身長174㎝と小柄ながら、世界選手権(1975年)、モントリオール五輪(1976年)で優勝を果たし、男子無差別級で日本に初めての金メダルをもたらした上村春樹氏。その現役時代はまさに、「柔よく剛を制す」を地で行く柔道家でした。
7月30日、門脇学長と河内副学長は上村氏を訪ねて柔道の聖地=講道館へ。かねてより氏と親交の深い高橋学務局長の司会進行のもと、今では世界のJudoとなった日本発祥の武道の神髄から渋沢栄一まで、「道」にまつわる談議に花を咲かせました。※役職名は取材当時
※上の写真左から
門脇学長、上村春樹氏、高橋学務局長、河内副学長
競技を超え、人づくりとしての柔道を世界へ普及
嘉納治五郎の柔道精神とオリンピズムの共鳴
高橋学務局長(以下、高橋):世界選手権(1975年)、モントリオール五輪での金メダル(1976年)をはじめ、現役時代は華々しい活躍をされた上村先生ですが、現在講道館の館長として心がけていること、また目指していることは何でしょうか。
上村館長(以下、上村):嘉納師範が常々言われているのは「柔道の修行を通じて人格形成し、世の中のためになれ」ということです。1909年に師範がIOC委員を引き受けたのは、柔道精神そのものがオリンピズム、すなわち「オリンピックとはスポーツを使った青少年の健全育成、そして国際交流による世界平和」という哲学に共鳴したからにほかなりません。ですから、競技としての柔道を世界へ普及していくことはもちろん、人づくりとしての柔道も広く伝えていかなければなりません。
門脇学長(以下、門脇):日本発祥の柔道も今や世界のJudo。まさに大東文化大学が取り組んでいる課題を先になさっているわけです。我々も、日本の文化や伝統を大切にしながら世界に貢献できる人材を育てて行く必要があります。
上村:嬉しいことに、国際柔道連盟の役員たちも「柔道はEducation」との認識を深めています。「礼が大事」である、と。以前は勝利して躍り上がる海外の選手もいましたが、今は皆きちんと礼をします。相手に対する感謝と労り、配慮など、柔道が単なる競技に留まらず、人としての道を学ぶもの、という教えが浸透してきた証拠です。
高橋:柔道の究極の目的は「人づくり」とのことですが、おそらくこれは柔道に限らないと思います。門脇学長はどのようにお考えですか。
門脇:嘉納師範が書かれたものに、「まず道が根本にあり、その上で技がついてくる」という一文があったと思いますが、柔道の根本精神は「道」ではないでしょうか。私は、それを今の学生たちにも体得してほしい。本学の「建学の精神」の中に「道義」という言葉が出てきます。「道義」とは「道」のことであり、この精神を身につけた上で人の役に立ち、世界の発展に貢献する、そういう人間を育てていくことが大東文化大学の教育理念です。したがって、上村館長がおっしゃったことはまさにその通りだと思います。
本学と講道館の共通点はあの渋沢栄一氏!?
高橋:嘉納先生は西洋哲学科を卒業された後、道義科に再入学されています。
門脇:渋沢栄一氏も五輪のために尽力されたようですが、大東文化大学の歴史を振り返ると、渋沢氏が学院時代に評議員をされていたことがあります。そして『論語と算盤』という本を書かれた。つまり、渋沢氏の本質にあるのは「道」につながる日本の伝統文化であり、嘉納先生の場合は柔道に、渋沢先生は経営学にそれを取り込んだ。我々としてはその時代をもう一度見つめ直して、今の学生たちに教えていきたいと考えています。
上村:渋沢氏は講道館の初代幹事も務められました。貴学とはそんなつながりがあったのですね(笑)。私は体育そのものがスポーツを用いた教育だと思いますし、柔道もしかり。柔道では礼を重んじますが、じつは宗教上の理由から礼を欠いて裁判になったケースがあります。礼は服従ではなく感謝であり尊敬なのだと、我々は説明しました。それが柔道という文化ですから変えるわけにはいきませんし、そこはこだわり抜いて発信していかなければなりません。私が講道館館長を引き受ける際に肝に据えたのは、柔道を後世へ正しく伝えていくこと。我々がこだわりを持ち続けないと伝統文化は廃れてしまいますから。
高橋:河内先生は世界的な書家であり、また教育者でもありますが、共通点や相違点など何かお気づきの点はございますか。
河内副学長(以下、河内):「こだわり」や「正しい文化」等々、良いお言葉とヒントをたくさんいただきました。柔術・柔道と同様に書にも古い歴史があり、その中でも紆余曲折がありますが、一つ挙げるなら、人がその時代ごとにこだわり、つくり上げた心をいかに後世へ伝えていくか、ということかもしれません。学生に指導していく上で大変参考になります。
上村:書道においては「道」はいつ、つけられたのでしょうか。
河内:一般に、茶道、華道、歌道が成立したのは室町時代といわれています。書道はそれまでは「入木」とか「臨池」といわれていました。「入木三分」という言葉がありますが、昔、王羲之という人が木に字を書いたところ、それが非常に力強く、木の中に三分ほど墨が入ったというのが由来で、実際に入木道といわれるようになるのは室町時代からです。ですから、いわゆる「道の精神」自体、芸道としての文化が室町時代から開き始め、それが武士道にもつながっていくのだと思います。
求道者としてさらなる「道」の追求へ
上村:嘉納先生の偉大なところは柔道を言葉で表現されたことです。かつてはあいまいな名称が多かった技を、「背負い投げ」や「大外刈り」など身体の部位を当てて端的に表した。さらに柔道精神を表した「精力善用」や「自他共栄」といった言葉など、完成度の高さに感服するばかりです。
門脇:「道に遵いて勝ちを制す」というのも凄いですね。
上村:「遵道制勝」ですね。卑怯なことをして勝っちゃいかん、それで負けても価値があるのだ、と。なかなか言えることではありませんね。現在、国際柔道連盟には202の国と地域が加盟していますが、今後もさらなる普及をめざします。大事なのは、正しく普及していくこと。講道館は競技団体ではないので、先人が築き上げたものをもう一度学び直して理解を深め、次世代に伝えていきたいと思っています。
高橋:最後に、河内先生からお言葉をいただけますか。
河内:求道者という言葉がありますが、上村先生はまさしく日本を代表して道を極めていらっしゃる方だと感じました。その精神を、本学大東文化大学でも実践しなければいけないと肝に銘じております。
上村館長、門脇学長、河内副学長、高橋学務局長ありがとうございました。