Research

2011(平成23)年度研究発表会

第1回 研究発表会

日時
平成23年6月13日(月)10:30~12:30
場所
大東文化大学 板橋校舎 語学教育研究所

第1発表

題目
「日英語の節点繰り上げ構文の比較研究」
(A Comparative Study of Node Raising Constructions in English and Japanese)
発表者
中尾千鶴(外国語学部英語学科)

要旨

英語の右方節点繰り上げ構文(RNR,、例:”John made, and Mary ate the cake.”)及び日本語の左方節点繰り上げ構文(LNR、例:「ケーキをジョンが作り、(そして)メアリーが食べた。」)は共に、二つの節に共通した項(例:the cake)が右方または左方に繰り上がる構文である。また、日本語のRNRでは、英語の場合と違い、共通した動詞句の一部が右方に繰り上がる。(例:「太郎はりんごを、花子はみかんを食べた。」)本発表では、これらの節点繰り上げ構文の特徴を考察し、次のことを主張した。(1)日本語のLNRは、空の代名詞proを使った構文(例:「ジョンがケーキを作った。(そして)メアリーもpro作った。」)とは違ういくつかの振る舞いを示す。例えば、両方の節の動詞の与える格が同一でない場合に文の容認度が落ちるという制約が見られる。また英語のRNRと同様に、日本語のLNRは「分配読み」を示す。(例:「二つの別々の歌を、太郎は歌い、花子は録音した。」において、太郎の歌った歌と花子の録音した歌が一曲ずつあるという読みが可能。)これらの特徴は、繰り上げられた項が第一節だけでなく第二節の要素でもあることを示唆する。そのため、日本語のLNRは二つの節の項位置から一つ文の左端位置への移動(ATB移動)を含むと分析した。(2)日本語のLNRは、複合名詞句制限等の島の制約に抵触する場合がある。(例:「*ジョンは熊に、そしてメアリーはライオンにビルが襲われたことをみんなに言った。」)このことは、「熊に」「ライオンに」というそれぞれの句が、「ビルが襲われたこと」で表される複合名詞句から移動しているというAbe and Hoshi (1997)の分析を支持する。

第2発表

題目
「2010年度の教員評価と自己評価の因子構造」
発表者
ゲーブリエル・A・リー(外国語学部英語学科)

 

第2回 研究発表会

日時
平成23年7月11日(月)10:30~12:10
場所
大東文化大学 板橋校舎 語学教育研究所

第1発表

題目
「言語に反映された視線の収斂性をめぐって」
発表者
梅本孝(外国語学部英語学科)

要旨

以下の3つの概念にからむ言語現象を視線の収斂性という考え方で説明できることを主張した。

  1. 着点と起点の概念に関わる言語現象。
  2. 久野(19897:146)の「発話当事者の視点ハイアラーキー」に関わる言語現象。
  3. 起点のマイナス性と着点のプラス性に関わる言語現象。

 

視線の収斂性は以下のように規定した。視線は具体的なものであれ、抽象的なものであれ、単一の事態を見る視線は一つの時においては一つの視線として収斂する方向に進む動機付けがある。この考え方に従えば、起点は視線のdivergence(分離)、着点は視線のconvergence(収斂)として理解することができる。つまり、divergenceとしての起点はいわば2つの視線に分かれる。convergenceとしての着点はいわば1つ視線に収斂する。2つの視線を同時にもつことは(1つのばあいよりも)認知的により複雑で、負担がかかると考えられる。複雑な認知の形は単純な認知の形になろうとすると考えられる。そのような場合には起点を着点として再解釈することが考えられる。そのことによって、原因、理由が目的と再解釈されたり、(1)のように論理的にはYからZにXが移動する場合であっても、日本語の中にはYにXが移動するかのように表す表現が発生することが理解できる。

 

(1) Z(太郎)がY(花子)に/からX(本)を借りた。

 

また、(2)のような文は久野(19897:146)によれば「発話当事者の視点ハイアラーキー 話し手は、常に自分の視点をとらなければならず、自分より他人よりの視点をとることができない。」によって不自然な文となる。

 

(2) ?John was scolded by me.

