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研究部会

伝説と史実-武蔵地域を中心とした
古代・中世東国史の再検討-


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宮瀧 交二・磯貝富士男・小林 敏男



本年度の本班の研究成果は以下の通りである(11月末現在)。

宮瀧は、本学東松山キャンパスが位置する比企を中心とした地域に伝わる古代の伝説について検討を進めている。既に柳田国男が指摘しているように、昔話とは異なり、伝説が誕生した背景には明らかに史実(歴史的事実)が存在しており、地域史研究に際しての貴重な史料として伝説を再評価することが重要である。例えば、古代武蔵国には渡来人が数多く居住し、奈良時代には全国的にも例を見ない高麗郡、新羅郡といった朝鮮半島の国名を冠する郡が建てられたことでも知られている地域であるが、現在、比企・入間地域を含む埼玉県西部地域には白髭神社が数多く存在し、渡来人との関係を示す伝説も遺されている。このような伝説を科学的に解明し、その成果を地域史研究の中に正しく位置付けることが課題である。本年度は文献史料の渉猟作業を中心としているが、次年度にかけては、現地踏査を並行して実施し、伝説の影に存在する古代の史実を解明していきたいと考えている。
  
磯貝は、岩殿観音参道入り口近くにある弁天池地域に明治初年まで存在していた阿弥陀堂やそれがあった地域の歴史や阿弥陀堂で行われていた宗教行事についての考察を行った。特に阿弥陀堂に安置されていた阿弥陀如来像について、かつて岩殿山山上の観音堂の側の阿弥陀堂にあったが、永禄年間兵火に罹ってから以後その居を山上で転々とし、元禄年間に弁天池側に阿弥陀堂(当初は仮屋、後に本作り)が作られてから以後そこに遷されることになったという事情を明らかにして、その阿弥陀堂が鎌倉時代初頭にまでさかのぼって弁天池側に存在していたとする現在強力に主張されている見方への反証をおこなった。その成果は、11月14日に開催された本研究所の研究班報告会で報告したが、詳細は本年度末に発行される『人文科学』に掲載する予定である。
  
小林は、埼玉県行田市、深谷市にある村と社こ常よ世ぎ姫ひめ神社(式内社名、河内国大県郡にみえる)がどのような理由で八王子権現から由緒ある現在の常世姫神社を名乗るようになったのかを課題として検討した。明治期の神社行政や国家や神道思想の問題もからめての解明である。この問題は、同じく行田市の前玉神社(前身は浅間社)や、北埼玉郡騎西町にある玉敷神社(前身は久伊豆神社)の場合も同様であり、いずれも式内社の由緒ある神社名である。小林が以前課題とした善光寺(長野県長野市)の問題でも、善光寺の背後にあった年神堂としがみどう(仏の歳越し堂という言い伝えがある)が明治の神仏分離の過程で建御名方富命たけみなかたとみのみこと彦神別ひこかみわけ神社(式内社)となって、南東の城山の地に移され県社となっていた。これらは全国的な問題でもあるので、種々の研究業績を参照しながら、今後埼玉県(武蔵国)の問題にしぼって研究を継続する予定である。なお10月10日には、常世姫神社、前玉神社を含む地域の巡見を実施した。

なお本班3名の共同作業として本学東松山キャンパス周辺の比企氏や高坂氏などを中心とした中世、鎌倉・南北朝期の武士世界の復原という課題もあるが、10月24日には、妙本寺を初めとする鎌倉の比企氏関係の遺跡の巡見を小林、宮瀧が実施した。(文責:宮瀧)


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