タブー、マナー、エチケット:イスラーム圏―聖典とタブー

四戸潤弥

(1)タブー、エチケット、マナーという語の使用の難しさ

ポリネシア地方のタブー(あるいはタブー)という語は禁忌という日本語に訳される一方、そのまま外来語として用いられている。フランス語起源のエチケットや英語語源のマナーも、心得とか、礼儀という日本語に訳されるが、同じように外来語としてそのまま日本語で用いられる。

語源を異にした3つの語のもつ意味を、ひとつのテーブルである日本語で理解するか、あるいは本来の意味で理解するのか大いに迷うところである。それというのも外来語として理解する場合、その理解は印象的なものになり、本来の意味で理解するとすれば、この場合、その語が内包している意味がある「秩序」体系の一部。を成しているためひとつテーブルで論じるのには無理があるのではないかと不安を抱かせる。

外来語として理解する場合、その意味が印象的なものになるのは、用例がきわめて多岐にわたっているからである。

タブー、エチケット、マナーの語は外来語として日本社会に浸透し定着しているがゆえに意味が印象的である。タブーを例にとれば「政治的タブーである」とか、「タブー視されてきたものを破って挑戦した」など原義のイメージから拡大解釈をなされている。

エチケットもまた、「一女性のエチケット」とか、「エチケット云々(商品名)」とか、洗練されたイメージを植えつけるために拡大解釈されて用いられる例が多い。

そしてマナーは紳士淑女のわきまえるべきものとかとしてのイメージで、「ドライバーのマナー」とかいった意味で使われたりしている。こうした点から中東のタブー、エチケット、マナーをどうとらえるかとなると原義にそうのか、あるいは日本語で使用されている用法を基準にとるのかと迷いが生じるのは当然であろう。

次に問題となるのは、タブーがミクロネシアの未開民族の調査から知られた語であることから、タブーは理性的判断が到底できない世界の語と見られていることである。そして遅れた社会のイメージを与える否定的な要素をもっている。実際はそうでなく、このミクロネシアの民族の文化秩序がきわめて理知的であることは調査で分かっているのだが。日本人は中東地域を遅れた地域と見ているからタブーという語に違和感を抱かないだろうが、中東の歴史をいささかでも学んだ者にとってはどうも使いにくい用語なのである。

中東は4大文明のうちのエジプト文明、チグリス、ユーフラテス文明の起こった地域であり、地中海世界の文明の一翼をになってもいた。また西欧キリスト教文明はアレキサンダー大王の東方遠征によって生じたヘレニズム文明の、セレウコス朝シリアを母胎として培われた。

さらにユダヤ教、キリスト教、イスラム教、その他の宗教の発生の地でもある。こうした高度な文明をもつ地域が、現代においてなおも宗教的な色彩を色濃くもつ地域であるゆえに日本人が不可解の意味で使っているタブーという語を適用できるということに違和感を覚えるのは正しくないことであろうか。

(2)語源を異にするものを統合する

タブー、エチケット、マナーという語の共通点は秩序を維持するためのルール(規則)である。そしてタブーとエチケット、マナーとの問を分けるものは、タブーがその遵守を強制力をもって行わせようとするのに対し、エチケット、マナーの規則の遵守にはそのような強制力が含まれないことである。

タブーの規則においては行うように強制され、それを行わない場合にはなんらかの処罰がなされる、あるいは行わないことが強制され、それを行った場合にはなんらかの処罰がなされる。この処罰が神愚りの呪いのようなものと考えてならない。呪いでは処罰の実行が保証されないからである。

エチケットやマナーの領域では行ったり、控えたりすることがよいことであっても本人の意思に任されており、処罰はない。そして行ったり、控えたりことが非難されることであても本人の意思に任されて処罰がなされない。

このように語源を異にする語の交通整理を行うと、高度に発達した文明地域といえる中東の社会秩序がようやく視野に入ってくるのである。

また日本語の訳としては次のような交通整理も必要に思える。

タブーはミクロネシアの原住民の宗教文化の中に見いだされた用語で、触れてはならないもの、侵してはならいないものを対象として、それは神聖なものと、忌み嫌われるものとに分かれる。

エチケットはフランス語で、文化的な人間が守るべきものであるが、わきまえていない場合には非難の対象となり、わきまえている場合に評価の対象となる。

マナーもエチケットに近いが、ある場合には流儀と訳されるように、ある特定のグループに重要視される場合もあり、ニュアンスを異にすると言える。

これらを日本語を背景にして訳せば、タブーは禁で、エチケット、マナーは礼儀作法となる。

禁は中国語で、皇帝のいるところを紫禁城というように聖なる意味で使われる場合もあり、また同時に禁止、禁制の品など否定的な意味で使われる。

ともにこれを犯したり、破れば強制力をもって罰せられる。

こうして私は、与えられたテーマを、中東地域における、禁と礼儀作法と書き換えることによって違和感を解消して論じられるのである。

(3)中東における政教分離

中東における禁と礼儀作法は政治の領域も含み、それは権利の保障と密接に関係している。

中東地域は政治と宗教が分離されていない地域といわれる。この言い方が、中東をさらに遅れた地域としての印象を深くさせる。

イランのホメイニ革命に代表されるように、中東では20世紀の終わりに再び宗教国家が出現した。それは、イスラーム原理主義や過激派に影響を与えたばかりか、スーダンに同じような宗教国家を出現させた。さらにアルジェリアでも出現させようとしたが軍部が武力で封じた。

