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スペシャル師弟対談 髙木聖雨×中塚翠涛 書の深遠を知る

2020.06.29 / 8,911PV

現代書壇において多くの書家が輩出している大東文化大学。

今回、この対談に登場していただくのは、日本を代表する書家で、今年3月まで文学部書道学科教授を務めた髙木聖雨さんと、髙木先生の教え子で、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の題字を手がける中塚翠涛さんです。

 

髙木先生は、漢字作家として中国古典を尊重しながら「魅せる書」を追求し続け、2017年に恩賜賞・日本芸術院賞を受賞。現在は、日本の書道文化をユネスコ無形文化遺産に登録することをめざす活動の旗振り役も担います。一方、中塚さんは4歳から書に親しみ、著書である『30日できれいな字が書けるペン字練習帳』が大ヒット。テレビ番組で「美文字の先生」として人気を博したのち、海外で個展を精力的に開催し、今はおもに欧州と日本を行き来する生活を送っています。多忙を極めるおふたりが久しぶりに再会し、書の持つ魅力や、本学で学ぶ意義について、存分に語り合っていただきました。

 

書の深遠を探るべく、仲間と切磋琢磨しながら、学びを深めていく。そんな、おふたりの姿勢は時を超え、世代を超え、いま、本学で学ぶ学生たちにも、しっかりと受け継がれています。

2時間を超えた熱論から一部を抜粋しご紹介します。

――大東文化大学で学んだからこそ、得られたものとは。

髙木 僕が入学した1969年当時、書道学科はまだありません。日本文学科で学びつつ、書道部に在籍していました。僕の時は「ベビーブーム」の最盛期。書道部員は、何と約500人もいたのです。「貪欲に取り組まないと、置いていかれる」。そんな怖さを常に感じていました。1週間に600枚書いた日々も……。競争心を煽ってくれたからこそ、今の私があると思っています。

 

中塚 岡山から上京した私が、入学して驚いたのは、先輩方から「一」の練習をひたすらさせられたこと。筆の持ち方、弾力の使い方……。置いてきぼりになりそうな時、先輩方はちゃんと引き上げてくれて、アドバイスを下さったんです。そんな環境は大東文化大ならでは。

 

 当時から先生方は日本を代表する作家ばかりで、近寄りがたい存在。師匠の先生とお話しするのに2年以上かかったなあ(笑)。口をきいてもらうには、どうしたらいいか、日々考え続けていました。今の環境はずいぶん変わったね。

 

中塚 入学当初、パニックに陥ったことを覚えています。というのも、書道にはいろんな流派があって、筆の持ち方一つでも流派によって異なることを知ったから。同じ古典を勉強するのに、こんなにも多くの流派があるのか、と。髙木先生に出会い、めざす道を照らしてくださったことを感謝しています。

 

髙木 この学校の先生は、立派な人ばかりなんですよ。先生が10人いたとして、ある先生が「こうしたら」と指導、その後他の先生が違った批評をすると学生側に迷いが生じるのは大きな問題だと思うんです。でも、こんなふうに捉えていきませんか。学生は、拠り所となる先生の「支柱」1本さえしっかり持っておけば、いかに周りの先生が別のことを言おうとも、多少参酌して採り入れることができるはずだ、と。「支柱」さえあれば、周りの意見もある程度採り入れられる。美点は採り入れて。けれど、1本の「柱」は守って。これが肝要ですね。

 

中塚 私はその「柱」となる髙木先生の作品にほれ込みました。古典を学び、余白や筆遣いも学んだうえで、時代背景も考える。書道を美術品などとリンクして捉えられました。

 

――書道には、華道や武道のように「道」という文字がつきますね。その神髄とは。

髙木 華道にしても、武道にしても、「道」に通じます。つまり精神性を求めていく。日本は「書道」と表しますが、中国では「書法」、韓国では「書芸」といったように、その呼び方には国の違いが表れます。日本では精神性、道徳性といった概念を多分に含みますね。「道」を究めると、精神性が高まっていき、良い書が書ける。「良い字」と「上手い字」は違います。……誰だって「良い字だね」と言われた方がうれしいでしょう?

