葬儀:中国―ウィグル族・カザフ族の葬式

トホティ

〔ウイグル族の葬式〕

世界のどの民族も、国籍、民族、宗教を問わず、生まれてからあの世へ行く過程はともに同じである。しかし、1人の個人がこの世に別れ を告げておさらばし、自分の一生を終える際のやり方は、千差万別、多種多様である。たとえば、風葬もあれば、土葬もあるし、水葬もあり、火葬もある。各人にとっての葬礼は、この世からあの世への最後の儀式となる。

ウイグル族も他の民族と同様、この悲しい別れの儀式―葬礼をとても大切なものとみなしている。

ウイグル族の葬礼は一般的にはイスラーム教の規範に沿って行われ、土葬である。臨終後ただちに埋葬し、2日を越してはならない。最も よいのはその日に埋葬することである。いくら遅れても3日を越えない。臨終には、親類縁者がより集まりイスラーム経典の読経を行う。子供が死者の床前で遺嘱を受け、イスラーム僧がそれを証明する。イスラーム僧は“神水”(清水)を死者の口につけ、“天に召される”ことを祝福する。そのあと、イスラーム教のイマムが死者の身を清める。死者が女性の場合は、親類縁者か友人またはイスラーム寺院所在付近の中年の 婦人が死者の身を清める。

清水で遺体を3回洗い、白い布で包む。男子に対しては3枚の布で包み、女性に対しては5枚の布で包む。その上に香料をふりまく。そして、遺体をjinaz(これは木で作った遺体安置用具で、日常は寺院内に置かれている)の上に安置する。男たちが遺体を寺院に担いでいく際に、遺族はsatikaを行う。satikaとは人生の最後の仕事で遺族が金銭や財をイスラーム僧とその他の人、一人ひとりに分け与える。これは死者が生前にやり残した義務をこの瞬間にやりとげたことを示す。このあと、起立して礼を行う。この間、イスラーム僧は読経と祈疇を続ける。立礼が終了してから、遺体を墓地に運ぶ。

墓穴は大体深さ、長さが各々2m、幅が1m、墓穴の内壁にさらに横穴を掘り、ここに遺体を埋葬する。埋葬前にイスラーム僧は読経を続け る。すべての会葬者が土を一握りずつ、遺体の上にかける。これは死者との永遠の別れとなる。埋葬地に行ける人はすべて男性で、女性は行くことができない。埋葬後、盛った土の上に木の枝をさす。これが墓としての指標となる。

遺族と近親者は腰に白帯を巻く。遺族から会葬した親類縁者友人すべてに白い布が配られる。これは死者の遺族、親戚、友人であるあかしを示す。会葬者の中の婦人(死者の妻子、娘を含む)は白い腰帯以外に、さらに白いずきんをかぶる。彼女らは墓から遠く離れたところか家の中で出棺と葬送の人々を泣きながら送る。金持ちの家の場合は出棺の際、墓場まで行く途中の道まで人々が出て悲しみの歌を歌う。

死者が一家の家長か、あるいはその家の重要人物であれば、遺族は40日間、理髪もできないし、頭に櫛を入れることもできない。また、歌舞音曲のたぐいに参加することも不可能である。こうして、40日間喪に服し、死者に無限の哀悼を表する。

死後、3日目、7日目、40日目、一周忌に、イスラーム僧を呼んで、供養をする。親戚友人も招待され、この供養は死者を祝福するNazir式と呼ばれる。この他に、遺族は各記念日、祝祭日は墓参に行く。しばしば親戚や友人を招いて死者に祈疇し、祝福する。

ウイグル族の死者の弔いは大体以上である。しかし、個別の特殊事情では異なる。例えば、自殺者。自殺は神であるアッラーに対立した人とみなされる。何故なら人の生命はアッラーにより与えられたものと考えられているからだ。そうであれば、人の生命すなわち霊魂を持ち運ぶのもやはりアッラーのみである。だから、自殺は一種の不吉な現象とみなされている。もっとも、ウイグル族には自殺者が極めて少ない。

