姓名論雑考:中国―ウィグル族・ハザック族および漢民族

トホティ

すべての事物は特定の社会的歴史的条件のもとで、具体的かつ特殊な名称をもつようにど民族もおのおのの特有な歴史・文化・風俗習慣がある。この特殊性は、姓名、命名の仕方にも現れている。同一民族、同じ家庭内でも、男性・女性とも、自分の姓名を使用する際に大きな違いがある。例えば、中国のウイグル族、ハザック族、漢民族の姓名のつけ方におのおの多くの特徴がある。

ウイグル族

ウイグル族の乙女の髪型。美しい! 結婚すると髪型が変わる。

ウイグル族の姓名は、一般に自分の父親の本名の後に、父親の名をつける。例えば、父親の姓名が“モハメド・アブドラ” で、息子が“トホティ”であれば、息子の姓名は“トホティ・モハメド”とし、娘の名が“クリー”であれば、“クリー・モハメド”とする。娘が結婚したら、人々が自然に彼女を“クリーハン”と“汗(Han)” をつけ、彼女は娘でもないし、処女娘でもなく、すでに既婚者であることを示す。“クリーハン”“アイハン”などと呼び、既婚者であることを鮮明にする。

ウイグル族の娘はいったん結婚すると、自分の父親の名をつけない。また、姓に夫の名もつけない。例えば、“アイ”という名の娘は、彼女の父親が“モハメド”であれば、結婚前には“アイ・モハメド”と呼ぶが、いったん結婚すると“アイハン”となり、“アイ・モハメド” とは呼ばない。このような命名の仕方がウイグル族の社会では現在にいたるも使われている。ただ、政府の戸籍登録では、各種の証明書を発行する際、一般に“ハン”のあとに自分の父親の名をつけている。

現在ウイグル族は主に、中国の新彊に居住している。1990年の人口統計によると、730万人いる。基本的にイスラーム教徒である。イスラーム教の影響から多くのウイグル族の婦人の地位は低く、家庭内でも従属的な地位にある。昔は、貴族の家庭の出身の女性が自分の姓名をもっているだけで、社会的地位がない女子はもっていなかった。子供の頃の愛称(小名または幼名)のみで、中には屈辱的な名がつけられている者さえいた。例えば、“庫魯木(クルム)”とか“庫里(クリー)” などで、その意味は“俺の手”、つまり自分が自由に使用できる物などというものであった。

ウイグル族の婦人が子供を生んでから3日目に、万難を排し、阿?―イスラーム教主をよんで嬰児に名をつけてもらわねばならない。教主が見つからなかったら、7日以内に長老をよんで新生児に名をつけなければならない。

ウイグル族の主婦は何でも作る。帽子を作っているところ。

他の民族と同様、時代の変化とともにウイグル族の風俗習慣も変化している。例えば、男の子を生むと、大多数の家長は自分の子供にイスラーム教徒の聖者の名“ムハメド”“アセン”“イスマイ”などの名をつける。また、生まれたときに歴史的な事件が発生するとこれを記念して、その事件にふさわしい名をつける。例えば、自由の意の“アルキン(Arkin)” "、解放という意の“アジャティ”、風雲という意の“ウルカイシ”(1)などである。女の子には、一般に“クリ” や“アイ”などで、前者は花、後者は月の意である。花や月は耳ざわりのよい名詞で、女の子に限られる。しかし、これを姓としたり、正式の名にすることはできない。いったん結婚すると、その名がかわることは前述した通りである。

ハザック族

今日、中国領土内に居住するハザック族の人口は100余万人で、彼らも基本的にはイスラーム教を信仰している。ハザック族の家庭では封建的な宗教観念が比較的に濃厚で、妻の地位がかなり低い。ハザック族の婦人は宗族の長、夫および宗教の束縛を強く受けている。彼らは夫には絶対的に服従しなければならないし、殴打されても罵られても、口答えしたり、まして手を使って反抗することなどはもってのほかである。男子の家長が家庭の権力を握り、家庭の重要な事柄はいっさい彼らがきめる。

1949年以前は、妻を4人までめとってよいというイスラーム教の教義の影響を受け、一夫多妻の風習が存在していた。主人が第2婦人をめとると、第1婦人と同居する。第2婦人は一般的に第1婦人に服従する。

