映画:韓国の“南道文化”と現代映画―「風の丘を越えて」と「太白山脈」の世界―

映画:韓国の“南道文化”と現代映画―「風の丘を越えて」と「太白山脈」の世界―

青柳優子

1.はじめに

韓国映画界の第一人者である林灌澤監督(1936年生まれ)の「風の丘を越えて(原題:西便制(1))」(1993年)は史上空前の人ヒット作であり、翌94年制作の「太白山脈(2)」は様々な話題を1呼んだ“問題作”である。前者は原題どおり、韓国の代表的な伝統芸能であるパンソリ(3)に濃厚な南道(=全羅南道)的情感あふれる作品であり、後者は1948年に起きた麗順事件(4)から朝鮮戦争に突入していく時代に生きた人々の姿を正面から描いたものである。なお、林監督は「豆満江よ、さらば」(1962年)でデビュー以来、植民地時代から朝鮮戦争に至る複雑で屈折した歴史に深い関心を寄せてきたが、この2作では故郷の南道を舞台に、その歴史的・文化的特色を鮮明に描写している。

さて、この南道は昔から多くの文化人・芸術家を生み出した地域だが、その一人である金芝河の詩で「熱い南は反乱の地」と詠まれたように、他地域からは一種独特の視線を浴びてきた。多くの島とリアス式海岸、そして広くて肥沃な平野に深い山なみを有する南道は、気候もよく、海の幸・山の幸にも恵まれた穀倉地帯である。そのうえ、朝鮮時代には失脚した政治家(文人)が“罪人”として流された流刑地でもあり、ソウルから“都落ち”した悲運の文人の中には著名な学者も含まれていた。当時、一流の文化人であり教養人であった彼らは、南道の人々に大切にされ、その文化が上地の人々に直接伝えられた。豊かな自然と経済が、文化の需要・発展に寄与したことは言うまでもない。

だが、その豊かさゆえに、民衆は支配者の苛酷な収奪にあわざるをえなかった。南道の民は、官吏・地主の並はずれた搾取のために、凶作の時ばかりか豊作の時にも飢餓に苦しめられた。そうした事情は口本の植民地となっても変わらなかった。日本人地主と親日派地主の徹底した搾取は、大勢の小作農を乞食・流浪民に転落させるとともに、農民運動を根づかせる結果をもたらしたのである。

こうした自然の豊穣さと収奪の苛酷さという地域的・歴史的特質は、南道の人々に風流を愛し、楽しむ気質と、耐えるだけ耐えていざ立ち上がったら勇ましく闘う気質を育ませた。光州の詩人・金準泰は、南道文化を“竹の文化”と表現している。竹は温暖な南道の特産物の一つであり、削ればピリ(韓国の竹笛)も作れるし、竹槍にもなるからだ。こうした点を念頭におきながら、90年代前半の韓国映画の代表作である「風の丘を越えて」と「太白山脈」の世界を分析・検討してみたいと思う。

2.「風の丘を越えて」

この映画は、李清俊の短篇小説「西便制」を原作としているが、小説の忠実な映像化ではない。登場人物の設定やその相互関係など、小説を大胆に組み替えて構成しながらも、原作に漂う情感は映画にもそのまま反映されている。時は1960年代初め。切り出した木材を運ぶトラクターに同乗していた男・トンホが、‘唱の峠’にある旅篭の前で下りる。生き別れの父・ユボンと姉・松花を探しにきた彼は、姉にパンソリを教わったという女から、パンソリの名手にするため父が姉の目を見えなくしたという話を聞く。父親が死んで、その3年後に姉は‘唱の峠’から一人立ち去ったという。こうしてトンホの姉捜しの旅は続くが、彼の回想によって一家の生成と離散の過程が明らかにされていく。映画の中のこの3人は、血のつながりのない他人同士の擬制家族である。ユボンは植民地時代の京城でパンソリの大家の後継者と目されていたが、師匠の愛妾との恋愛が発覚して破門され、その後はパンソリの旅芸人に転落する。ある日、祝いごとのあった家に呼ばれた村で、ユボンは寡婦のトンホの母と知り会い、一緒に旅に出る。やがて、彼女は子を身篭もり、出産の時に子供と共に死んでしまう。残されたユボンと孤児の松花・トンホの3人は、家族となって村から村へと渡り歩く。パンソリが人生のすべてであるユボンは、松花とトンホにパンソリを仕込むが、その日暮しの貧しさに耐え切れないトンホは2人から立ち去る。歳月が流れ、今は漢方薬店の従業員となった彼は、薬材調達のため村々を回りながら松花を訊ね歩く。そしてとうとう、ある塩田の侘しい木賃宿で2人は再会する。だが、2人は名乗り合わないまま、トンホの太鼓で松花はパンソリ「沈清伝(5)」を夜を徹して歌いあげ、そのまま別れるのである。

