「沖縄そば(小)」を愛する人なら思わずニタニタしちゃう
上等スモール・ハッピネス
やちむん5thアルバム『そばとロックの日々』
.2003年11月23日発売
さてさて、沖縄は那覇のダウンタウン・宇栄原発の極上ポップグループ「やちむん」の5作目であります。今回のやちむんはSOBA+ROCK=そばロッカ。まるで大衆食堂のような温もり、島ゾウリのような肌触り、素潜りのようなコーフン。「沖縄そば(小)」を愛する人なら思わずニタニタしちゃう上等スモール・ハピネスの連続技。恋人たちの愛の救急箱に。ご家族の心の友に。ニッポンの危機管理に。一家に一枚、100%安心保障のやちむんです。
(プレスリリース用テキスト)
「沖縄そば(小)」を愛する人なら思わずニタニタしちゃう
上等スモール・ハッピネスの連続技
音楽評論家 篠原 章
幸せというのは相対的なものである。うなるほどのカネがあり、社会的地位も頂点に上り詰めていれば必ず幸せかというと、けっしてそうではない。一日数百円の食費で切りつめながら暮らす家族が必ず不幸かというと、これもまた真ではない。ほんのちょっとした幸せの積み重ねがその人の人生の豊かさなのだと思うのである。
ぼくの場合、乗車率200%の満員電車にすし詰めにされた朝の最大の関心事は、朝刊から読み取れる世界の幸不幸ではなく、ターミナル駅構内にある立ち食いそば屋で、少々濃い目の汁に浸かったそばにありつけるか否か、である。いつもの“天ぷらそば”にハシをつける瞬間のファンタジーを想像しながら、ニッポン資本主義を支えるサラリーマン・OL諸氏で恐ろしく混み合う車内の惨状に耐えているのだ。なんとか駅に着いて、最初の一口を味わう至福感といったらない。「これさえあれば苦難の21世紀も乗り越えられる!」と確信するほどである。端から見ればどうでもいいことなのだが、こうしたささやかな幸せを糧に人びとは生きている。それが現実の世界である。
音楽も「ささやかな幸せ」を演出する大きな要素だが、自分の身の丈にあった音楽を見つけるのは意外なほど難しい。たしかにスケールの大きな音楽もいい。自分の不幸を再確認するようなエレジーも認めよう。しかし、通勤途中の立ち食いそばのような、いやいや沖縄通の方々の心の琴線に触れる言い方をすれば、小腹が空いたときに食する「沖縄そば(小)」のようなポップがあれば、人生はもっともっと豊かになるはずである。
申し訳ないが、ぼくは世に先んじてそんなポップをとっくに見つけてしまっている。沖縄で活躍する “やちむん”がそれである。
やちむんと出会ったおかげで、ぼくはよそ様よりほんの少しだけ幸せ者になり、よそ様よりほんの少しだけ豊かな暮らしを送ってきた。アルバムがリリースされるたびにぼくその思いを強くしてきたのだが、5枚目となるこの『そばとロックの日々』にはさすがに脱帽した。そもそも“そば”と“ロック”という一見異質な言葉が平然と並べられているアルバム・タイトルからして尋常ではない。が、立ち食いそばを食しながら、あるいは冷や酒をあおりながら、アメリカン・ロックに浸かり、ブリティッシュ・ロックに溺れてきた世代のぼくたちにとって“そばとロックの日々”は大いに「あり」の世界なのだ。そんなぼくたちのライフスタイルが、ジャパニーズ・ロックやJポップの最良の部分を生みだしてきたのである。
そして、出来上がったばかりの音を聴いてみれば、これまでになく密度の濃い“上等スモール・ハッピネス”の連続技。ささやかな幸福感が一曲目からラストまで途切れることなくつづく。リーダー・奈須重樹の自宅でプロのエンジニアに頼らずレコーディングされた作品だけに、荒削りな部分もたしかにある。だが、やちむんの場合、そんなテクニカルなことはどうでもいいと思えてくるから不思議だ。聴き終わる頃には、何気ない暮らしの一瞬一瞬が愛おしくなっている。恋人も、家族も、古い友だちも、掛け替えのない存在に思えてくる。
『そばとロックの日々』はやちむんにとって紛れもない最高傑作である。このアルバムを聴かなければ日本のポップは語れないなどと大上段に振りかぶったことはいうまい。ただ、このアルバムを聴けば、あなたの顔の皺の数は確実に3本だけ減って、ちょっとだけ潤いに満ちたものになるはずである。そんな上質なポップに出会えるチャンスなど滅多にないと断言しておきたい。
(2003年10月23日記)