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研究部会

魏晋南北朝隋唐時代の注釈学研究


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研究班代表
三浦 國雄

本研究班は、昨年度までの「魏晋南北朝時代の注釈学研究」(代表:林克)を承け、「隋唐」にまで時代を延伸したもので、あらたに三浦と洲脇が加わり、三浦が代表を務めることになった。三浦は魏晋から唐代に至る道教経典の注釈法を、洲脇は顔師古を中心とする唐代の注釈学を担当する。いったい、魏晋南北朝の学術は、その時代の中で完結し後代に継承されなかったわけではなく、あたかも先秦の学術が統一国家・漢の時代に至って総括され熟成されたように、統一国家である隋・唐においても同じ現象が出来しているのである(たとえば唐の孔穎達『五経正義』を見よ)。しかしながら、魏晋六朝の学術がどのようにして隋唐に流れ込んだのか、その軌跡の様態を注釈学に即して具体的に検討するという作業は従来わが国の学界では殆ど行なわれて来なかったので、三浦は林と商量の上、本研究班を立ち上げたのである(『所報』No.15の林の報告を参照されたい)。本研究班の構想は以上であるが、本年(2009)4月に発足したばかりであり、各研究員はこれまでの自己の個別研究の深化に追われているのが現状である。研究班の代表としては、当面は各自の足場を固めるのが先決であるが、それと併行しつつ今後は班としての全体的な研究を活性化させねばならないと考えている。以下、研究員の個別研究を以て本年の活動報告に代える。
  
魏晋南北朝隋唐代の著名な本草書三書の注釈を対比し、それぞれの注釈の特徴の把握を試みている。魏・呉普の『呉普本草』は現在、原著の約半数の注釈が残存し、著作者の明らかな最初の本草書といえる。梁・陶弘景の『本草経集注』は原著が完全と言える状態で確認できる最初の本草書である。唐・蘇敬等の『新修本草』は個人的著作の前記二者と異なり、最初の敕撰本草書である。本書は宋代に『開宝本草』が出た後、中国では失われたが、江戸末期に原書の約半分が我が国で発見された。上記の如く、『呉普本草』『本草経集注』と『新修本草』では著作形態が異なり、同一レベルの比較は困難な側面もあるが、この三書に共通して残存する薬物を取り上げて注釈を比較し、三書それぞれの注釈の特徴を抽出している所である。この段階終了後は、三書の注釈の特徴を分析する予定である。(林克)

昨年度に引きつづき東晋時代の郭璞『爾雅』注を中心に研究を行なっている。本年(2009)9月から、中国の北京師範大学に私費留学をし、中国の専門家から訓詁学について指導を受けている。訓詁学は漢から唐にかけて隆盛した古典解釈の方法であり、この時代の注釈を研究する上で欠かせないものであるが、残念ながら現在の日本ではあまり熱心に研究されていない。また同時に、研究の基本となるテキストや、中国人研究者の論文その他の資料収集も行なっている。さらに、台湾中央研究院によって来年6月末に刊行が予定されている『近一百年日本経学研究概況   1900 2009年之回顧與展望』(仮称)に執筆を求められており、現在鋭意準備中である。私の担当は『爾雅』であり、1900年以降の日本における『爾雅』研究を回顧し将来への展望を示すものであるが、『爾雅』の注釈に対する研究の章を設け、その中で魏晋隋唐時代における『爾雅』注に対する研究についても論及する予定である。(関清孝、在北京)

一貫して、六朝時代の梁の皇侃が著した注釈書『論語義疏』を研究している。本書は南宋頃までに日本に伝来したとされるが、その後中国では亡佚し日本にのみ残っており、宋の時代に成立した『論語正義』の種本になったといわれている。現在、私は次の数点に注目して研究を進めている。まず、『論語義疏』に見える経文解釈の特徴を、『論語正義』との比較を通して考察中である。『論語正義』はどの点で『論語義疏』の解釈を採用しているのか、またその理由は何か。こういった観点から、『論語義疏』と『論語正義』の解釈の相違点を明らかにするつもりである。『論語義疏』が清朝考証学に与えた影響も私の研究テーマである。『論語義疏』は中国では亡佚したと考えられていたが、上に述べたように日本で発見され中国に里帰りを果たした。清朝の学者たちは『論語義疏』を見て驚愕し、さかんに研究を行なった。彼ら清朝考証学者の研究を通して、『論語義疏』が当時の校勘学にどのような影響を与えたのかを解明することが次なる私の研究課題である。(大坊真伸)

現行の『文選』李善注には、『文選』に『漢書』所収の作品が多く収録されていることもあって、『漢書』の代表的注釈である唐の顔師古注が間々引用されている。この現行の李善注に引用されている顔師古注については、先行研究によって後人或いは李善自身が一旦完成した後に増補したものであることが既に明らかにされている。しかしながら、その混入の経緯や経路については未だ不明な点が多い。そこで、その顔師古注はどのような経緯・経路を経て現行の李善注に増補されていったかを、注釈者名の表記方法を手がかりに検討した。その結果、「顔監」と表記されるものは、敬播(秘書監であった顔師古の部下)による『漢書』顔師古注の節略本から孫引きされたもので、増補された時期は比較的早期(遅くとも宋代には渉らず)であること、また「顔師古」と表記されるものは『漢書』顔師古注から直接引用され、増補された時期は早期から後期(板本李善注成立期)に至る、幅広い時間にわたる可能性のあることが確認できた。以上は、2009年11月14日に開かれた人文科学研究所主催の「研究班報告会」で発表した。(洲脇武志)

代表三浦の本研究班におけるテーマは、林旧代表が所報前号(No.15)で述べていたように魏晋六朝から隋唐に至る道教経典の注釈研究である。道教研究は近年、本場中国はもとより、欧米・台湾・香港の各地域で活況を呈しつつあり、本邦でも今年(2009)11月、東京大学において日本道教学会創立六十周年の記念行事が開かれ、新しい研究段階に入ったばかりである。すでに、経典、教義、宗派、儀礼、身体技法といった重要項目について研究は進展しているが、私の見るところ、方法的な問題として注釈学からのアプローチはまだ一般化していないように思う。周知のように、中国の学術は原典に対する注釈という形態を取って展開してきた。儒学では経学となり、諸子百家では諸子学として歴代厖大な注釈が生み出されたが、このスタイルは道教・仏教でも導入された。たとえば、林旧代表が所報前号で三浦の研究対象として挙げている、霊宝派の重要経典『霊宝无量度人上品妙経』には、北宋の道士・陳景元が編纂した所謂四註本が存在し、六朝から唐代へと歴代書き継がれてきた注解の痕跡を今に伝えている。一般に、原典が主で注釈は従だと考えられていて、それはその通りなのであるが、注釈学においては実はそれが逆転しており、そこでは、いわば天空の「月」(原典)ではなく、月を指し示す「指」自体(注釈)が主役になるのである。こういうスタンスで道教経典を捉え直したいというのが私の構想であるが、遺憾ながら当所報に記載しうる程の成果はまだ生まれていない。(三浦國雄)


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