こうした筋書だけたどれば、希望のかけらもない、解体した家族の暗い人生を描いたこの映画に、なぜ250万人以上もの観客が魅了されたのだろう(韓国の人口は約4500万人)。

それは第一に、映画自体が原題どおり、一篇の“現代版パンソリ”に仕上げられているからである。パンソリという、韓国の伝統文化の代表でありながら、それまでごく一部の老人の娯楽にすぎなかった古典芸能を現代映画に起用した斬新さが、人々を引きつけたといえる。パンソリは、唱とアニリ(状況や場而の変化を説明する部分)によって展開していく唱物語だが、注意して見れば、映画もこの古典的形式を踏んでいることがわかる。映画が始まってまもなく、「行って見ようか/行って見ようか/あなたについて行って見ようか……」で始まる唱は、パンソリの開幕を告げる合図であり、そこから観客は昔懐かしい世界へといざなわれていく。これによってこの唱に先立つ短い会話のシーンが、物語導入のアニリであったことが明らかになる。そして、唱は象徴的な場面処理にその効果を遺憾なく発揮する。ここで観客のパンソリ体験が前提となっていることは言うまでもない。等閑視されていたとは言え、韓国人ならパンソリの粗筋位は誰でも知っている。しかも、場面ごとに唱の精髄中の精髄ともいうべき櫛が唱われるので、その独特な情感は、いやでも観客の琴線に触れるのである(監督のこの狙いが的中したことは、上映後に起きた若者のパンソリ・国楽ブームにも端的に現れている)。

これに関連して終盤、姉弟が再会する場面に着目したい。この場面では、目の見えない父が娘と再会して目が開く「沈清伝」が歌われるのだが、これは意味深長である。後に出てくる説明調の台詞がなくても観客は、2人が名乗りあわずとも互いに姉弟だと了解しあっていることを、この唄によって直感する。さらに、ここで2人が名乗り合わないことの意味を解釈してみよう。パンソリのためなら娘の目をつぶすことも辞さない父と、それを受け人れる姉の2人は芸一筋の世界に生きており、トンホはそうした生き方ができなかった。貧しさから脱出するため家族を捨てて都会に出た彼が、ようやく懐かしい姉を捜し出したものの、彼女は過去の世界の姉(同時に永遠の女性)であり、住む世界が違うのだ。かつての世界には戻りたくても戻れない。だが、亡き父・ユボン仕込みのトンホの太鼓で、松花がパンソリを完唱することにより、2人の再会は成就する。過去と現在が交叉して一つに溶けあう、最初で最後の夜であった。2人の恨(ハン)(6)も同時に溶けあった。観客は自らの姿をトンホに重ね合わせ、失ったものに対する懐かしさ、名残惜しさ、そして諦念が入り交じった南道の情感を堪能する。劇的な一夜が明けて翌朝、バスで町へ帰って行くトンホと共に、観客も夢の世界(=物語の世界)に別れを告げるのである。

こうした独特な味わいに加え、この映画の第二の魅力としては、映画の舞台となり、また実際のロケ地でもある南道の風景の美しさがあげられる。スクリーンには四季折々のまるで絵のような景観が映しだされるが、それはこの地域が経済発展で落伍しているからこそ、残された自然の恵みである。第三には、個性的な出演者をそろえ、役柄に合わせて起用した配役の魅力もあるだろう。特に、松花を演じたオ・ジョンへは最近の女優には珍しく、目許の涼しい韓国的な自然派美人(韓国の女優には整形手術による西洋型美人が多い)で、ユポン役のキム・ミョンゴンとともに実際にパンソリの唱者でもある。

