篠原章・連載面談記録「痔痔呆談」Vol.3
照屋家の知性/マリリン・マンソン礼賛/奄美慕情
【面談者 鷽蜂白】
鷽「センセーが呆れるほどウェブを更新していないんで、もう責める気にもなれないね。バカバカしくって。1年半ぶりとなれば、やる気がないって状態を通り越して、インターネットを信頼していないということじゃあないかと思うんだよね」
篠原「そういうことでもないんだけどね。ただ、ネットで飛び交う情報の価値に虚しさを感ずるときはあるな。垂れ流しっていう印象は相変わらず強いよ。その垂れ流しに自分も加担してるんじゃないかと不安になるよ。」
鷽「今さら何をって感じだね。何をいっても言い訳だよ。それよりね、この一年半何をしてたんだと問いたいね」
篠原「去年の7月に下川裕治さんと講談社文庫で『沖縄ナンクル読本』を出してから、ま、そこそこ適当に。大学はやっぱり忙しいから、表現する仕事にはやっぱり限りはあるけど」
鷽「朝日新聞で書評を始めたらしいな。俺、あんまり読んでないけど」
篠原「一月からね。今年は新しいことをいろいろ試みてきたんだよ。照屋林賢といっしょに“なんくるナイト”ってイベントを六本木のスィートベイジルで3回ほどやったりね。ゲストにわが師匠のひとり、細野晴臣御大を呼んだりもした」
鷽「あー知ってる知ってる。いつも俺、あのイベントのときは日本にいなかったな。俺にとってはそれほどおもしろくはなさそうなイベントだったけどね」
篠原「やりたいことの半分もやれていないので、大成功とはいえないけど、それなりに意義のあるイベントだったとは思う。“やっぱり沖縄モノは林賢でしょう”っていうスタンスがあのイベントの趣旨なんだ。現在の林賢は相当にアーティスティックなんだよ。そこをポップという土俵にもう一度帰ってきてもらって、沖縄ポップ・ブームに一石を投じたかったんだけど、思うに任せない部分もあった」
鷽「りんけんバンドはもう古いってことなんじゃないの?」
篠原「そうじゃないんだ。BEGINが去年、今年と前面に出ている感があるけど、彼らはいいミュージシャンであっても、ベストのミュージシャンじゃない。彼らの楽曲のセンスにも、こいつは厳しいなと思う部分もある。一歩間違えればたんなる琉球風演歌なんだ。夏川りみが証明しているんじゃないかな。彼女のコアには演歌歌手的な部分がある。それ以上でもそれ以下でもない。それはBEGINのもつ危うさでもあるんだ。たしかにBEGINの連中はいい曲も書くし、アンサンブルもいいけど、沖縄のポップや日本のポップに新しい刺激を与えるかといえば、まずほとんど何も与えないといっていいと思うよ。沖縄モノからの影響といえば、森山直太郎のようなアプローチもあるけど、ありゃダメだもん。やっぱり懐が浅い。その浅さをヨシとするファンに支えられているところは責められないけど、シンプルというより安直な印象も否めない。その点、林賢の懐の深さには目を見張るときがある。第一級だよ。上原知子はもちろん、林賢父の林助もね。彼らは皆、音楽芸能に対する姿勢が一段上っていう印象が強いね。ぼくはね、財政学の恩師の中村英雄先生に“重いものは軽くもて”と教わったんだけど、照屋家の人びとは沖縄音楽という重い伝統を軽く持つその持ち方を知っている。なかなかできないことだよ。そういう意味で彼らは驚くほど知的なミュージシャンだといえる。そこがはっぴいえんどにちょっと似ているね。だからこそ、ミュージシャン仲間の反発もあるし、沖縄マニアックの離反も招いたりするけど、結局、新しいモノは林助・林賢・知子のラインからしか生まれないと思っている。一方で伝統という重石をはずしたところに成立する沖縄のポップといえば、やちむんだよね。もう10年も同じこと言ってるんだけど、なかなか理解されない。でもさ、もう少しだよ。シノハラの妄想がリアリティに転化するのは」
