いを受けている。意外なのは、世界第3位の米輸出国ということだろう。第3次世界大戦の直後には日本もエジプト米を輸入したほどである。というのも、1930年代の初頭に、この国は人口増加による食糧不足が深刻化したとき、反当たり収量の多い日本種の作付けを始めた。それが今日にまで伝わっているのだが、味はエジプト人の好みにあわないから、最下級米の値がつけられている。エジプトの調理法にはインディカ種があう。

小麦の生産が意外に少ないのに驚かされるけれども、そしてイーストを使わないパン(ホブズ)が毎回のように食卓にはのるけれども、カロリーが高く(味もよい)のは豆類であって、いわばこれが(農村と都市下層の)人々の主食といってよい。

だから、小麦は高所得層の主食であっても、低所得層にとってはそうではない、といえるだろう。タマネギ(カイロの近郊で素晴らしいのができる)はもっぱら欧州向けだが、都市上層人口は舌がとろけそうに美味いオニオン・スープを楽しんでいる。また、大都市の下町では煮豆の呼び売りが繁盛している。これがほんとうに安くて美味い。この煮豆に感激してエジプト農業問題に特化していった研究者を私は2人も知っているが、1人は日本人である。それほどなのがエジプトの「フール」である。

ところで、米のことに話を戻すと、ジャポニカ種の米は収量こそ多くとも「味が悪い」ので、これは貧乏人の食べ物である。なみのエジプト人は口にしない。在留日本人の多い地区では、ちゃっかりした商人たちがバカ高い値で売りつけて、「いい米ですよ奥さん」などといっているが、実は買いたたいたあげくの高値販売だから、いい商売になるに違いない。

米の作付けも、したがって、ジャポニカ種が多くはないと記憶している。

表1 主要農産物(1982年)

エジプトは3毛作まで可能で、大方は2毛作地帯といってよいだろうが、多毛作になれば、その分だけ地力の消耗が激しいから、肥料の消費が増えるのは道理である。したがって、エジプト農村では金肥の投入が先世紀末から始まっている。

肥料と農薬の大量投入が食べ物の味を悪くしていると、カイロ下町の老人から聞いたことがある。そして、その人によれば、エジプト人の日常に欠かせないのは、ホブズと紅茶だという。紅茶がエジプトに入りだしたのは19世紀中頃からだが、日本のお茶の入れ方とは違って、お茶の葉を煮出すのだから、色も濃いし、カフェインも強い(酩酊効果もある)。それに水牛のミルクを入れて飲む。だから、紅茶の中毒になる。農民の中には紅茶にいれあげて、大事な農耕用の水牛まで手放したという話は何度も聞いたこ とがある。

エジプト、ナイル川上流の都市、ルクソールの果物屋さん

その紅茶と(トルコ)コーヒーの消費に所得格差があるのかどうかはよくわからない。紅茶のほうが歴史は浅いことは確かである。というのは、イギリス人が棉花輸入の代金を支払うかわりに、インドの紅茶を売りつけた、と力説する人がいる。しかし、それならばまことに格好の商品をイギリス人は見つけたものだ。農民に中毒者を生むほどに好まれたのだから。

初出誌情報

林 武 1991「主食・肉食の変化:4.エジプト」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第1号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.114-115.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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