ところで、この映画で最も楽しく魅力的なシーンは、曲がりくねった野道を3人が「珍島アリラン(7)」を掛け合いで歌い踊りながら、観客に近づいてくる場面(6分近い異例の長さ)である。映画全体は高度な修行を前提とするプロの芸=パンソリが基調になっているが、この場面ではもう一つの南道文化を代表する民謡「珍島アリラン」が歌われている。この民謡は、集まった人々が皆で合唱するリフレーン部分に一人一人がアドリブで歌をつなげていく独特な形式をとり、誰もが歌い手となって自己表現できる大衆的な芸能として共同体の中で生まれ育った文化なのである。

以上まとめれば、この映画は人々が失ったもの(家族の絆・共同体文化)に対する憧憬を南道文化を媒体にして呼び起こしたといえる。すなわち、“竹の文化”から“竹槍”を捨て“竹笛”に徹した南道文化の映画化が「風の丘を越えて」であった。時代背景が1930年代の日中戦争期から朝鮮戦争を経て60年代に至る時期であるにもかかわらず、その影が殆ど見られない点は象徴的である。だからこそ、この映画は現代の物語として完結した世界を創り出し、そこで観客は安心して涙を流し、カタルシスを感じたのである。

3.「太白山脈」

監督はじめ、「風の丘を越えて」とほぼ同じスタッフによる映画「太白山脈」は、出版界最大のベストセラーである同名の大河小説(全10巻、趙廷来著)が原作である。それまで語ることすらタブーだった麗順事件に初めて正面から取り組んだこの小説の映画化は、原作同様、人々の関心を集めた。

映画は、最も荘厳かつ印象的なシーンで幕があく。白み始める山なみの上空を、黒い鳥の大群が飛んでいる。山々の縁が赤ばんでいるのを見ると、智異山の西方、全羅道の上空であろう。天にも上らず、地にも下りず、また山の彼方に飛び去ることもなく旋回し続ける鳥の群れ。それは、まるで何万もの人々の霊魂のようだ。やがて空は薄水色に変わり、鳥の群れが近づいて来る。けたたましい鳥の鳴声も音楽に重ねられ、不安がかきたてられる。2時間45分にわたるドラマの全体像を暗示する巧みな導入である。

ドラマはまず、反乱軍に占拠される直前の筏橋警察署の場面から始まる。その後、反乱軍による占拠、国軍による筏橋奪還と徹底的な討伐作戦の展開、そして1950年に勃発した朝鮮戦争下での北朝鮮軍による筏橋占領と続き、情勢の再逆転で北朝鮮軍が後退するまでを描いている。ここで注目されるのは、「共産主義者は冷酷無慈悲な鬼であり、国軍側は正義の見方」式のステロタイプから脱して、共産主義者の廉尚珍と、弟の反共青年団長の廉尚九を“生身の人間”として描写している点である。つまり、2人の対立を図式的なイデオロギー対立として処理せず、兄弟が育った家庭の来歴にまで踏み逆み、その歴史的・社会的な背景を提示している。先代が大地主の奴卑だった貧しい炭屋の父は、賢い兄を偏愛する。師範学校まで出た兄に対し、小卒の弟は幼い頃から敵愾心を抱くが、2人の息子を平等に可愛がってくれた母親に対してだけは格別の愛情を持っている。同じ家庭で生まれながら、貧困と差別の克服のため共産主義老になった兄と、無学ゆえに腕カ一つでのし上力った弟が、存在感あふれる人間像として描き出されている。