鷽「確かにね、りんけんバンドを聴くと他の連中とはひと味違うとは思う。でも、ウチナーグチにこだわる限りはけっして進化しないよ。日本語でやらなくちゃね。やちむんもね、なかなかいい曲は多いけど、彼らが依然としてマイナーなのは、作品のねじり方や歌の巧拙と関係が深い。あれでもうちょっと素直な、つまりは大衆受けする歌を創って、歌がもうちょっと歌がうまくなれば、けっこう“買い”なんだけどね。それにしても“知性”がミュージシャンの基準だなんて、往年のジャズ・ファンが言いそうなことで、かなりアナクロだな。ポップに下手な知性はいらないよ。坂本龍一みたいになれってことかい?」
篠原「そうじゃない。伝統と現在と未来との三次元的均衡の問題だよ。そのあたり、論争しても無意味じゃない?鷽クンはさぁ、どっちかっていうとデカダンスを要素としてもっている疑似肉体派的なロックが好きなんでしょう?それだって知性が基準になっているという気がするよ。知に対する憧憬が歪んだかたちで現れている。ほら、マイケル・ムーアの“ボウリング・フォア・コロンバイン”にも出てくるマリリン・マンソン。鷽クンはファンでしょう?あれってポップとして聴いてもぼくはまったくつまらない。構造主義者と誤解されるのがいやだからほんとうはあまりいいたくないけど、あえていえば“ディスコンストラクティブ”。彼が映画のなかでムーアのインタビューに答えているところを見ると、こんなに知性のあるミュージシャンはまずいないんじゃないかと思うほど知性的。知性のあるヤツだからこそ、あんなにディスコンストラクティブなんだよ。未来も現実も見えてる。純粋にポップとして聴いたらつまらない音楽だけど、あれだけ知性のあるミュージシャンなら信頼してもいいって、ぼくのような男ですら思ってしまう。鷽クンはぼくのマンソン観を逆立ちさせたような聴き方をしてるだけで、土台は一緒という気がする」
鷽「またまた小難しいことをいっちゃって。ま、ぼくがマリリン・マンソンを好きなことは事実だけど、センセーがいうほど深く考えてるわけじゃない。自分が体験したこともない世界なのに、マンソンの歌にはどういうわけか郷愁を感ずるんだよ。ムーア作品のマンソンは格好良すぎって感もあるね。ああいうところでしゃべってほしくはない、というのがぼくの正直な感想だね。ところで、そうそう、遂に奄美を征服したって聴いたけど?」
篠原「いやいや、征服なんて滅相もない。奄美はね、これまで見たどの土地よりも大きな重荷を背負っているっていう印象だった。前号の対談でもいったでしょう。“奄美の民謡は、沖縄のスカスカなかまぼこじゃなく小田原の堅牢なかまぼこみたいだ”っていったでしょう。で、実際行ってみたら、奄美は小田原のかまぼこ的な場所であると同時に実に山寒村的な場所だったよ。詳しくはこのHPの“新立喰い魯山人備忘録南島慕情”を読んでよ」
鷽「そうえいば所得再分配がどうのこうのって話が懸案になってたよね」
篠原「懸案ってほどじゃないけどね。ただ、ぼくは世界の安定は所得再分配のあり方にかかってるっていうのが持論なんだ。貧困こそあらゆる罪の温床ということだよ」
鷽「ま、今日はぼくも疲れているので、このままマッサージにかかって寝るよ」
篠原「なんだかつまらん男になったね。これからっていうときに・・・」
2003年10月11日 ラディソン都ホテル東京・ラウンジにて
鷽蜂白(うそ・ほうはく)プロフィール
1971年台湾(台南)生まれ。父は台湾系米国人、母は沖縄に連なる日系ペルー人というヘンな家庭に育つ。名古屋の某高校・東京の某大学を経て米国ペンシルバニア大学大学院終了。専攻は社会学。詳しい正体は不明だが、コスタリカを拠点としながら主としてスペイン語圏のマスメディアに寄稿していると自称。福建語(台湾語)、北京語、広東語、日本語、スペイン語、英語が堪能らしい。台南近郊で海老の養殖を手がけているからカネはあると豪語している。海老ビジネスのために年に5回から6回来日。篠原とは1997年にインドネシアのバタム島で知り合い、痔の話題で意気投合、以後、つかず離れずのつきあいが続いている。しつこい疣痔が悩みの種。