ハザック族は子供が生まれると、7日目から10日目の間に揺藍式を行う。主人が羊を1頭殺し、隣り近所のご婦人を招宴する。この儀式の席で子供に命名する。招かれた婦人たちが各人一つか二つの名を考え、その中から最も良い名を皆で協議して選ぶ。あるいは、イスラーム教主に頼み、コーランの中からイスラーム聖者の名から命名する場合もある。命名の際には前の子供の名の音に注意し、最後の字か最後の音節と同じものをとる。例えば、兄が“ソラコ”であれば、弟は“ピエラコ”(別のラコ、漢字でソラコは“色勒克”と表記するが、弟のほうは別勒克、すなわち別のもう1人の勒克の意―訳者)とするか、兄の名の最後の音“コ”がつく名をつける。

ハザック族も男尊女卑であるが、女の子をいやがったり、蔑んだりはしない。一般に子供が多いと繁栄し、家に良いことをもたらすと考える。女の子のみが生まれ、男の子がないと、命名する際、女の子に男子用の名をつけたり、男の子が生まれることを希望する名をつける。例えば、“ウーラポーセン”あるいは“ウーラトワール”。“ウーラ”は男の子または息子の意味で、“ポーセン”“トワール”は次は男子を生みたいという意である。

ハザックの娘は、結婚前には自分の名の後に父親の名をつけて姓名とする。例えば、“ウーラトワール”という名の娘の父親の名が“ライス”であれば、娘は"ウーラトワール・ライス"とする。しかし、結婚後は人々は“ウーラトワールハン”あるいは“ウーラトワールケン”と呼ぶ。これはウイグル族の場合と同じで、この婦人は既婚者であるということをこの名で示す。つまり、ウイグル族もハザック族も、結婚後は一般に自分のもともとの姓は用いない。つまり父親の名をとり、また夫の父親の名をつけない。

こうみてくると、両民族とも基本的には同じ方法をとっている。“ハン”をつけて自分は結婚している、夫があるんだということを示す。別の言葉でいえば、いったん結婚するともう自由なる少女ではなく、夫の支配下の人、男子に隷属する女子という意となる。表面上からみれば、きわめて簡単な呼称の変化にすぎないが、語尾に1字をつけるだけで、その意味するところはきわめて厳粛なものであり、労働する婦人に対する一種の蔑視と偏見を表している。

漢民族

少数民族の婦人の地位と比較すると、漢民族の婦人の状況は複雑である。中国は数千年の文明史をもつ。歴史的に長期の封建社会のもとにあり、広大な労働婦人は封建的な迷信、家族の族権、男子の夫の権力などによって圧迫されてきた。基本的に自分の姓名を用いる権利はなく、普通の女子は自分の名をもっていなかった。ただ封建貴族家庭出身の家柄良きものだけが家系の姓を用いる権利を有していたのみである。

男尊女卑が厳しかった封建時代では、普通の漢民族の家庭では女子が生まれると、勝手に呼び名をつけた。例えば、“暁蘭”“春苗”などである。この"暁蘭"が長じて、陳姓の男子に嫁げば、“陳嫂”(陳の嫁)、王姓の男子に嫁げば“王嫂”(王の嫁)と呼ばれるだけだった。あるいは、“王氏”“陳氏”(たぶん王の氏(ウジ)、陳の氏(ウジ)の意―訳者)と呼ばれるだけだった。本人には自分の姓名を使う権利がなかったのである。魯迅の小説『祝 福』の中に“祥林嫂”という女性が登場するが、彼女などは姓名をもつという基本的権利さえない労働婦人の側にあるといってよい。このような習慣は現代中国社会では基本的に消滅している。大部分の婦人たちは現在では皆自分の姓名を使えるようになった。そのうえ、子供は母親の姓さえ使えるのである。

要約していうならば、過去の長期にわたった封建社会では、婦人は社会的に抑圧されており、各民族の風俗習慣は各様であったが、女性たちの運命は基本的に同一であった。すなわち、彼女らは基本的に夫の付属物にすぎなかった。自分の父親の名、姓を用いる権利さえ、基本的には存在しなかったのだ。

(著者は中国ウイグル族の学者で、中国政府民族委員会の研究員。1991年、日本に滞在。中国語で執筆されたものを小島麗逸が翻訳、ウイグル語、ハザック語を漢字で表示してあるのを、日本語の発音に直した。(1)にでるウルカイシは、1989年6月4日の天安門事件の際の学生指導者の1人の姓と同一である。現在、その学生指導者はアメリカに亡命し、滞在している。)

初出誌情報

トホティ 1991「姓名論雑考:3.中国?ウィグル族・ハザック族および漢民族」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第1号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.78-81.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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