〔カザフ族の葬式〕

“葬”という漢字は、字体からその意味が分かる。上に草冠、その下に“死”という字がある。草葉の陰になることだ。“葬”は1人の人間にとってみれば不祝儀ではあるが、この地球上に生きるかぎり、西洋人であろうが東洋人であろうが、有神論者であろうが、無神論者であろうが、何人も経過しなければならない人生最後の儀式である。

カザフ族は霊魂不滅という観念が普遍的に存在する。人は死後、霊魂が自体から離れて存在すると考えている。このため、葬儀をことの他 重視し、葬儀は1つの体系を成している。

カザフ族の葬儀はイスラーム教と密接に関係している。基本的にイスラームの教義に沿って行われる。イスラーム教では礼拝日(金曜日) に死ぬことは死者にとって幸運であるとみなされるし、最大の祝日である犠牲祭の期間に死ねれば、死者にとってはなおさら大きな幸福であ ると考えられている。

病人が危篤に陥ると、近親者に通知される。呼吸が止まってから布で遺体を包み、家の右上方に安置される。死者の下顎が開かないように、白い布でしばる。死者専用の白い布か衣服で遺体をくるみ、死者の顔を西に向けて安置する。遺体は家に一両日置かれ、その間霊魂を守る灯がともされる。

近親者、隣り近所の人々が寄り集まって、葬儀の協議が行われる。カザフ族の中には、葬儀は死者の家の事であるばかりか集落全体の事柄という認識がある。料理など裏方をやる人、葬儀の伝令、イスラーム教僧を迎えにいく人、さらに別の人は埋葬地の穴堀りをするし、葬儀用品の調達にはしる。

  1. 葬儀の飛脚
  2. 死亡したら必ず親族に飛脚が出され、通知して歩く。口頭による通知は言語明晰でなければならない。例えば、近親者に訃報を伝える場合、飛脚の人が直接通報してはいけない。必ず言語明晰な男子の代表に頼んで通知してもらう。彼は近親者に通知する際には、まず、格言や古い言い伝えで娩曲に死亡したことを伝える。近親者でなければ、通知人は玄関で馬からおり、中に入り、椅子に坐り、これも比喩的に諺などで訃報報を伝える。

    カザフ人の間で使われる死亡通知の言葉は、一種独特の表現形式である。集落の中で上品な言葉を使える老人が数人をつれて、死者の親戚友人宅に行き、彼等を直裁的な死の通告で驚かさないよう、暗示的な隠語を使う。たとえば、

    柳の樹が折れ、金(きん)でも接ぎ合わせられず、
    水源豊かな水が、銀色の川に入れども水は澄みません。
    人は死者と共に後を追いて死すことはできないばかりか、
    死者の眠りをさますこともできません。
    このような言葉で、死亡が伝えられる。伝え聞いた人々は泣き崩れるが、その間一緒にお伴した者たちが上記のような格式の高い言葉で、彼等を慰める。

  3. 悔やみの言葉
  4. 家長が亡くなったときはその妻は直ちに白い布をかぶり、哀悼歌を歌う。男の子、女の子も母親と並んで、泣きながら伴唱する。哀悼歌は特定の哀調を帯びた歌で、内心の悲しみを表現するものだ。その内容は亡くなった家にもたらされた不幸を編り込み、死者の生前の生き方と人柄が高い品格であったことを歌い上げている。この哀悼歌が歌われ始めると、悲しみの雰囲気が極限に達し、人々の涙をさそう。

    死者の親族とその集落の人など死者に近い人々から哀悼の祈りを行う。死者の家から1kmも離れていても、この号泣の声は聞こえる。こ の範囲の家々では、女性は家の中で年齢順に前の方から坐り、哀悼の意を表す。男子は家から出て玄関の前でやはり年齢順に並び、年長者が最前列に立ち、哀悼歌を歌う。

    お悔やみに来た親族はまず玄関で、男子と一緒に整列し、一人一人抱き合って泣く。その後に家の中に入り、遺族の女子と抱き合い悲しみ を分かち合って泣く(但し、息子の嫁と男たちは抱き合うことはしない)。そのあと、会葬者の男子は死者に別れを告げる。彼等は悲しみに慟哭したあと、遺族に慰めの言葉をかけ、いつまでも悲しんでおらず、主人亡きあとの将来の困難を解決していくよう励ます。

