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研究部会

「西周青銅器銘文研究」
班報告附西周時代の晋侯


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研究班代表
吉田 篤志

当研究班は、西周青銅器の銘文(=金文)を検討することによって、西周時代(約1050 B.C.~771 B.C.)の歴史や文化を理解することに努めている。毎月一回の研究会には、郭沫若の『両周金文辞大系考釈』(2002年の増訂版である『郭沫若全集』考古編第7・8巻本)を用い、彼の銘文に対する釈文(隷定)と注釈とを訓読しながら、近年来発表された研究の論著を参照して、その考釈(釈文・注釈)の是非や説解の適否を検討している。

本年度の進行状況は、宗周文(郭沫若が断代した西周期の162器の銘文)のうち、夷王期の5器(No.110季子白盤、No.111不、No.112侯鼎、No.113成鼎、No.114)の銘文を検討した。ただ、構成メンバーの体調不良やメンバーの親族の不幸等が重なり、研究会の回数が減ったために、計画していた進行予定通りにはいかなかった。

研究班の構成メンバーは、中林史朗・吉田篤志・進藤英幸・岡田脩・萩庭勇・成家徹郎の6名である。

なお、研究報告書として、成家徹郎『西周年代学』(2009年3月)を発行した。また、成家徹郎『説文解字の研究』(2010年3月)を発行予定である。(文責 吉田 篤志)

西周時代の晋侯 ―『公』銘文の「唐伯」は誰か―

「在北京博物館蔵青銅器の調査報告」(2006年度人文科学研究所「所報」の研究班報告)の中で、山西省曲沃県天馬―曲村遺址の晋侯墓出土の青銅器銘文には墓主が晋侯であることを表すものが多く、『文物』(1993年第3期・1994年第8期・1995年第7期)の報告に拠る各墓の墓主と『史記』晋世家の晋侯名・在位期間や周王の時代等に対応させた表を載せた。そこで9号墓の墓主に比定したのは、『史記』晋世家に、

(成王)於是遂封叔虞於唐。…唐叔子燮、是為晋侯。晋侯子寧族、是為武侯。武侯之子服人、是為成侯。成侯子福、是為厲侯。厲侯之子宜臼、是為靖侯。…靖侯卒、子釐侯司徒立。…釐侯卒、子献侯籍立。献侯十一年卒、子穆侯費王立。…穆侯卒、弟殤叔自立、太子仇出奔。…穆侯太子仇率其徒襲殤叔而立、是為文公…

とある「武侯(寧族)」である。「武侯」の1代前は「晋侯(燮)」であるが、任偉『西周封国考疑』(社会科学文献出版社、2004年8月)にはこれを114号墓の墓主に、また93号墓の墓主に「晋叔家父」か「邦父」の子を比定している。これに拠り再び各墓の墓主名や『史記』晋世家の晋侯名等を対応させて表にすると以下のようになる。

114号墓「 ? 」(晋侯 燮)? ~  ?成・康・昭王期
9号墓「 ? 」(武侯 寧族)? ~  ?昭末・穆王期
7号墓「 ? 」(成侯 服人)? ~  ?恭・懿王期
33号墓「馬」(厲侯 福)? ~858 B.C.孝・夷・厲王期
91号墓「喜父」(靖侯 宜臼)858 B.C.~841 B.C.厲王期
1号墓「(對)」(釐侯 司徒)841 B.C.~823 B.C.共和・宣王期
8号墓「(蘇)」(献侯 籍)823 B.C.~812 B.C.宣王期
64号墓「邦父」(穆侯 費王)812 B.C.~785 B.C.宣王期
93号墓「晋叔家父 or 邦父の子」(文侯 仇)781 B.C.~746 B.C.幽・平王期

近年香港で発見された『公』(図1)に「晋侯(燮)」に比定できる銘文(図2)が腹内底部に4行22字で記載されていた。朱鳳瀚「公与唐伯侯于晋」(『考古』2007年第3期)に拠って銘文の釈文を載せると、

公乍(作)(妻)姚
()。于王令(命)
昜(唐)白(伯)侯于晋。
唯王廿又八祀。∞

となり、その意味は「公は妻姚のために(この)を作った。ちょうどその時、周王は唐伯に命じて晋の侯とした。時は周王の廿八年。∞」であり、文末の「∞」は公の族徽号である。すなわち、この銘文は冊命(周王の臣下に対する命令)が記されたもので、この銘文の「唐伯」が唐叔虞の子の「燮」に比定され、「晋侯」と称する前は「唐伯」と称されていたことが分かる。周王は成王か康王のいずれかに当たるが、まだ未解決である。また初代唐叔虞の墓が不明であり、この解明が待たれる。(文責 吉田 篤志)


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