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contents #05

スポーツ
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Sports & Art

Sports & Art 01

箱根駅伝と大東

「駅伝の大東」、そう呼ばれるようになったのは、70年代の陸上競技部の大躍進があってのことでした。

本学で陸上競技の同好会が結成されたのは1966(昭和41)年、しかもたった4人でのスタートでした。そのため、本学における箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)の印象は強いですが、初出場は意外にも1968(昭和43)年1月の第44回大会以降のことだったのです。同好会を結成した翌年に行われた秋の箱根駅伝予選会を4位で通過し、全員が1年生というメンバーで本戦への初出場を決めましたが、初出場のこの年は15校中15位という結果に終わります。

1968(昭和43)年4月、陸上競技部に名将・青葉昌幸監督が着任しました。箱根駅伝第45回大会では、一区を一位通過し、往路6位、復路10位、総合7位という結果を出しました。出場2年目にして、シード権を獲得することとなったのです。その後、大東の駅伝は着実に実力をつけ、順位を上げていくこととなりました。

箱根駅伝での初優勝は1975(昭和50)年の第51回大会でのこと。往路は4区からトップに立ち5時間44分36秒という大会新記録を達成し優勝、復路は6区と10区で区間新記録を出し5時間41分34秒で優勝、総合11時間26分10秒という記録は当時の大会新記録となりました。続く1976(昭和51)年にも優勝し、二連覇を達成。箱根の覇者、駅伝の大東という鮮烈な印象を残したのでした。その後、1990(平成2)年・1991(平成3)年の箱根駅伝においても二連覇を達成、箱根駅伝では過去4度の優勝経験を誇ります。

なお、「全日本大学駅伝」における本学の初優勝は1973(昭和48)年の第4回大会の時で、往路復路の完全優勝でした。翌年の第5回も優勝、現在まで計7回の優勝を誇ります。また、「出雲駅伝」での初優勝は、1990(平成2)年の第2回大会で、これにより大学三大駅伝大会を制することとなりました。

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