  5. 浄身(遺体の清め)
  6. イスラーム教の習慣によると、人は死後必ず身を清め、俗世のチリやホコリを洗い落とし、あの世に行くべきだとする。死者が男子であれば、父方の従兄弟と友人が遺体を清める。女子であれば、親族か友人の年長者が身を洗う。一般に清水で身体を3回洗う。ある地方では45個の壺で遺体を洗うところもある。

    遺体を清めたあと、白い布でくるむ。男子は三層に、女子は五層にくるむ。女子の胸部と頭はさらに別の白布で包む。同時に、死者の手脚 の爪を切り、髪を櫛でよく整える。男子はさらにヒゲをきれいにそってそれを毛饒で包み、棺の中に入れる。

  7. 贖罪儀式
  8. 身体を洗ってから、死者のために贈罪の儀式を行う。"瞭罪"とは死者にかわって生前にやり遂げられなかったアッラーへの礼拝義務を完成させることを意味する。死者に替わる家畜を縄で縛り、玄関まで引いて来る。イスラーム僧が“"購罪を行う者”に向かって「死者のために1年の斎戒、礼拝及びその他の義務を」と述べ、手にした縄を“贖罪する者”に渡す。彼はそれを受け取り、再びイスラーム僧に渡しながら、「その任を果たす」と述べる。これは、死者の年齢によりこの行為を繰り返す回数がきまる。子供の場合は年齢が低いので、この贖罪儀式をやらない。死者に贖罪を行うためには身寄りのない者に何頭かの家畜を与えなければならないし、イスラーム僧に喜捨を与えねばならない。

    贖罪儀式が終わってから霊柩をパオに移し、入口のすだれをパオの上にたてる。これがこのパオに臨終を終えたばかりの死者がいることを 示す。

    霊柩をパオの外に出してすぐ、Jinazという葬礼の儀式に入る。会葬者は粛然として起立し、黙?し、イスラーム僧が読経する。その内容は アッラーの庇護を願い、死者の安息を祈る。読経が終わると、遺族は会葬者に向かって「死者は生前どのような人であったか。」と問う。会葬者は異口同音に、「お人好しで善良な人だった。彼(彼女)が天界に入り、安らけく眠ることを祈る。」と答える。これが終わって埋葬地に遺体を運ぶ。

  9. 葬送
  10. カザフ族の葬送は土葬で、死者が出てから墓穴を掘る。一般に、父または祖父の墓地のそばにする。墓穴は2種あり、一つは長方形の直坑、長さ約2~2.2m、深さは1.5~2m、幅は0.8~1m。もう一種は垂直に長方形を掘る。これは穴底近くの西壁にもう一つ横長の遺体を置けるくらいの穴を掘る。普通は一つの墓穴に一人を埋葬する。特別な場合は直坑の両脇に一つずつ穴を掘って、二人を埋葬する。

    Jinazが終了すると直ちに葬送の儀に入る。遺族、親族、会葬者が皆葬送する。農業地帯では馬車で霊柩がひかれ、牧畜?はラクダが引く。遺体には毛布が掛けられる。遺体を墓穴に入れる際には頭を西に向け、脚は東とする。(イスラームの聖地メッカに向かわしめる。メッカとは 西方という意味。)顔をメッカに向けるのだ。そのあと、僧侶が読経する。読経が終了後、丸木を穴底から穴壁に向けて曲げる。その上を木の枝や麦ワラで覆う。兄弟、子供、親戚の順で土を覆う。次に会葬者が覆土し、墓穴全体を埋める。

    墓の外形はいくつもある。一つは墓穴の上を土石でこんもり盛土するもの、また、長方形の木箱式のもの、周囲が正方形の土塀のもの、これは高さ1.5m、長さ2.4mである。墓の前には木碑か石碑を立て、表面に死者の姓名、年齢、死亡年月日を記す。男子の墓には木製か鉄片で作った三日月形の標識をつける。

