タブー、マナー、エチケット:タイ―カレン民族の人称

吉松久美子

誰を何と呼ぶか。これはどの文化においても繊細かつ厳格な問題である。もし学生に「ヨシマツさん」と呼ばれたら、私は間違いなく、なんだコイッは、と身構えるであろうし、ましてや「クミコ」などと呼び捨てにされようものなら、ムカッ、と顔が引き吊ることは確実である。「クミコ」と呼ばれて、不快感を示さないようなら、相互関係に劇的な変化があったと明示することになるであろう。

だから、例えば、母親のことを「アンタ」と言ったり、「ミサエ」などと呼んだりすることが、社会問題としてかしましく論じられるのである。確かに、会話の相手を二人称の「アンタ」で示すことも、個人名で指し示すことも文法的には誤りではない。しかし、日本文化では「なんていう子だ」ということになる。日本文化は決してそれを肯定していないのである。

文化を研究する文化人類学は、このような呼び名の問題に初期から非常な関心を払ってきた。それは親族名称という一分野を確立させたほどであった。誰を何と呼ぶか。特に親族の呼び方は、社会組織の思わぬ相違を明らかにする。

例えば、従兄弟(いとこ)をキョウダイと呼ぶ文化がある。アメリカインディアンの多くの部族は、ハハという名称を母親の姉妹にも同じように用いる。つまり、同じハハから生まれてきた子供たちであるから、当然、その子たちはキョウダイとなる。そして、キョウダイである以上、結婚はできない。また、一方、アフリカのヌエル社会のような厳格な父系社会では、離婚によって婚姻関係が切れると、元妻が再婚し、再婚後に生まれた子供たちであっても、前夫の子供たちとの血縁関係はまったく認められない。ゆえに、彼らの結婚は可能となる。日本では彼らを、父親は違っていても、やはりキョウダイと呼ぶ。正確には異父兄弟と言うのであろう。そして、キョウダイである以上、当然、結婚は許されない。

このようにキョウダィの結婚が同様に禁止されていても、その対象は文化によって異なることになる。呼び名が違うからである。呼称というのは何も結婚相手を限定するだけではない。日々の態度すら決定付けることになる。私たちは決してハハとオバに対して同じ態度は取らない。ハハには母親として、オバには叔母さんとして対応するはずである。呼称はこのように、どの文化にあっても、それ相応の振舞方が要求される。だから、日本で母親を「アンタ」と呼んだり、「ミサエ」などと呼んだりすることが問題視されるのである。呼称の決まりを破るということは、結婚の場合のように厳罰に処されたり、日本の場合のように「なんて子なの」と非難されたり、さらにもっと軽ければ、「礼儀知らず」と嫌な顔をされることになる。そして、どの文化でも決して歓迎されないことだけは確かである。

では、私が文化人類学のフィールドワーク中に出合った呼称の礼儀作法にまつわる面白いエピソードを紹介しよう。私は1986年から88年にかけて、一年半の間、チェンマイの北西部に位置するあるカレン人の村で彼らの文化を調査していた。カレン人はミャンマーからタイの国境沿いに広く分布する民族である。その人口はミャンマー側に250万以上、タイ側には25万と推測されている。その時のフィールドノートに次のエピソードが記されている。私は村では助手としてタイ人の青年を一人連れていた。

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カレン語では、妻を「マ」、夫を「ヴァ」という、と教科書には書いてある。カレン人に聞けばそれで正しいという。私も、「あなたの旦那さんはどこにいますか」と、

「ヌ・ヴァ・レスロ?」

と聞く。答えはいつも返ってくる。でも、なんだかおかしかった。若いのが何か奇妙に喜ぶ。私も伊達に人類学を勉強していない。だから、他の言葉で置き換えられる場合には、あえて使うのを避けた。

だが、助手君は人類学の訓練を受けていないし、それほど文化に対して過敏でもない。こりゃ、便利な言葉だと、「ヌ・マ」(あなたの奥さん)と、「ヌ・ヴァ」(あなたの旦那さん)をタイ語の気楽さで多用する。私の方も、なぜ変なのかを説明できないまま、放っておいた。

村に住み始めてからすでに6ヶ月もたったある日、ナ老人の妻ノナブ婆さんから呼び出しがかかった。名目は彼女が蒸留した焼酎を飲みに来い、ということである。私と助手君はせっかくの好意だから、と出向くと、家のベランダには、北タイ語がうまい彼女の義兄がいた。彼はすでにかなり酔っぱらっている。ノナブ婆さんが彼に合図して、どっこいしょと奥の部屋へ消えた。

