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清見潟親方×大原蒼龍氏 東松山キャンパスでガチンコトークを披露

2019.10.24 / 7,852PV

8月27日(火)、東松山キャンパスに貴重な品が運び込まれました。

元武州山の清見潟親方(藤島部屋)が、新入幕を果たした時に後援会から贈られた記念の化粧まわしです。四股名を揮毫したのは大原蒼龍氏。若くから読売書法展や日展などで数々の賞を受賞されている書家です。

 

清見潟親方は経済学部経済学科の出身、大原氏は文学部中国文学科の出身。お二人とも大東文化大学の卒業生なのです。

ジャンルは違えども日本古来の武芸文化に深く関わるお二人に、河内副学長が話を聞きました。

 

※上の写真左から

清見潟親方、大原蒼龍氏、河内副学長

人と人とのつながりが道となり伝統文化を育む

未来へ伝えるためには変えない勇気も大切

河内副学長(以下、河内):

お二人の親交は卒業後、親方の現役時代に後援会から贈呈された化粧まわしがきっかけと伺っています。

 

清見潟親方(以下、清見潟):

これは私が新入幕した時に九州後援会の方から贈られたもので、「武州山」と揮毫してくださったのが大原蒼龍先生です。贈呈式のステージ上で同じ大東文化大学の出身と知らされ、おたがいに驚きました。

大原蒼龍氏(以下、大原):

日頃からお世話になっている方の依頼でしたので快くお受けしましたが、親方にお会いしたのはその時が初めて。土俵をどっしりと踏みしめるような力強さを表現したい、そんな思いで書かせていただきました。

河内:大学時代は全国学生相撲選手権大会においても大活躍されました。

 

清見潟:周囲の期待をよそに結果を出せずにいたので、4年生で優勝した時は恩返しできたという思いでホッとしました。非常に厳しい監督でしたが、相撲部での経験が今の自分をつくったと感じています。また大学時代は多くの出会いに恵まれました。それはお金では買えないもの。大東文化大学に入学していなかったら、大原さんとの縁もなかったでしょう。

 

 

河内:武蔵川部屋への入門の記者会見は本学で行われました。現役時代は怪我に苦しみながらも十両優勝2回、そして2008(平成20)年の11月場所で新入幕を果たします。遅咲きながらも、ガチンコ力士としてその相撲道が高く評価される親方ですが、恩師である松坂監督、師匠である三重ノ海親方からはどのようなことを教わりましたか。

 

  • 本学で行われた記者会見の様子 本学で行われた記者会見の様子
  • 学生時代、稽古の日々の思い出がつまった相撲部屋 学生時代、稽古の日々の思い出がつまった相撲部屋

 

清見潟:松坂監督からは「おまえは大器晩成」と言われ続けてきたので、それを信じてやってきました。「努力は人を裏切らない」という言葉通り、日々の努力が実を結んだのだと思います。無口な三重ノ海親方からは言葉で教わることはほとんどありませんでしたが、その分忍耐力が身につきました。体調が優れない時も稽古を休みたいとは口に出せない空気でしたから、それを乗り越えて日々励んだことが自信となり、精神的にも強くなったと思います。自分がそうであったように、弟子たちへも努力の大切さを伝えています。たとえ相撲界で結果が出なくても人生で必ず報われる時がある、と日頃から言っています。

 

「大いなる流れの中の一点」という自覚

河内:大原先生は1987(昭和62)年に文学部中国文学科へ入学、卒業後は奈良教育大学の大学院へ進学されますが、本学を選んだのは書道を学ぶためでしょうか。

 

大原:その一心で進学しました。私が入学した当時は、前年度に青山杉雨先生が退官され、今井凌雪先生、新井光風先生を迎える時でした。そうそうたる先生ばかりで1年生の時から授業が楽しみでした。また、先輩方や同級生のレベルの高さには圧倒されるばかり。「負けるものか」と思いつつ「ついていけるだろうか」という不安もありました。

河内:書を学ぶ学生にとって大東文化大学のアドバンテージとは何でしょう。

 

大原:素晴らしい先生方はもとより、書道研究所の存在も大きいです。そこでさまざまな資料を拝見したり、先生方の話をお聞きすることは大変貴重な経験です。そして毎年多くの優れた卒業生が社会に出て全国へ広がっていく。そんな「書のつながり」も大東文化大学ならでは。書を志す学生にとって、これほど理想的な学びの場はありません。

河内:恩師である古谷蒼韻先生を師事したのはいつ頃でしょうか。

 

大原:高校の書道部の先生の紹介で1年次の夏から師事し、当時先生が指導されていた福岡、そして京都へ通いました。交通費や展覧会の経費を捻出するのは大変でしたが、書の奥深さを学ぶことができたので、先生との出会いは私にとって非常に大きなものです。

 

河内:恩師から学んだことはお弟子さんの指導にも活かされていますか。

 

大原:作品の指導はもちろんですが、よくお話いただいたのは「作家としての在り方」、そして礼節的なことです。事細かく説く先生ではなかったので自分で気づき、考えなければなりませんが、それだけに心意が重く刻まれます。印象的なのは、「書は長い歴史の中で培われてきた。おまえはその大いなる流れの一点であることを自覚せよ」というお言葉です。時流に流されることなく、そんな覚悟を胸に教えていくことを心がけています。

人と人とのつながりが道となり伝統文化を育む

河内:師弟関係、日々の稽古と鍛練、礼節などお二人の話にはいくつか共通する点がありました。精神を鍛え磨く上で必要な人間関係の一つが師弟関係であり、これがまさしく道につながり、そして人と人とのつながりが日本の伝統文化を育んでいくのでしょう。最後に、2023(令和5)年に100周年を迎える本学へメッセージをお願いします。

清見潟:卒業生として、誇れる大学になってもらいたいです。「あの大東文化大学の出身ですか!」と人に言ってもらえるような。

 

大原:ある本を読んだ時、温故知新という言葉には「古きを温め、たずねて」という意味が込められていると知り、強い感銘を受けました。古いものをじっくりと温めて知っていき、その上で新たな挑戦を試みる。100年に亘る歴史と教育のクオリティを有する大東文化大学なら、今後も軸がぶれることなく素晴らしい発展を遂げていくことでしょう。それが伝統の力です。本学の卒業生であることをいつまでも誇っていけると確信しています。

清見潟親方、大原さん、河内副学長、ありがとうございました。

 

 

清見潟 隆志(きよみがた たかし)

 

年寄清見潟(藤島部屋)・元武州山(本名:山内 隆志)

1976年(昭和51年)青森県生まれ

1998年(平成10年)大東文化大学経済学部卒業、卒業後武蔵川部屋へ入門

1999年(平成11年)1月場所で初土俵

2002年(平成14年)四股名を武州山に改め、以降十両優勝2回

2008年(平成20年)11月場所で初入幕、最高位は西前頭三枚目

2013年(平成25年)1月場所を最後に現役引退

引退後は年寄清見潟として藤島部屋で後進の指導に従事 ※2019年現在

 

 

大原 蒼龍(おおはら そうりゅう)

 

書家・高等学校講師・福岡大学書道部講師

1969年(昭和44年)福岡県生まれ

1991年(平成3年)大東文化大学文学部中国文学科卒業

1994年(平成6年)国立奈良教育大学大学院修了

大学1年次より古谷蒼韻氏(日本芸術院会員)に師事し、

日本書芸院展や読売書法展などで数々の賞を受賞

1996年(平8年)27歳で日展入選、以後22回入選

2015年(平成27年)讀賣書法展大賞受賞

2016年(平成28年)日展京都展京都新聞賞受賞

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