 

中塚 深いですね。到達するまで一生かかりそうです。

 

髙木 大東文化大学で書道を学ぶ学生は、道徳性豊かで礼儀正しい学生が多い。卒業式の時、書道学科の卒業証書を渡す際、彼らは一人ひとり、じつにきちんと、深いお辞儀をするんです。感銘を受けますよ、「あ、この子は、先生にきちんと習っているな。礼儀を知っているな」って。そうした時、やはり「書『道』」だな、と。道徳面の要素も養い、培ってくれる「道」であることを実感します。

――日本における書の特徴は。

髙木 今、技術的に最も優れているのは日本だと思います。最も歴史の古い中国では書写教育がほとんど行われず、長らく学校の必修にも組み込まれていませんでした。ユネスコに登録されて以降、急に注目され始めたところです。中国ではいわゆる名を成した人、政治家、経済人、学者の書が後世に残っていますが、それに対し日本では書家、つまりプロとしての立場で名を残す人が多い点にも差異があります。韓国では現在、前衛への一途をたどっています。

――古典を大切にしつつ、現代人を魅了するような書に、成長していくには。

髙木 1本の「道」があって、「道」を歩きながら書道を学ぶ。「道」からはみ出るといけない。ある程度、「道」の幅のなかで泳ぎ、良い書をつくっていく。たとえば僕の先生はものすごく怖い人で、よく怒鳴りつけられた。「道」の中で泳いでいれば怒らないんです。1歩外に踏み出たなと思われた時には激怒され、戻すという指導法。書道という「道」の中で、この現代の世に合わせてつくっていく。そこが重要です。

 

中塚 牧羊犬が必要ですよね(笑)。いつもチョロチョロ行って、牧羊犬に戻されるなあ、とか思いつつ。よく、「書道家さんですか、書家さんですか」と聞かれます。欧州では「カリグラフィーデザイナー」と言っているのですが……。

 

髙木 世界で活躍しているのだから「Sho」を広めるべきだよ。歌舞伎も「Kabuki」で日本語のまま通用しているのだから。何で「カリグラフィー」なんて言わなければいけないの!(笑)

――今後、書がたどり着くべき場所とは。

髙木 日本文化で一番の文化は書道です。文字ができて、文字を綺麗に書く、芸術的に書くところから文化が始まりました。「かな」が生まれ、「源氏物語」や「徒然草」ができました。書は、日本の文化すべての原点です。だから大切にしないと。手書き文字や筆文字、歌詠みは重要な教養だった。筆書きを廃れさせないことが、書に生きる人間としての使命だと思います。本学で若い人たちを育てる使命もある。日本の書道界を盛んにする使命もある。書道文化を盛んにする仕事を続けていかないと、ますます衰退していく。死ぬまで頑張りたいと思います。もう70歳になるといつその日が来るか……。

 

中塚 それは困りますっ!

 

――中塚さんが、書の発展のために目指すものとは。

中塚 アイデンティティーをもっと深掘りしていけたらと感じています。海外に行けば行くほど、上から重ねていく西洋芸術と、余白や、瞬間的な感情が伝わることで出る「書」の世界との差を感じます。その差をどう表現し、伝えるか。まだ私はスタートにも立っていません。

 

髙木 現代の日本書壇の書を欧州に持っていく取り組みは、スイスやポルトガル、スペイン、フランスなどで実施してきました。2022年には、パリのユネスコ本部庁舎で日本の書展をやりましょうか、という話が出ています。中国などとの交流も大切ですが、やはり欧州の人たちに「書」を理解してもらうため、積極的に出て行かないと。日本で待っていても誰も認めてくれません。

 

中塚 パリの人たちが、日本への憧れを抱いてくださるのを、滞在するたび感じます。「本物の書」を伝えることは、芸術への確固たる審美眼を持ち、それを大切にしている彼らに響くはず。日本の書が十分に知られているとは言えない今の状況はもったいない。西洋が憧れる東洋芸術の魅力を、積極的に発信しつつ、どう表現するか模索していこうと思います。

 

 

プロフィール

髙木聖雨 

たかき・せいう(本名・茂行)/1949年、岡山県生まれ。書家、大東文化大学名誉教授、前書道研究所所長。73年、同文学部日本文学科卒。青山杉雨に師事。日展理事、全国書美術振興会理事長、北京大学書法藝術研究所客員教授。16年度恩賜賞・日本芸術院賞受賞。

 

中塚翠涛

なかつか・すいとう/岡山県生まれ。書家。2002年、大東文化大学文学部中国文学科卒。陶器やガラス、映像など幅広い手法で独自表現を追求。著書『30日できれいな字が書けるペン字練習帳』シリーズ(宝島社)は、累計400万部を突破。

 

文=加賀直樹 写真=馬場岳人

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