大東文化大学百年史編纂

コラム

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Column 05

「大東文化学院 教練検定合格証明書」(1941年12月26日)について

筆者:百年史編纂委員 浅沼薫奈

 太平洋戦争が勃発した1941年12月に発行され、大東文化学院卒業生に与えられた一通の証明書が残されています。この「教練検定合格証明書」は、その名のとおり、大東文化学院卒業にあたって軍事教練の検定試験に合格したことを示すものでした。学校長ではなく配属将校によって証明されたことが特徴で、同様の証明書は大学から専門学校までほとんどの高等教育機関で発行されました。卒業時の教練検定試験に合格した学生たちは、在営期間が短縮されるとともに幹部候補生となり、その後は少尉同相当官に任ぜられました。
 教練検定合格証明書は応召の際、軍隊手帳や召集令状などの「貴重品」とともに「奉公袋」へ入れておくことが命じられた重要書類の一つでした。敗戦時に携帯していたものはほとんどが焼却処分されたため、現存するものは途中除隊など何らかの理由で焼却を免れたものです。
 軍事教練は、1925(大正14)年4月11日に「陸軍現役将校学校配属令」(勅令第135号)が公布されたことにより本格化しました。同令により、原則として官公立の中等教育機関以上の学校では義務的に陸軍現役将校が配属されることとなりました。学生に対する思想対策の強化、軍事的予備教育を通じた予備役将校の確保、余剰となった現役将校の温存などを目的とした施策でした。私立学校では将校の配置は任意とされましたが、徴兵猶予や兵役期間短縮となるため、多くの私立学校が将校配属を選択しました。配属された将校は教練に関して学校長の指揮監督を受けるものとされましたが、実態としてその限りではない学校も少なからずありました。1939(昭和14)年度より教練は本格的に必修化され、その傾向は顕著となりました。
 大東文化学院では「教練」は「武科」の科目のひとつとして開設され、週2時間ずつ行われました。日常的な射撃や銃剣、匍匐訓練に加えて、宿泊をともなう野営や行軍などの集団訓練も行われました。将校配属から15年ほど経た1940(昭和15)年8月2日、山辺中佐に代わって新たに着任したのが証明書を発行した川村俊吉中佐でした。同年11月10日には「紀元二千六百年奉祝式」が挙行され、同月14日には文部省主催の大学高専野外連合演習に大東文化学院も参加しています。さらにその翌日、秋季剛健行軍が実施されました。これら一連の行事を指揮したのが川村中佐でした。翌年末に太平洋戦争が勃発すると時局の影響を受けて教練時数はさらに増加していき、北富士裾野における3泊4日の教練野営や夏季鍛錬などが次々と実施されるようになっていきました。

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