結婚考:中国―ウィグル族の結婚

トホティ

「結婚」という言葉はとてもあまく、幸福で美しい人を魅する言葉である。とくに、恋愛している青年男女にとってはそうである。それは、民族、国、宗教に関係なく、男性と女性との間の崇高な愛情を昇華したものであり、幸福の結実でもある。

男女にとって、結婚は人生の旅路で最も重要で、記念すべき事柄であり、自己の運命を決定する大事である。このことはウイグル民族の青年男女にとっても同様である。

小島教授からウイグル族の結婚式の紹介原稿の依頼をうけた際、このテーマがもつ甘美な響きが、自分の結婚式の時の情景を思い起こさせずにはおかなかった。

結婚は言うまでもなく愛情の産物である。しかし、具体的な結婚式となると、個人により、また民族により、それぞれ異なった内容をもつ。ウイグル族青年男女の結婚式も民族特有の様式をもっている。初めての結婚、2回目以上の結婚、青年同士の結婚、老人間の結婚の具体的な内容も各々異なる。ここでは青年層の結婚式について述べよう。

筆者はウイグル族の家庭の出身で大学卒業生である。大学卒業後、北京に留まり就職した。私が大学で親しくなった恋人もウイグル族の家庭の出身であった。就職してから結婚することにした。北京市政府の婚姻届出処へ行き、その処理をすませた。これにより、法律上は、我々は合法的な夫婦となった。しかし、ウイグル族の慣習法では、夫婦と認められない。そこで、我々はそれぞれの家に戻らねばならなかった。

結婚式までの行なうべきこと

新郎はまず、相手の家庭情況、父母、職業などの具体的情況につき、自分の父親に報告し、両親の同意をえなければならない。父母が食物、衣服などの土産品をもって、相手の家に赴き、嫁にもらいたいという意志を伝える。もし、娘の方の両親がこれに同意すれば、その土産品をうけとる。しかるのちに、婚礼の具体的日取りの相談が始まる。この間に、娘の両親が新郎に対し、娘のために準備してもらうべき衣服、金銀の各種イヤリングやネックレス・指輪、家庭用品、結婚式に呼ぶお客用の米・メン・油・羊肉・酒・果物など、これらの具体的数量と金額の要求を出す。これらはすべて新郎側が負担する。娘側の両親は新郎にこれらの品を娘の家に送り届ける日程もきちんと要求する。一般的にはこれらの品物は婚礼の三日前までに送り届けねばならない。当然、娘側は新郎の家庭の経済情況と両家の情況とくに2人の関係(愛情の程度)を考慮してその量と額をきめる。一般的には、衣服に四つ揃い(春夏秋冬の各一揃いづつ)、羊3頭、60kgの米、10kgの油、野菜、砂糖、酒、果物、この他家庭用品である。もし、娘側が新郎を気に入っていれば、若干少なめでよい。新郎側が娘をより好きになっている場合には、多めになる。いずれにしても、新郎側がすべてを用意する。

結婚式

当日早朝から、客は手土産をもって新郎の家に集まる。新郎の家は新郎側の客を接待し、もてなす。同時に、新婦側も同様に新婦側の客を家に招待し、もてなす。参加者は新郎と新婦の各々の家で、昼まで歌を歌ったり、楽器を奏でたり、踊ったりして遊興にふける。客が歌え踊れの遊興の最中に、新郎側は4~5人を娘側の家に送り、くどをつき、かまの準備をし、羊を屠殺して各種の料理をつくる。主なものは飯づくり(ウイグル語でポーローという)、メンづくりである。ポーローは主に羊肉、米、油、野菜、乾し葡萄などを原料にしてつくられる。一釜で100~300人分をつくる。300人もの客が当日の午後に食べる部分のみならず、各人が帰宅するときに婚礼に参加しなかった親戚や友人に持ちかえる分も含まれる。何人を招待するのかは(娘側何人、新郎側何人)両家の父母が相談して決める。裕福な家庭では、参加者は1000人以上にも達する。

午後、新郎は礼服を着、婚礼用の化粧をして、招待客と共に家を出発、一路道中踊り歌いながら、新婦の実家に赴く。

新婦は同様に着飾り、婚礼用礼服に身をまとい、頭から薄手の絹布を顔まで包み、玄関で新郎の一隊を迎える。新郎は新婦の家まで近ければ、徒歩で赴くか、遠路の場合は車に乗るか、馬をつかう。道すがら新郎と人々はずっと踊り歌いながら、各種の楽器を奏でて、にぎやかに新婦の家まで行く。新婦の友人達は新郎の一行の到着を知ると、すぐに正面玄関を閉める。玄関の外で出迎えた彼等は一行に手土産を要求。一行がそれらをふるまってから門の中に入れる。そして、新婦の庭で、新郎側、新婦側の客が一同に会し、共に踊る。招待客全部が歌を歌い、踊り狂って結婚式の雰囲気を最高潮に盛りあげる……。

つづいて招待客の宴が開かれ、食事が始まる。手に手を羊肉をとって食べる。夏は茶に代わって果物が供される。このとき、新郎側の代表が新郎の家が新婦に送ったすべての衣服、調度品、各種イヤリング、ネックレスなどの品々を開き、人々の供覧にふす。しかるのちに、新婦側の代表が新婦に替わってこれらの品をうけとる。