さて、彼ら左右両極にある人物に対し、この映画の主人公は中間派のキム・ボンウ(植民坦時代に抗日独立運動の資金を出していた大地主の息子)である。この“中間派”の存在こそ、従来の反共映画とは異なり、「民族の和解」という難題に取り組んだこの映画のモチーフで凌る。彼は終始誠実な知識人として、塗炭の苦しみをなめる庶民の傍らで苦悩する。ソウルから来た国軍司令官の「なぜこの地域はこんなにパルチザンの同調者が多いのか」という問いに彼が農民と土地の関係を歴史に遡って説明する場面が印象的である。客である司令官を茶でもてなすこのシーンでは、伝統的礼節をわきまえた文化人・教養人としての美しい姿も映し出される。にもかかわらず、パルチザンの妻を強奪する廉尚九の強烈な人間像に比べて、主人公の存在感はあまりにも希薄である。一体、それはなぜなのか。本来、左右両極から真に自由な知識人像を描くためには、第三の立場が“代案”として提示されていなければならない。だが、この課題が十分に消化されておらず、左右双方の殺戮・報復テロに憤慨はしても、それを乗り越える和解の思想が展開されていないのである。ただ最後に、殺戮と放火を犯して敗走する軍の指揮統率ができない廉尚珍に向かって、「君は負けた。それも完全に。人間を手段とするような思想には救いがない」と語るだけである。そして、廃嘘となった街角に莚然と佇んでいた主人公は、廉尚九に強姦されて自殺した女のためのシッキム・クッ(巫女による死者の霊を慰める祭事)で夜を徹した巫女に会う。「クッは生きている人のためにするのです。生者の恨を無くすために」と言う彼女に、「あなたのなすべき仕事はまだあまりにも多いようですね」とつぶやく。

こうして映画は幕を下ろすのだが、この結末は何を意味するのか。「鎮魂の祭事を生者のためにする」という巫女は、内戦で失われた家族・共同体を象徴していると考えられる。民間人286万人、兵士242万人の死傷者を出した朝鮮戦争は、厳密に言えば、まだ終わっていない。その桎梏の中で、冒頭シーンを思い起こすならば、監督は和解への第一歩を、この戦争で失われた“家族・共同体への思い”に求めたと理解していいのではないか。すなわち、この映画は南道で夜明けを待ち続ける人々のためのシッキム・クッであり、これから始まる時代に「民族の和解」という課題を託したのである。

4.おわりに

「風の丘を越えて」と「太白山脈」が上映された当時の韓国は、過去30年に及んだ軍事政権下での高度経済成長が一段落し、衣食住には困らない時代を迎えていた。だが、極端な拝金主義と自然環境の破壊による人心の荒廃に疲れきった人々は、どこかにその救いを求めていたのである。前者は、そうした人々を“竹笛”が奏でるあの懐かしい物語の世界へと誘い、彼らの心の渇きを南道の豊かな情感で潤した。そこで描かれた世界は、経済成長期以前の“故郷”である。しかも、それは歴史性を排除して成立した“故郷”、つまり“竹槍”の要素を外すことによって成立した、感動的な“南道唱物語の世界”である。これに対して後者は、凄惨な内戦の歴史に取り組んだ。しかし、米ソ冷戦体制が終結して国内の民主化が進んだとはいえ、それはまだ始まったばかりであり、南北分断という現実世界のハードルは決して低いものではなかった。両極に対する“代案”、あるいは対立から和解への道が提示できない限界を、主人公の存在感の希薄さという形で露呈したのである。とはいえ、民族の和解を願い、祝祭の大合奏を渇望する人々の英知により、いつかは東西南北の断絶の壁が崩される日がくるという、楽観と希望がこめられていることを看過してはならないだろう。

確かに、この2つの映画は一見全く異なる世界を描きながらも、基本的には痛苦に満ちた歴史の呪縛からの解放、すなわち“竹槍”の世界を越えて和解を希求する精神の身悶えという点では共通している。すべての人が“竹笛”を心の底から楽しみあえる時代に向かって、映画監督として“竹笛”を吹き続ける林灌澤の今後に期待したい。

〔註〕

初出誌情報

青柳優子1998「映画:4.韓国の“南道文化”と現代映画―「風の丘を越えて」と「太白山脈」の世界―」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第7号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.79-84.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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