    埋葬が終了すると、会葬者に礼の印として白布が配られる。葬送の時には、死者の遺族は泣きながら葬送の歌を歌わねばならない。その歌詞は自作である。

  11. 哀悼
  12. 1949年以前、人の死後、死者の家の右側に弔い旗を立てた。旗の色は年齢により厳格に区別されている。若者の場合は赤、中年は半分赤、半分白、老年では白旗か黒旗。外の者が一目見れば死者の年齢がすぐわかる。一周忌ののちにとりはらう。

    埋葬後、死者の遺族は死者の身体を洗った場所(一般には家の左側)に灯をつける。多くは綿花の芯に羊の油を浸した灯である。一日目は一皿、二日目は二皿、…七日目に七皿の灯をつける。以後は増やさず、40日目に40皿の灯をつける。

    死者が男子の場合、彼が生前に乗った馬のたてがみや尾の毛を編むか切り落とす。この馬をTola Atと呼び、何人も以後乗馬してはならない。死者の墓で祭祀するとき、死者の子供か近親者がその馬を墓に連れていったりする。また、引っ越す時、死者が生前に持っていた馬鞍をつけ、死者の生前の衣服などをそこに乗せ、また生前に使った馬の鞭をつけ、喪の旗をたて、死者の遺族が引っ張って引っ越しする。

    死者の遺族は死者に対し、長期に渡り、日常的に祈りを捧げなければならない。朝日が昇るとき、夕方陽が落ちるときである。一周忌まで喪に服すが、友人などが初めて弔いに来るときにも祈りを捧げなければならない。内容は大部分死者の魂の平安を祈るもの、生前の幸福、人格、情操、社会的家庭内の地位などに関するものである。

    祈りを捧げるとき、女子は死者に対し、特別の呼称で扱われる。例えば死者の一母親を子馬駒や孔羊カステラ、死者の妻を伴侶、死者の女姉妹を棟梁などなど。

    死後一年間は、その家で婚礼や宴会を開いてはならない。女子は40日間家から出てはならない。男子は外出できても歌の会や“娘の尻追い”などの娯楽活動をやってはならず、このようにして喪に服す。

  13. その後の祭祀
  14. 埋葬後一般に3回の供養がある。初七日、40日忌、一周忌。初七日は埋葬した日から7日目に行う。当日、遺族親族は死者が乗っていた馬を引いて墓に行き、供物を捧げ、祈りを捧げる。そのあと、供えた食品や葬式に使った残り物全てを墓の上に置く。家に戻ってから死者の身体を清めた場所に七皿の灯をつける。親族や隣近所が家の中に入り、祈りを捧げる。

    40日忌は初七日と基本的に同じである。違いは死者の身体を清めた場所に40皿の灯明を点灯することだけである。

    一周忌が最も大切である。親族、友人、集落の人々に来てもらう。当日、まず、死者が生前乗っていた馬をパオの前まで引いて来る。死者 の妻と子供がその馬に涙の別れをする。そのあと馬は屠殺される。家の前に立ててあった喪の旗が引き下ろされ、竿は折られる。続いて屠殺 された馬の肉とその他の家畜の肉で来てくれた客をもてなす。

    若し、死者が貴族、集落の長老、牧主であれば、一周忌の祭祀では、競馬、相撲、羊遊びなどが催される。

    一周忌では甕に油をたっぷり注ぎ、点火する。炎が天にとどけという含意である。

    一周忌の供養終了して以後、部屋に掛けてあった死者の衣類を取り下ろし、一周忌の供養を司会した長老に与える。彼は死者の衣類と死者が生前に乗っていた馬の頭、4つの馬蹄、馬の皮を墓に持って行き、供える。カザフ族はイスラーム教を信仰する以前に、死者が生前に乗っていた馬、衣服、弓矢などを一緒に埋葬する習慣があった。イスラームを信仰するようになってから、それまでの習慣の一部はイスラーム教 の教えに反するため、徐々に伝統的な葬式の習慣は変化した。

    一周忌には、死者の墓をつくり直す。円形あり、長方形あり、八角形あり、名望家のものはレンガでアーチ状に作られるものもある。

1949年以後、カザフ族の伝統的な葬式の方法はしだいに簡素化されるようになった。しかし、主要な順序、内容、形式は依然として残っている。

初出誌情報

トホティ 1993「葬儀:2.中国―(2)ウィグル族・カザフ族の葬式」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第3号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.139-144.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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