主食・肉食の変化:スリランカ

柳澤雅一

椰子の樹しげる緑の島

スリランカはインド亜大陸の南の端に、小島の点在する、小舟で渡れる狭いポーク海峡を隔ててぽっかりと浮かんでいる、西洋梨の型をした緑の小島である。面積は6万5500k㎡であるから、わが国の北海道よりはやや小さい。地質は、インド亜大陸のデカン高原の片割れでかなり古く、国士の大部分はカンブリア期以前の結晶石からなっている。火山活動による地質の若返りがないことと、モンスーン性気候による高温多雨のため、熱帯性降雨林の性質を有しており、表土は緑に覆われているにもかかわらず、土地は一般に痩せている。

定期市

人口は、1988年の推計では約1659万人で、1k㎡当たりの人口密度は約240万人となり、他のアジア諸国に比して少々混みあっているが、人口増加率は1.4%と、近隣諸国に比してきわめて低率である。アジア諸国で深刻な問題となっている急激な人口の都市集中こそ生じていないが、そのかわり、住民の74%を占めるシンハリーズ(仏教徒)と18%を占めるタミール(ヒンドゥー教徒)の間の民族抗争が続き、世界のジャーナリズムをにぎわせ、国内の経済生活面にも多大の損失を与えている。

スリランカの食生活

本題にはいるが、スリランカの住民の伝統的な食習慣は今日でもおよそ次のようである。

主食は主に米である。1日に2度ないし3度の食事をとるが、朝食には、ご飯ではなく、米粉を練って平たく円形状にして焼いたものや、麺状にしたもの、あるいは小麦粉を小さな球状にしたものなどに、カリー汁をつけて食べているようである。昼食は1日の主な食事であり、米をご飯にしたり、ココナッツ油や香辛料を加えた焼飯に、野菜のカリー妙めなどを加えた2~3皿のおかずをそえて食べる。ときどきは魚、魚介類を香辛料を加えて焼いたり、煮たりしたものがだされるが、肉類はあまり口にしないようである。シンハリーズは仏教徒であるせいか、菜食主義者ではないとしても、動物を食用とすることは少ないようである。肉類や魚をよく食べるのは、回教徒、キリスト教徒である。

カリー野菜に使われるのは、茄、南瓜、最近では、タマネギ、ジャガイモ、豆類、大根、ホウレンソウ、オクラなど、日本でよくみられる野菜類である。夕食はよく眠れるように腹を満たす程度で、比較的軽くすまされるようである。料理の味つけ、料理法は、一般的にいえば、南インドのそれにきわめて似ている。

日本人のスリランカ旅行者が、ホテルや町のレストランで大満足感を味わうのは、プラーウンやロブスターの姿焼き、魚介類のカリー妙め、ウコン色をした野菜まぜの焼飯、パインアプル、マンゴ、種々のオレンジ等の豊富な熱帯果物、それにセイロン茶というところだろうか。近海の浅瀬でモスリム漁民がとってくるロブスターについては、日本への輸出が急増して資源が枯渇し、価格が騰貴し、現地住民の口には入らなくなったという不平をよく聞かされた。

ゴムの樹液採取

食事は家族でとるが、一般には家族の長老、男子が優先され、女子は控え目にしているようである。日本人に比べると男女ともかなり健啖家である。インドのカースト規制ほどではないが共食のタブーは意識されているようである。面白いのは、結婚関係にない、あるいは結婚していない若い男女が人前で向かい合って食事をすることは、性関係を類推させ、狸褻感をみる人に抱かせるらしいことである。人前でスプーンで相手に料理を運んでやったりしたら、周囲の若者は興奮のあまり、金切り声をあげるかもしれない。

統計によれば、平均的なスリランカの栄養摂取量は1日当たり2,215カロリー(穀類511g、芋・澱粉94g、野菜47g、肉類7g、牛乳・乳製品72g、魚介類39g)で、穀類が主であり、肉類の摂取量が少なく、動物蛋白質の不足を魚介類で補っている状況がみてとれる。そうじて、近隣のインド、パーキスターンと比べると、栄養水準は良好といえる。スリランカでは、インドにおけるように、親代々からの世襲的栄養不良で、すっかり痩せおとろえた体型となってしまった人をみかけることはあまりない。

ランチになってしまった

さて、以上のようなスリランカ人の食生活に異変が生じ始めた。昔からの主食である米にかわって小麦の消費が急速に拡大し始めたことである。その原因としては、一つの偶発的な要因と、経済活動の拡大にともなう生活様式の変化とが考えられる。前者の要因とは、スリランカが独立を達成したあと、しばらくの間は、国内の食糧供給が大いに不足したときがあった。そのときに、アメリカから、PL480により大量の小麦が提供されたのであった。スリランカでは小麦は産出せず、パンを食する習慣はほとんどなかったが、アメリカからの小麦の提供により、パン食の習慣が次第に広がってきたのである。

他の原因とは、スリランカで経済開発が進行する過程で、大規模な灌概工事やその他の建設工業が開始され、都市周辺には工場建設が進み、行政機構も膨張していった。人々は、伝統的な生活態度を離れて、工事現場で働いたり、工場労働者となったり、役所勤めや会社勤めに職を求めるようになった。そこで困ったのは昼食である。いちいち昼食のために自宅に戻るわけにはゆかない。それに、スリランカの伝統的な家庭料理は、原料から時間をかけて料理するのでおいしいのであるが、時間がかかる。上層のサラリーマンは、インドのボンベイなどでみうけるように、弁当を家庭から運ばせることもできようが、一般にはそうはゆかない。そこで急速に広がってきたのが、朝食、昼食時のパン食である。

もちろん、パン食は添加副食を入れればお金もかかるが、彼らには今や現金収入がある。小麦粉の消費の増加は、1980年代に急速に増加し始めた輸入量から歴然たるものがある。現在では小麦の輸入量は年間150万トンにも達し、10年前の4~5倍に達している。近代化が進み、生活慣習もかわり、所得の上昇してゆくにつれて、この傾向はさらに強まってこよう。

初出誌情報

柳沢雅一 1991「主食・肉食の変化:3.スリランカ」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第1号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.102-104.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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