そして、その老人が北タイ語で始めた。「マやヴァは使っちゃいかんよ。とくに、年上には絶対いかん。聞くだけで不愉快になる。そんな気軽に奥さんどちら、旦那さんどちら、なんて言っちゃいかん。分かるか。マというのは妻という意味もあるが、ありゃ、性器を意味するんじゃ。つまり、ヴァはペニス、マは……、」と北タイ語の用語を使う。

「カレンじゃ、ム(感じよく)に話すことが大切なんじゃ。ムに話せない奴は嫌われる。分かるか。ヴァはペニス、マは………、」とだんだんくどくなる。

助手君は事の成り行きに面喰らって、

「じゃあ、奥さんはどちらに、とか、旦那さんはどこへ、は何て言えばいいんですか。」

「いや、言っちゃいかんのだよ。言っちゃいかん、そういうことは。最近の若いヤッらは恥知らずにも平気でそういう言葉を使う。まったく困ったヤツらじゃ。まあ、若者同士で話すときは、勝手にさせとけばいい。じゃが、年上には絶対イカン。とくにわしらは聞くだけで不愉快になる。」

とくり返す。

人類学者としては面白い成り行きになったと思った。呼称というのは文化の大切な手がかりになる。結局、無難には「叔父さんはどこ」「叔母さんはどちらに」と「パティ(叔父)」や「ムガ(叔母)」を使えばいいらしい。だが、ある個人を指す場合には、「シャビロのお父さん」「シャビロのお母さん」「シャビロのお爺さん」「シャビロのお婆さん」と長子や初孫の名を付けて呼ぶのである。カレン社会では、子供の時代には名前で呼ばれるが、結婚後は妻と夫ではなく、母と父なのである。だから、妻と夫という言葉は、性器の隠語の意味しか持たないのである。

それは夫婦間でも徹底していた。ある女性が、「シャビロのお父さん、来てませんか。」と夜半に訪ねてきた。このシャビロのお父さんというのは、何も赤の他人ではなく、彼女の夫その人なのである。夫婦間の呼び名でもこのように使われるのである。この教育的指導は、思い余ったノナブ婆さんの発案だったらしいが、外国人が庭前にきて、

「おタクのオチンチンどこにイマースカ。」

なんて、変な日本語で聞かれたら、やっぱり、あんまりダ、になるだろう。笑うに笑えぬ冗談だった(1)

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ここでは、カレン文化の呼称に関する約束事がはっきりと示されている。そして、その決まりを破った私たちが、不作法者として教育的指導を施されたことがよく分かる。しかし、それだけではない。ここにはカレン社会がどのように組織化されているかという社会構造の特徴も明示されているのである。そして、その方が礼儀作法より、実は、はるかに重要なのである。

文化人類学では、このような子供に基づく呼称法をテクノニミーと呼び、深い関心を寄せてきた。例えば、これを民族の呼称体系に内在する欠陥、つまり適当な呼称がないために生じた現象として解釈したり(2)、個人名は二次的で社会の構造に組み込まれていないから、とか、出生で新たな成員を獲得した代わりに、親が「死ぬ」のである(3)、などと解説されたりしてきた。

過去の研究を鑑みながら、カレン文化がテクノニミーを用いる理由を推測してみよう。さまざまな場面で人の行動を律するために血縁上の幼長が言及されるカレン社会では、テクノニミーは世代間の階層を明らかにする役割をまず担う。例えば、キョウダイがたくさんいて、長姉の子・供の方が、末子よりも実年齢が上になった場合1でも、このテクノニミーを用いることによって1その血縁上の幼長を明示することができるので1ある。次に、家族にあって夫婦という横の単位やよりも、親子という縦の単位が重視される、ということである。テクノニミーによって、夫婦は愛し合う二人の男女というよりは、子を生んだ共同者という形で同一性が認識されるからである。そして、最後に、子供の誕生が人の社会∫的地位を変える、つまり上昇させる役割を担うということである。これは単に子孫繁栄を喜ぶ緒いうだけでなく、彼らの宗教と深い関わりがある。子を獲得したということは、彼らの宗教にあって死後の司祭を獲得したということになるからである。

このように呼び名という礼儀作法は、社会の構造を知る重要な手がかりと成るのである。

[参考文献]

(1)やまもとくみこ『ムがいっぱい』、農山漁村文化協会,1991年,188~190ページ。

(2)R.H. Lowie,Primitive Society, London: Routledge & KeganPaul,1921.

(3)レビストロース、C.『野生の思考』、みすず書房、1976年。

初出誌情報

吉松久美子 1994「タブー、マナー、エチケット:タイ―カレン民族の人称」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第4号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.104-107.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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