姓名論雑考:韓国人

李妍淑

子供の頃、髭の長い祖史から「姓は李で、本貫(ボンガン)は慶州(キョンジュウ)だよ」と教えられた。しかし。幼い私には「本貫」というものがなかなか理解できず、何度も何度も繰り返して、その意味をたずねた覚えがある。

姓とは血なり

韓国人の社会は、父系血縁共同体意識が著しく強い。それは人々の意識においてだけではなく、国家がそれを強く支持しているからである。韓国人の戸籍には本籍とは別に、必ず「本貫」を記載しなければならない。「本貫」とは、祖先の発祥の地をさす言葉だが、現実の地名を表すというよりは、血縁共同体のレッテルのようなものになってしまっている。というのは、その出身地は大昔の、場合によっては何千年も前の神話や伝説の世界に近いものになっているので、ほとんど現実感は薄いからである。

韓国人の姓の種類はそれほど多くはない。多めにみても500は越えないだろう。その中でも〈金(キム)〉、〈李(イ)〉、〈朴(パク)〉の三つの姓が全体の3分の1以上を占めている。そこで、父系血縁共同体にとっては、〈姓〉だけでは不十分であり。上に述べた「本貫」を加えることによってはじめてその共同体の識別機能が現れる。このようにして韓国の法律では、同じ姓で「本貫」を同じくするもの、つまり「同姓同本」同士は近親だと判断し、婚姻を禁じている。例えば、同じ金氏同士でも、〈金海(キムヘ)金〉氏と〈清州(チョンジュウ)金〉氏は夫婦になれるが、〈金海金〉同士、〈清州金〉同士は夫婦として認められない。しかし、「同姓同本」の範囲はかなり広いので、実際には「同姓同本」を見分けることは大変難しい。そこで、「同姓同本」の若い男女が悲劇的な恋愛に陥ることが少なくない。

韓国人もまた韓国の法律も、「姓」とは血のようなもので、その中には先祖の歴史が刻み込まれているものと考えている。つまり、先祖から受けついだ血を勝手にかえることができないように、父親からもらい受けた姓は一生かえることができない。もちろん女性も、結婚しても、離婚しても、姓はかえられない。どんなに夫唱婦随を美徳に思う女性でも、「夫婦別姓」を守るしかない。また、娘だけがいる家でも、婿養子をとることは法律で許されない。韓国人がいまでも、あれほど男の子を産みたがるのも、この「姓」制度と深い関係がある。

「姓」と「本貫」は、また韓国人の名さえも支配している。「同姓同本」ごとに、どのような名をつけるかという原則が厳しく定まっている。だいたい世代順に木、火、土、金、水の五行に基づく1字を名に入れなければならない。韓国人の名はほとんど2字だが、このように1字はすでにきまっているので、他の1字だけが自由にできる部分である。例をあげてみると、金氏の中で一番多い〈金海金〉氏の家に子供が生まれたとする。その家では、まず〈金海金〉氏の何代目かを確認する。それは非常に簡単なことだ。なぜなら、父親が15代であれば、子供は16代になるからである。そして、16代に与えられた字を入れた名をつける。もちろん、字画数や音の感じを考慮し、祖先や上の世代の者がすでに用いた字を避ける。このようにして名をつけるので、もしまったく知らない「同姓同本」の人にばったり出会ったとしても、その名によって序列がわかる。

しかし、女性だけは……

しかし、このような名のつけ方は、あくまで男にあてはまることで、女の場合にはめったにこの「序列」方式をとらない。女の名はもっと気軽につける。「○美(ミ)」、「○淑(スク)」「○姫(ヒ)」などの、女らしさを強調するものが多いのは日本と同様であろう。しかし、女の名は結婚したらほとんど無用なものになる。というのは、母親になると、子供の名前で呼ばれるからである。例えば子供が「英沫(ヨンス)」だとすれば、「英沫の母」というように呼ばれる。子供がいない既婚女性は、実家の地名に宅(テク)をつけた呼び名がある。実家が「釜山(プサン)」だとすれば、「釜山宅」になる。

姓への執着を強めた歴史

このようなわけで、韓国人は姓名に強い執着をもっている。他人に自分の気持ちや決心がいかに堅いものかを訴えるとき、「もし、私がこの約束を守らない場合は、姓をかえてもいいんだよ」といったいい方があるくらいだ。

こうした韓国人の姓名に関する執着をいっそう強めたのは、日本の支配下に行われた「創氏改名」の記憶であろう。「創氏改名」は韓国人にとっては、「どんなに」しても受け入れがたい屈辱の歴史であった。〈李〉が、いきなり〈木下〉に、〈金〉が〈金田〉等々にかえさせられた。

しかし、この「創氏改名」の悪夢は、韓国人の名にある独特のタイプを残すことになった。「○子(ジャ)」がそれである。今日、40歳以上の女性の名には「○子」が大変多い。4、5年前、日本を初めて訪問した全(チョン)大統領の夫人の名も「順子(スンジャ)」であったため、日本のマスコミが「ジュンコ」と読まないようにと、ふりかなをつけるなど細心な注意をはらった。

韓国南部の農家風景

韓国社会の特徴を一言でいえばと問われたときに、たいていの人が「血縁社会」だと答えるだろう。そしてその特徴を一番鮮やかに反映しているのが、姓名である。韓国人の姓名は、ただの固有名詞の意味をはるかに越えて、韓国社会の基本的な構造を映し出す鏡であるといえるだろう。

初出誌情報

李妍淑 1991「姓名論雑考:1.韓国人」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第1号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.74-75.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、掲載当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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