イスラームという宗教国家の出現がイランにおいては大衆革命によるものだった。スーダンはクーデターを背景にしてはいたが、その手段は選挙を通じてイスラーム勢力の結集が図られてなったものである。アルジェリアの場合には選挙である。地方選挙、総選挙の椴階で勝利したことを契機に、イスラーム国家へ移行しようとする寸前で軍部が力で抑えつけた。

欧米や日本でも大衆の支持があったことから、今度は大衆を宗教的で、遅れた世界の民と位置づけようとしている。

宗教政権だからといって、それが神愚り的に呪術の政権であると思う人はいないだろうが、宗教が入り込むと遅れているという日本社会のなかでのイメージが問題なのである。

そもそも政教分離というのはヨーロッパの歴史のなかで成立した概念である。それは教会と王権との闘争から始まり、ブルジョワ市民の勝利で終わったヨーロッパの問題であったが、それが科学技術の発達とあいまって、科学を否定するのが宗教であるというイメージが定着している。

だが歴史はまさにその反対のことを証明もする。学問の始まりはどこでも宗教にあった。インドの論理学も宗教を起源にしているし、ギリシャでも霊魂論を中心として宗教を抜きにした学問はなかった。

だから中東の人々にとっては政教分離の考え方は西欧との外交で不当な扱いを受けないための使用する用語でしかない。彼らの政治生活をみれば、政治行動がイスラーム教を基礎として倫理、道徳の基準で論じられている。

宗教は秩序をつくりだすという意味で政治的である。そして秩序とは規則によって維持される。

中東地域をみる場合には、宗教を抜きにして考えられないからといって、否定的なイメージを抱いてしまうなどという態度から解放されなければならない。

(4)強行規定と任意規定

法律を学ぶ学生はまず、法律の扱う事項とは何かについて学ぶ。そこで世の中のあらゆる事象で法律が扱う事項とは、禁止行為をした者、あるいは義務行為を行わなかった者に対して強制力で、禁止行為を行わないようにさせ、あるいは義務行為を行わせる事項である。これに従わない者に対しては最高刑で死刑を含めた罰則規定がある。これを強行規定という。

一方、社会の一員としての常識に入る事柄は倫理、道徳のなかに含まれる。それらの違反者に対しての評価はあるものの罰則規定はない。これを任意規定という。

さらに強行規定も任意規定も効力のない分野がある。何を趣味にもつかなどは強行規定も任意規定も効力のない分野である。

さて政教分離しない中東の人々のイスラーム教では、強行規定をワージブ(義務)とハラーム(禁止)という語で呼び、任意規定をマンドゥーブ(推奨される行為)、マクルーフ(嫌悪される行為)と呼び、強行規定も任意規定でない分野をムバーハ(許された領域)と呼ぶ。

イスラーム教を論じる場合、従来、強行規定と任意規定という枠組みを使用せずに、イスラーム法規準を義務、禁止、推奨される行為、嫌悪される行為とそのまま直訳して紹介されてきた。そのことが中東社会をますます、訳の分からない宗教で運営されている社会とのイメージを与える結果に終わってしまっていた。

これまで政教分離をしない中東社会の行為判断の基準を、法律的概念を用いて位置づけることがなされなかったのは非常に残念なことであった。それがなされていたならイスラーム法を比較法の分野にかなり早い時期に取り込むことができ、その視点から中東を多面的に分析できていたことだろう。

(5)強行規定と任意規定の位置づけ

イスラーム法の強行規定とは神の命令したことであり、それは彼の宗教の教典である、『クルアーン』のなかにある。

任意規定はイスラーム教の預言者で神の御使いであるムハンマドの言行のなかにあり、それは預言者言行録(ハディース)に記録されている。

これに加え、任意規定は預言者ムハンマドの弟子(サハーバ)たちが、ムハンマドの教えを実践したなかに見いだすことができる。これは預言者言行録の中か、あるいはその他の文書によって知ることができる。

これらの中から主要なもの2、3紹介するが、その前の神の命令の実行がそれほどたやすくない事情を述べた預言者ムハンマドの言葉を紹介したい。これは非常に有名で、アラブ人イスラーム教徒であれば知らない者はいない。

