大東文化大学の歴史大東文化大学の歴史

contents #04 校舎

University building

 
キャンパスの変遷
九段校舎 池袋校舎(前期) 青砥校舎 池袋校舎(後期) 板橋校舎 東松山校舎
※各校舎名をクリックすると、詳細説明へ遷移します。

現在、大東文化大学は、板橋校舎と東松山校舎という二つの基盤キャンパスのほか、法務研究科(法科大学院)のための信濃町キャンパスと、東松山キャンパスから2.5㎞ほど離れたところに課外活動に使用するための緑山キャンパスを構えている。これらのキャンパス以外にも、大東文化会館や徳丸研究棟といった施設が大学の教育研究に活用されている。しかし、大東文化大学はもともと板橋や東松山にキャンパスを構えていたのではなく、幾度となくキャンパスを移転しながら、現在のキャンパスとなったのである。

九段校舎 池袋校舎(前期) 青砥校舎 池袋校舎(後期) 板橋校舎 東松山校舎
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  • 1923
    大正12
    九段
    1923(大正12)年~1941(昭和16)年

    大東文化大学の前身校である大東文化学院は、1923(大正12)年9月20日に設立認可を受けて、東京麹町区富士見町6丁目16番に開校した。元法政大学の敷地・校舎を借り受けたもので、狭い敷地に明治期に建てられた小さな校舎は開院時すでにかなり手狭で老朽化したものであったが、学生や関係者から「九段校舎」と呼ばれ愛着をもって親しまれた。現在、校地跡には発祥の地として記念碑が建立されている。なお、開校当時の学院校舎は梧桐(あおぎり)に囲まれており、そのことから青桐が現在まで学園章のモチーフとなっている。

  • 1941
    昭和16
    池袋 (前期)
    1941(昭和16)年~1946(昭和21)年

    戦時色が強まってきた1938(昭和13)年、大東文化学院は時局の要請を受けたかたちで「本科」を「修身漢文科」「国語漢文科」「東亜政経科」の3部制へと拡大し、学生定員数を増加するとともに学内運営組織を新体制に移行した。それに伴って1941(昭和16)年2月、豊島区池袋3丁目1385番地へ校地を移転した。池袋の新校舎は木造二階建てであったが、教室数を格段に増やし、剣道場、柔道場、弓道場等をそれぞれに完備するなど学生生活をより充実させるものとなった。しかし、太平洋戦争の勃発とともに多くの学生は学徒出陣を余儀なくされ、残った学生も勤労動員として駆り出された。さらに1945(昭和20)年4月13日夜半~未明にかけて行われた空襲によって池袋校舎は焼失してしまった。

  • 1946
    昭和21
    青砥
    1946(昭和21)年~1949(昭和24)年

    池袋校舎が焼失した後、1945(昭和20)年5月以降は高田馬場にほど近い酒井忠正総長邸の一部が解放され、授業は何とか続けられることとなった。しかし8月の敗戦後は戦地からの復帰学生もあって室内に収容しきれなくなり、しばらくは青空教室の状態となっていた。そのような状況が半年ほど続き、1946(昭和21)年2月になってようやく葛飾区青砥町4番地にあった工場跡と元工員寮とを仮校舎として移ることとなった。青砥校舎は青砥駅近くを流れる中川の堤防沿いに位置し、教室数も少なく質素なものだったが、「志道寮」という学生寮も設けられ、戦後の疲弊困窮した学生たちの苦学生活を支えたのであった。

  • 1949
    昭和24
    池袋 (後期)
    1949(昭和24)年~1961(昭和36)年

    旧制の専門学校であった大東文化学院は、新制大学としての認可を受けて1949(昭和24)年4月より東京文政大学(昭和26年に文政大学と改称)となり、新たな飛躍に合わせて同年10月、池袋の旧地へ再び戻ることとなった。大学昇格には施設設備が整った校舎建設が必須条件であったが、移転直後は木造二階建て校舎が1棟のみという簡素なものであった。以降、日本の戦後復興と高度経済成長の勢いとともに急速に施設の整備充実を図り、新たな教学体制も確立して学生数も急増することとなった。また、学生や卒業生からの強い要望もあって1953(昭和28)年には大東文化大学へと校名変更が認可された。

  • 1961
    昭和36
    板橋・東松山
    1961(昭和35)年~現在

    大東文化大学の急激な拡大と発展によって、より広い校地・校舎が必要とされるようになり、1961(昭和36)年8月、現在の板橋校舎の校地である板橋区志村西台町(現、高島平1-9-1)へと移転することとなった。そして、さらなる学部学科の増設に合わせて校地・校舎の拡張が望まれ、1967(昭和42)年4月には埼玉県東松山市岩殿560番地の元国有林野であった地に東松山校舎を建設し、ここに当時の教養部を移転させることとなった。さらに本学60周年記念事業として、1983(昭和58)年から約6年間をかけて東松山校舎の開発造成工事を行い広大なキャンパスが完成した。現在、学部学科及び大学院の学生たちは、都心からほど近い板橋校舎と、自然に囲まれた広大な敷地を持つ東松山校舎との2つのキャンパスで大学生活を送っている。

    板橋
    ▼板橋校舎所在地
    東松山
    ▼東松山校舎所在地
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