このとき、新郎と新婦はそれぞれ家の者(2~3人)に付き添われ、神座(「神座」は臨時に家の中に設けられる)に登り、阿旬(Akungとはイスラーム教の牧師)に対座する。Akungはコーランを読経しNikaの儀式を始める。これが婚礼の中で最も厳粛な儀i式である。Akungの主催のもとに、新婦は少女たちを伴い、新郎は少年たちを伴って、Akungの左右に立つ。中年の婦人が大きな皿の中に塩水を入れたお碗とナン注)12個を入れ、新郎と新婦の前に進み立つ。そして、牧師が新郎と新婦に別々に、「夫婦の契りを交わすことを希望するか否か」と問う。一般には3回聞く。特に、3回聞いて、3回とも答えなかったときは、夫婦の契りを交わすことを希望していない意味となる。このときは、婚姻は成立しない。しかし、通常このようなことはほとんど起こらない。新郎が牧師の問いにはっきりと明確に答えるほど、新婦への愛情が確固たるものであることと理解される。新婦は3回目の牧師の問いで初めて、答える。しかし、その声は極めて小さい。他の人には聞きとれない。彼女の前に立つ牧師のみが聞きとれるくらいの声である。それで、彼女にお伴している少女たちが大声で招待客に「希望します」とかわって叫ぶ。これで人々は一斉に喜びの拍手をする。そこで新郎と新婦は皿の中の塩水につけたナンを食べる。

新婦は顔を伏し、恥かしく、口に言葉も出せないでいたが、皿の中のナンを食べるときには情況は一変、彼女は敏速に行動する。伝えられるところによれば、ナンと塩水は人の生命に最も必要とする食品で、両者は分離できない「神聖」なものとして理解されている。それは新婚夫婦が永遠に老いるまで離れないことを象徴している。このため、これを食べるということは、1つの宣誓で、不貞を行なわず、永遠に離婚しないことを意味する。

Nikaの儀式をとり行なってから、新郎の親しい友人達がかなりの規模の親衛隊をつくり、新婦に付き添う少女たちとともに、彼等の歌と踊りの中で、新婦の家を出発し、新郎の家に向かう。道中、道端の人々に祝いの品を差し出し、新郎は子供たちに祝い菓子をふるまわねばならない。

初夜は、新郎と新婦は2人だけで寝室に入ることはできない。新婦の母親の姉か妹が同室に寝る。3人が同じ寝室に寝るわけである。新郎は基本的にこのおきてを破ってはならない。

2日目に、早朝から新郎の家は客を招待し、羊を殺し、食事に招待する。新郎の家の者と招待客の前で、新郎は初めて新婦の顔を覆う絹布をとる。招待客が新婦の真顔を見るのはこのときが初めである。それから招待客は、歌え踊れで、新郎・新婦ともこれに参加する。賑やかな宴会が大規模に新郎の家で繰り拡げられる。第2夜、新郎の家の招待客が帰って以後、新郎と新婦は初めて2人だけの寝室に入り、幸福な初夜へと進む。これも、決定的な重大なる時が至ることを象徴している……。

花嫁

3日目の午前、新郎は新婦を連れ、大切な手土産をもって新婦の両親に会いに行く。新郎はもってきた手土産を両親の前に置き、自分はその部屋から席をはずして、1人で自分の家に帰る。婿が出ていった時が両親にとって最も緊張する時である。両親はその手土産を開く(手土産は新しい衣服でもよいし、カステラでもよい)。もし手土産に損傷や汚れがなければ、娘の両親は安心する。それは婿が妻として娘を受け入れ、子を育み、新しい人生を共に送る証であるからだ。もし、手土産に何らかの損傷、例えば、新しい衣服のどこかが裂かれているとか、カステラの一部がかじられている(1つの角がなくなっているなど)とすれば、自分の娘は処女ではないと婿がみなし、両親にお還しすることを意味する。娘は再び婚家に帰ることはできず、離婚となる。手土産が完全なもので何の損傷がないのを両親がみてとると、とても喜び安堵し、娘を招き、3日間一緒に住む。そのあとで、新郎に高価な土産を多く用意し、さらに娘にもたくさんの品を与え、嫁ぎ先へ共に赴く。これで結婚式はやっと終了し、新郎・新婦は新婚生活に入る。

この習慣はかなり厳格に実行されており、男女間では不公平な習慣である。現代では、少しづつ、変化の兆しがみえる。私は将来のいつか、新婦は男子と平等な合理的な結婚式を挙げられるようになると信じている。

私の場合、これまでに書いたような結婚式の慣習にのっとって生まれ故郷で、私の両親と妻の両親の下で結婚式を終了し北京に戻った。かくして結婚の休暇が終り、緊張した日常の勤務と新家庭の生活を始めることとなった。

(訳小島麗逸)

(注)
1)ナンとはと書き、小麦粉をこねて焼いて作ったもの。

初出誌情報

トホティ 1992「結婚考:4.中国?ウィグル族の結婚」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第2号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.87-90.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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