アブーヌァイムが私たちに話した。ザカリヤーがアーミルを経て聞いたことを私たちに話した。

彼(アーミル)は言った。私はアンヌァマーン・ビン・バシーリが次のように言うのを聞いた。

私(アンヌァーマン)は神の御使い(神が彼を祝福し守られますように)が次のように言うのを聞いた。

「許されていることは明らかであり、また禁じられていることも明らかである。そしてその2つの問は、多くの人が知らない疑わしいものである。疑わしいものを催れる者は自分の宗教と名誉を守る。疑わしいものに巻き込まれる者は、たとえば、(誰かが所有し、近づくことを)禁じられた草地の周りで羊を放牧する牧童のような者である。牧童はそこへ入り込んでしまう一歩手前の状態にある。そうではないか?王には他人が入り込んではいけない土地がある。そうではないか?神のものである地上の、誰もが入り込んではいけない神の土地はイスラーム教徒が侵してはいけないものである。そうではないか?人間の身体のなかの肉の部分が健全であれば、身体全体が健全である。その部分が腐敗してれば身体全体が腐敗する。そうではないか?その部分とは心である。」

(『預言者言行録』ブハーリー編纂 信仰の書37章)

このハディースは、預言者ムハンマドが語ったのをヌァマーン・バシールが直接聞き、それをアーミルという人が語ったのをザカリーアという人が話した。それをイラクの都市クウファの住人アブファイムという人が覚えていたのをブハーリーというハディース学者が編纂して本に採用したものである。

ブハーリーはアブー・ナィームと直接会ってはいない。

このハディースに語るところによれば、神の命令ははっきりしている。何が禁止され、何が許されることか。しかし問題となるのは、具体的適用においてその境界線の理解である。

禁止行為なのか、そうでないのかあいまいなことが多いのが現実である。したがって信仰篤き者は、判断できない行為であるなら控えるのが望ましい。このようなことを教えている。

これがタブーに関するイスラーム教の態度である。例をあげよう。イスラーム教徒は神以外の名前を唱えないで屠殺された肉を食べてはいけないと『クルアーン」に規定される。一神教であるイスラーム教においては他の神や偶像を否定していることからこのような命令が啓示されたのである。では神の名前を一切唱えないで屠殺した肉はどうなのか。それは一神教を否定してない。しかし肯定しているかどうかは分からない。

一神教である教えは明白である。しかし一神教をより強く解釈するのかどうかの立場で答えは違ってくる。偶像崇拝や多神教でないのだから、神などの名前を一切唱和しないで屠殺した肉は一神教を否定していなのだから食べてもよいとの判断は可能である。

このような場合、イスラーム教は禁を犯す一歩手前にあるのだから控えた方がよいと教えている。だが禁止しているのではない。ここに合法と非合法との間の事柄のむずかしさがあるといっている。

このような見方は非常に合理的である。

(6)強行規定と任意規定の具体例

イスラーム教ではタブーはすべて強行規定の領域のことである。

食物に関する規定では豚肉を食べてはいけない。婚姻ではいとこ同士の結婚は奨励されるがそれ以上近い親族関係をもつものはたとえ法的な義理の関係であっても禁止される。4人妻は許されるが、姉妹を同時に妻にすることは禁止されている。

婦人に対し証拠もないのに、不貞の女、不倫の女とセクハラめいたことを言ったものは処罰される。

強行規定では、借金は困っている者がするのだから利子の取得は禁止される。そして任意規定では借金の帳消しはできればした方がよいと奨励されている。食事では、「いただきます」はビスミッラー(神の御名において)という表現を用い、「ごちそうさま」はアルハムド・リッラー(神にたたえあれ)という表現を用いるのがマナーである。

会食では近いものから食べる。

集まりでは割り込んで座らず、空いてる場所に座る。人と人の輪の鎖を断ち切る行為は非難されるのである。

その他数多いエチケットやマナーに相当する規定があるが紙面の都合で割愛する。

最後に多くの人が質問する、「なぜイスラーム教徒が豚肉を食わないのか?」について述べよう。神が命令したからが最終的な答えであるが、それを聖典『クルアーン』にもとめれば次の箇所を見いだすことができる。

「言え、神の呪いと怒りが神のもとでの報いとして、それよりもっと悪いことがあったのをおまえたちに知らせようか?彼らは猿と豚に変えられたのだ。神以外のものと礼拝する者、こういうものは最悪の場にあり、正しい道を最も踏み外した者である。」

(『クルアーン』食卓の章60節)

ユダヤの民はモーセの物語にも示されているように神の導きを受けながら偶像崇拝に走り、 神を裏切った。だが神はそのような裏切りのユダヤ人たちを幾度となく許し、ご自身の怒りを抑えられた。旧約聖書全体が導きと裏切りの繰り返しの歴史である。神は怒り懲罰を与え、許された。その懲罰の一つとしてユダヤ人たちは猿と豚に変えられたのである。

したがってユダヤ人はあるとき豚になった。であるなら豚を食べることは共食いになる。したがって豚肉を食べることが禁止になった。こういう説を唱える人たちがいる。この主張は、『クルアーン』を根拠にしているだけに考慮にあたいするといえよう。

[参考文献]

a1-quraAn

‘umda (t)u-l-qaAriy (’)

fiquh sunna li sayyd saAbiq

majalla (h) ’aKkaArni-(shsh) ar’iya (h) li abdul-wahhaAb abu sualimaAn, Britanica.

初出誌情報

四戸潤弥 1994「タブー、マナー、エチケット:イスラーム圏―聖典とタブー」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第4号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.128-133.

お読み下さい

ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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