葬儀:インド・ヒンドゥ教徒

篠田 隆

〔「古典的」な死生観〕

どの時代、どの地域の人々にとっても死は逃れがたいものである。思想、信条、宗派、性別などにかかわりなく、人間にとって死は普遍的であるが、葬儀や死にまつわる俗信には、少なからぬ地域差や時代差がみられる。

インド人口の約80%を占めるヒンドゥ教徒の死生観は輪廻や解脱といった宗教思想を核としている。輪廻とは前世の業(カルマ)が現世での再生形態を、現世での業が来世での再生形態を規定し、この循環すなわち輪廻は一定の方法により解脱しない限り永遠に継続する、という思想である。無限の再生は魂の最大の苦痛であり、解脱には(1)知識の道(2)行為の道(3)信愛の道、の三方法があるとされている。知識の道、行為の道は社会の特定階層・集団に事実上限定されるのに対して、熱烈な信仰のみを要件とする信愛の道は一般大衆に開かれた解脱の方法となっている。

輪廻の機構は、例えば、以下のように説明されている。茶毘にふされる死体から抜け出た魂は中空をのぼり、月に到る。現世の行為により解脱できる魂はそこで輪廻の環を断ち切るが、解脱できない魂は地獄での責苦のあと再度中空に戻り、雨となり大地に降りそそぐ。雨は植物に吸収され、それをはむ人間や動物の体内に入る。これらが交合することにより、輪廻の一環である新たな生命が誕生する。

魂を循環するものと捉える観方は他地域にもみられるが、ヒンドゥ教の際立った特徴は、輪廻が業思想を媒介としてカースト制度の維持に利用されてきた点にある。カースト制度の維持には、カースト間の混血化とカースト固有の世襲的職業からの逸脱が大きな障害になると考えられたので、紀元前後に成立したといわれる「マヌの法典」には、これらに対する禁止条項が多数見いだされる。例えば、バラモンの殺害者は動物の胎に入り、異カースト間の交合者は悪霊となり、世襲的職業の放棄者は悪しき輪廻をへる、と記されている。

〔葬儀の基本形〕

葬儀の形態はヒンドゥ教徒の間にあっても、地域、カーストや時代に対応して若干の偏差があるが、同時に共有する宗教観に基づく共通性も大きい。この点を確認するために、西部インド・グジャラート地方における支配的農耕カーストであるパーティーダールの葬儀(19世紀末)を以下に再現してみよう。

死期が近づくと、家族の司祭であるブラーマンが呼ばれ、床のそばにギー油の灯火が置かれる。死にゆく者はヴィシュヌ神に祈りを捧げ、司祭に現金と衣類の他に雌牛一頭を喜捨する。他のブラーマンには、現金と米、豆、塩、腐食した釘とシャベルが与えられる。親族と知人が床を訪れ、死期が迫るとラーム神の名を唱える。親族の一女性が玄関を清め、人ひとりが横たわる範囲に牛糞をしきつめ、死の床の準備をする。その上に、ゴマ、大麦の種子、トゥルスィー樹の葉およびダルバ草をまき散らす。死にゆく者は頭髪を剃られ、微温湯で体を清められ、眉にゴーピーチャンダン(黄色土)で印を付されてから、頭を北側に向け横たえられる。ガンジス河の聖水、若干量の金、銀、サンゴ、真珠などがメボウキの葉とともに口中に詰められる。

息が途絶えると、最も近い親族が死者の魂を呼び戻すべく叫び声をあげる。同カーストの人々が死者の家を訪ねる。男たちは死体を焼場に運ぶための準備をし、女たちは号泣する。数名の遺族は市場に行き、竹竿、ヤシ綱および死者が女性の場合は赤色の絹布、男性の場合は白色の綿布を購入する。竹竿を組んで死者を運ぶ台をつくり、四隅にココナツを吊す。台の上に死体を乗せ、ヤシ綱で縛る。死体に白(男性)や赤8女性)の布をかけ、その上に赤色粉と花をまき散らす。4名の近親者が台を肩に担ぎ、喪主(通常は長男)に続く。喪主は火種と牛糞ケーキの入った土製あるいは銅製の壷を携える。親族とカースト成員はラーム神の名を唱え、後に従う。女性の会葬者はさらに距離をとり、号泣しながら従う。途中で彼女らは立ち止まり、胸を精一杯たたき悲しみを表してから引き返し、井戸水や河の水で身を清める。男性会葬者は焼場手前で立ち止まり、台を一旦路上に置く。それから近親者が台を焼場に搬入する。

積み重ねられた薪と牛糞ケーキの上に、布のかけられていない頭部を北側に向け死体を置く。死者の口中にバターを注いでから、喪主が頭部近くの薪に火を入れる。それから他の会葬者が全体に点火する。年配者2~3名が死体の側で薪の調節をする。他の者たちは離れた場所に座り、話し込む。死者が高齢者の場合は陽気に思い出を語るが、年少者の時は悲哀に包まれる。焼き上がる頃、ギー油が注がれる。焼場での儀式終了後、会葬者は喪主宅を再訪してから帰路につく。

