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大東文化大学と通訳

不思議な縁-日本の通訳の歴史と大東文化大学

通訳演習室に置かれている本学OB伊丹明氏のレリーフ像通訳演習室に置かれている本学OB伊丹明氏のレリーフ像

伊丹明氏は、東京裁判の通訳において指導的役割を果たした帰米2世のモニターの1人で、第2次世界大戦をはさみ、日米という2つの祖国のために苦悩しながらも真正面から立ち向かった生涯は、山崎豊子の小説『二つの祖国』そしてNHK大河ドラマ『山河燃ゆ』の主人公モデルにもなりました(主人公、天羽賢治)。このレリーフ像は、東京裁判の通訳現場で伊丹氏がヘッドセットをつけて仕事をしている姿です。同時通訳装置が初めて日本に登場したのは東京裁判だったのですが、実際は同時通訳ではなく、機材を使っての逐次通訳が行われていました。
伊丹明氏は1928年から1931年まで大東文化大学の前身である大東文化学院に在籍し(本科6期生)、漢籍や印度哲学を研究しました(村田克己(2000年)「伊丹明の人と思想」『大東フォーラム春』第13号、52頁)。レリーフは、伊丹氏の幼少からの友人で彫刻家の法元六郎氏が作ったもので、1999年9月21日、私たちの大先輩である伊丹明氏を顕彰して、この通訳演習室に置かれました。伊丹氏が通訳モニターとして活躍した東京裁判から50年の歳月を経て日本で初の通訳大学院が誕生するのですが、それが伊丹氏の母校である大東文化大学であったとはなんとも不思議な縁です。

開設者の思い

近藤正臣氏(大東文化大学名誉教授)近藤正臣氏(大東文化大学名誉教授)

本学の通訳論研究指導は、日本初の大学院レベルの本格的な会議通訳者の養成課程(昼間の2年制の修士課程)として1995年4月に設立されました。少人数のクラスであるものの、現在までで、卒業生の4割近くがプロ通訳者として活躍しています。通訳者になることが非常に厳しい現実からすると、大きな成果を収めているといえます。しかも、大学院入学以前から通訳者であったわけではありません。本課程からプロ通訳者になった人たちは、民間の通訳スクールに通っていて行き詰まりの打開を期して入学した者、また、大学院に入って初めて通訳訓練を受けた人たちです。この通訳論研究指導は、大東文化大学経済学部の近藤正臣名誉教授が中心になって設立されました。開発途上国経済学が専門ですが、英語通訳者の世界では有名で、ILOなどの国連機関や労働組合の国際連帯運動、政府関連の会議などで、1960年代より活躍してきた同時通訳者です。実務者養成のみを目指した通訳教育ではなく、理論と実践の両面からの体系的な通訳教育を実現し、ヨーロッパの通訳大学院のように、高い資質を身につけた会議通訳者を育てたいという近藤先生の強い思いから作られました。

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