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国際関係学部
2012年08月17日

比較文化論A・B(飯國有佳子先生)

開講される学科:国際文化学科

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先生の講義「比較文化論(A・B)」では、どんなことを教えてらっしゃるのですか?

 国際文化学科の必修科目である本講義の目的は、異文化とはどのようなものであり、その異文化と接触したときにそれをどう捉えるか、そして異文化すなわち他者とかかわる事で自分自身をどう捉えなおすかを考えることです。具体的な学術用語を使えば“自文化中心主義”や“文化相対主義”“オリエンタリズム”といった「異文化を見るうえでの視点」というものを学ぶということなのですが、こんな風に単純に言葉を三つ並べられてもよくわからないですよね。そこで本講義では、できるだけ身近な素材――たとえば異文化との交流をテーマにした漫画やテレビ番組、映像資料など――を取り上げながら考えることで、単に言葉として理解するだけでなく、本当の意味での「異文化を見る視点」を身につけてもらいたいと思っています。
 また、異文化を学ぶということは、それをあわせ鏡に「自文化を問い直す」という一面も含みます。異文化について学ぶというと、特定の国や地域の文化を知ることだと思う人が多いと思います。しかし、実はそれだけでは足りないのです。「なるほどその国ではそういう文化なのね」と知識を得たところで思考停止せず、「じゃあ私たちの文化はどうなんだろう」ということを考えてみてください。異文化を知ることによって、自分たちの文化を知ること。それが比較文化という学問の基礎なのです。

授業に関してなにか独自の工夫などはされていますか?

 大人数の授業ですが、なるべく一方的ではなく双方向的な授業になるようにリアクションペーパーを使っています。毎回、授業の最後に出すテーマについて200字程度のコメントをその場で書いてもらうというもので、出席簿がわりにもなりますし、短い時間で自分の考えをまとめたり、もちろん文章を書く練習にもなります。モチベーションをあげてもらうため、そのなかから特に面白いものは次の授業内で紹介しています。たとえばラジオの投稿が読まれると嬉しかったりするじゃないですか。それと同じような感覚ですね(笑)。ペーパーは最後の授業が終わった段階で本人に返却しますので、読み直すことで自分自身の成長もわかるはずです。
 テーマは毎回さまざま。たとえば「電車のなかでお化粧をしているのってどう?」とか「同性婚についてどう思う?」とか、時には新聞記事について考えてもらうこともあります。単に賛成か反対かだけではなく、自分の考えを書いて欲しいと思っています。正解を出すことよりも、重要なのはむしろ答えのない問題にどう取り組むのか、ということ。現代社会って、答えの出ない問題が多いですよね。そういう問題について、できるだけ自分の頭で考えられるようになって欲しい。この授業を手がかりに、自分の頭で考えることや、それを表現する方法を身につけてもらいたいと思っています。
 また、自分とは異なる人の意見を知ることができるのもいい経験になるはずです。外国だけでなく、同じ日本のなかでも自分の近くに異文化はたくさんある。実は自分の隣の席の人だって、自分にとっては異文化なんだということ。それを肌で実感してもらいたいですね。


先生ご自身が「ミャンマーにおける宗教とジェンダー」という研究テーマを選んだきっかけは?

 大学時代にビルマ語を学んでいたことがそもそものきっかけです。言語から入って、文化にも興味を持つようになったパターンですね。ミャンマーは仏教国なのですが、日本の大乗仏教とは違う上座仏教です。そこでは聖俗分離がはっきりしていて、お坊さんは人間ではなく聖なる存在という扱いなのですが、上座仏教では女性の出家は正式には認められていません。ところがミャンマーの熱心な仏教徒の中には、自ら剃髪して宗教的な生活を営む人々がいるんです。実質的には出家と同じなんだけれど、制度上は比丘尼(女性の出家者)ではない。彼女たちの姿を見て、どうしてこの人たちはこういう道を選んだんだろうと不思議に思ったことから宗教とジェンダーについて研究を始めました。
 さらにそこから進んで、出家しない普通の農村の女性たちの宗教的立場というものに興味を持つようになったのです。ミャンマーも近代化が進んでいるため、都市部では見る機会が限られるようになってきましたが、農村部には精霊信仰というのが、まだ色濃く残っていて、昔ながらの祭祀なども行われています。彼らにとって仏教と精霊信仰というのはまったく別物で、仏教は自分の来世に関わるものであり人生観などにも影響を与える重要な存在。一方、精霊というのは、よく王や領主に例えられます。貢ぎ物を渡すから庇護を期待するとか、罰をあてられないために何かをしておくとか、王や領主との契約関係に近いんですね。ですから正直、彼ら自身もあまり関わりたくないと思っている。そこでまた宗教とジェンダーの問題が出てくるんです。先ほど言ったようにミャンマーでは女性は出家できないため、男性よりも宗教的地位が低いとみなされます。そのため仏教よりもランクが下の精霊信仰の祭祀などは、女性が行うことになるのです。
 だからといってミャンマーでの女性の地位が低いのかというとそんなことはなくて、向こうの人たちと話していると、むしろ日本の方がよっぽど遅れているよね、と言われるほど、日常の場での女性の立場は高いと考えられています。こういう違いも、異文化を知ることの面白さのひとつですね。

比較文化を学ぶというのは、どういうことなのでしょう?

 ある文化人類学者の言葉に「人間は誰でも文化メガネというものをかけている」というものがあります。どんな人でも特定の文化のなかで生まれて育つと、知らないうちにその文化を身につけていき、本人は意識していなくてもその物の見方で他所のものを見てしまう、ということです。たとえば今、私がかけているメガネのレンズが緑色だったとします。でも別の国の人たちがかけているメガネのレンズは茶色かもしれない。その状態で同じ物を見ていても、それぞれ見ているのは緑色の世界と茶色の世界ですよね。緑のメガネをかけている私が、彼らと同じ世界を見ることはできないのです。でも、そこで「理解できない」と諦めるのではなく、一体彼らの目にはこの世界がどう見えているのかを実際に聞いてみること。そして彼らの立場から捉えなおした世界の見え方をもとに、私が見ている世界は一体どんな世界なのかを考え直してみること。いわば彼らの肩越しに世界を見てみようと努力をする。それが比較文化という学問だと思います。そのためにはまず、自分がどんなメガネをかけているのかを知ることが重要で、それが「異文化を見ることによって自分自身を問い直す」ということなのです。
 世界には自分とは違う文化もあるということを知るだけでも、比較文化を学ぶ意義はあると思います。そして日常生活のなかでも、自分のメガネだけにこだわらない物の見方を役立ててもらいたい。そうすれば人とのつきあい方も少し変わってくると思うんです。自分の物の見方だけが正しいと思い込むのではなく、相手から見たらどう見えるのかなということを考えられるだけでも、相手だけでなく自分もほんの少し生きるのが楽になるはず。そしてもちろん、さらに外へ目を向けてみれば、自分の知らない世界を知ることができます。自ら閉じてしまうのか、それとも知らない世界に目を向けるのか。それは自分で選べること。少なくとも国際関係学部、国際文化学科の学生さんたちには、どんどん外の世界へ目を向けて欲しいと思っています。

この内容は大東文化大学メールマガジン2012年8月号において配信した内容です。
そのため、他の授業ゼミ紹介ページと原稿テイストが異なります。

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