数日後、喪主と若干名の近親者は焼場跡から遺灰と遺骨を拾い、河川や貯水池に流す。焼場跡には水入りの土製壷を置く。それから沐浴し、濡れた着衣のまま泣きながら家に戻る。土製壷に水とミルクを入れ、屋根の上に置く。持ち帰った若干の遺骨は、巡礼の際にナルマダー河(グジャラートの聖河)やガンジス河に流す。近親者は不浄だとされる最初の10日間、他者との接触、家神・寺院の参拝、衣類交換、髭そりは禁止されている。10日目に男性は髭を剃り、頭をまるめる。女性は粘土と水で髪を洗い清める。家内の床には牛糞が塗られ、過去10日間に触れた壷は全て新しいものにかえられる。

祖霊祭(シュラッダ)は、喪主が10~13日目にかけて執り行なう。祖霊祭の4日間、喪主はターバンの代わりにアマ布を頭に巻く。13日目に義父が喪主に新たなターバンを贈り、アマ布はとりはずされる。同日、家付きの司祭に若干の装身具、衣類一式、寝台、枕、真鍮製容器が贈られる。親族と友人は4日間、カースト成員は12日目と13日目に食事に招待される。

以上がパーティーダールの葬儀の骨格である。カーストや階級により、葬儀遂行上の細則、例えば司祭への贈り物や死者の装束などに相違はあるものの、葬儀の基本形、すなわち死の床の準備、死体運搬、死体焼却、遺灰遺骨の処理、忌中のタブー、祖霊祭の遂行などについては共通点が多い。ただし、不可触民カーストや低位カースト、および一部の職人・サービスカーストのなかには、死体を焼却せず土葬する人々も多い。また、不可触民カーストのなかには、祖霊祭を遂行しないグループがある。かように、不可触民カースト、低位カーストと上・中位カーストの間には、葬儀の形式に関して少なからぬ相違が認められる。

〔近年の諸変化〕

インドの都市居住率は緩慢ではあるが着実に上昇し、現在30%に届かんとしている。多くの移住者を引き付ける都市化の進展は、都市部における核家族や単身者世帯の比率を高めている。都市部を拠点とする中産階級の厚みも増している。都市化は家族形態の再編を促すとともに、冠婚葬祭の運営にも変化をもたらしている。

出生および死亡は最寄りの地方自治体に報告することが義務づけられている。大・中都市のヒンドゥ教徒は、通常公営の焼場で遺体を焼却する。グジャラート州アーメダバード市に散在する焼場の幾つかを見てまわったことがある。焼場のおおくは河川沿いに立地しており、通常は重油使用の焼却室と薪使用のオープン・スペースよりなっている。人々はもちろん薪による焼却を好むが、経費が高くつくために、財力のない人々は重油に頼らざるをえない。重油の場合でも、焼却の費用はランクの最も低い第4級公務員の月給分に相当する。会葬者に対する食事代や司祭への謝礼を付け加えると、同公務員の月給2~3ヵ月分になろう。高所得になるほど、葬儀費用はとくに結婚費用と比較した場合、割安になっている。

インドの場合も、死体を土葬するイスラーム教徒やキリスト教徒の間では墓地不足が深刻になっている。これに対して、ヒンドゥ教徒の多くは死体を火葬するので土葬に固執する一部グループを除き墓地不足の問題は発生しない。しかし、河川、貯水池への遺骨遺灰、半焼の死体の投棄や低所得層にみられる水葬の習慣は、生活排水、工業排水などとともにインドの水資源に対する重大な脅威となっている。

年々の祖霊祭では、父系の祖先全般が祀られることになっているが、人々の胸に去来するのは、実際に思い出のある祖父母までである。司祭は彼らの名を呼び、霊を祀る。祖霊祭の遂行自体は現在でも一般的であるが、司祭への心付けは縮小傾向にあるようだ。喪主の立場にある者が移住した場合、出身地の司祭を呼ぶのは難しい。それ故、移住先での司祭に頼ることが多い。また、家族、親族の地域分散が核家族化とともに進行しているので、祖霊祭の遂行を促す宗教的社会的規制力は弱まらざるをえない。

冠婚葬祭のなかで、結婚式はダウリ(嫁側からの持参金)制度の強化、新聞・雑誌への求婚広告や役所への登録結婚式の進展などの新たな展開をみせているのに対して、葬儀や祖霊祭の遂行は簡素化への動きと概括することができよう。

初出誌情報

篠田 隆 1993「葬儀:7.インド・ヒンドゥ教徒」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第3号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.168-170.

お読み下さい

ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

葬儀:目次