 

これも視線の収斂性の原理から捉えなおすことが可能である。久野(19897:147)によれば(2)のような文は科学論文スタイルの例にすれば適格文と認められるとある。また、久野(19897:315)では話し手が、過去の出来事を回想し、自分がとった行動を、恰も他人の行動であるかの如く語る場合にも適格となるとしている。つまり、能動態に直して事態全体に視線が向くようにするかJohn かmeのどちらかへの視線を強めるか、どちらかへの視線を弱めるか、文が表す事態と視座との距離を長くして、視線の距離を長くすることで、収斂性を高めることによって、視線をひとつだけにすれば文の容認度が上がると考えられる。

第2発表

題目
「漢字字形データベースの運用と応用」
発表者
上地宏一(外国語学部中国語学科)

要旨

国際標準であるユニコードが広く普及し、コンピューター上で多くの言語を扱うことが可能となった。漢字については複数回の改定により7万字強の字種をサポートし、現在も拡張のための審議が続いている。しかし実際には改定されて新しくなった文字コードを使うためにはOSの対応が不十分であったり、表示・印刷に必要なフォントが供給されていないなどの問題があることや、私的な文字、学術的な解釈が定まっていない文字などは文字コードに追加できないため、従来の「外字」によって処理されているが、インターネットを利用した情報交換では支障が生じている。

 

そこで本研究では、インターネット上に漢字字形データベースを置き、ユーザー同士が文字情報を共有することによりこの問題を解決することを提案する。具体的には以下のような技術要素およびシステムから成り立っている。

  1. デザインに習熟していない一般ユーザーでも必要な漢字字形を表現可能な機構
  2. インターネット上に自由に利用できるデータベースの設置

 

このデータベースは1字形単位で管理し、また誰でもアクセスできるものとする。漢字字形を筆画や部品の組み合わせで表現し、簡単にあらゆる異体字を含む漢字字形を登録することが可能で、登録データはただちに画像ファイルあるいはフォントファイルとしてインターネット上に公開される。これらにより外字を共有することが可能となる。

 

筆者はこのデータベースを公開し4年間の運用を行った。ボランティアのユーザーを中心に登録された漢字字形データは20万レコードを越えたほか、学術図書の外字データ作成への活用など、実務面での実績もあげている。ユニコードのすべての漢字集合(75,000余)を収録した世界で唯一のフリーフォントの公開も行った。

 

現在はウェブフォントへの応用を検討している。インターネット上のウェブ文書においてあらゆる漢字字形を利用することが可能となる。新規に作成するデータだけでなく既存の公開データにおけるゲタ表記に対して実際の字形に置き換えて表示するフィルターも提案した。

 

今後の発展としては既存の外字データ・各種漢字データの収集・登録を行うほか、様々な大学・研究機関での利用を目指した広報活動を予定している。

 

第3回 研究発表会

日時
平成23年12月5日(月) 13:15~15:00
場所
大東文化大学 板橋校舎 語学教育研究所

第1発表

題目
「異文化間能力はどう『教える』か?」
発表者
フランソワ・ルーセル(外国語学部英語学科)

第2発表

題目
「近世琉球社会における言語状況について」
発表者
瀬戸口律子(外国語学部中国語学科)

要旨


近世琉球とは通常1609年薩摩侵攻から1879年の琉球処分までの期間を指す。

当時の琉球は、独立王国として中国との冊封関係を維持し、交易を続けていたが、国内には薩摩の番所が存在し、実質的にはその支配下にあった。即ち中国及び薩摩と二重の主従関係を結んでいたことになる。しかし古琉球時代(12世紀~1609年)に築いた琉球独自の文化が消えることはなかった。

こうした中・琉関係や日・琉関係の歴的な観点に基づく社会制度及び文化芸能の研究はこれまで着実に進められ、かなりの成果が提出されている。ところが、言語面での研究に注意が払われることはあまりなく、結果的に空白のまま残されているのが、実状である。そこで近世琉球における「共通語」にスポットを当てて研究を進めることになった。今春からスタートした「近世琉球社会における言語運用の諸相に関する総合的研究」(研究代表:高良倉吉琉球大学教授)のプロジェクトチームの一員として、資料収集(主に石垣島)の状況とこれまで取り組んできた「官話」(琉球の人々が学んだ中国語)の研究をベースとして、当時の琉球社会における「多言語社会」の一端を紹介したのが今回の発表である。

 

第4回研究発表会

日時
平成24年1月17日(火)13:15~14:45
場所
大東文化大学 東松山校舎 6号館641教室

発表(最終講義)

題目
「作文の文体と間テクスト性」
発表者
中込啓子(外国語学部英語学科)

要旨

ジュリア・クリステーヴァ(1941- )の作品(『ジャン・ド・サントレ』)研究によれば、この作品は複数の書物を潜在させた書物であり、先行する、あるいは、同時的な、さまざまなテクストが併在しているという。このときテクストは、外にある別のテクストとの、先行する異質の文学資料との、絶えざる対話となり、すでに過ぎた歴史の時間や社会の組み入れとなっている。テクストは複数のテクストの交差のうえに成立している。間テクスト性が、このような事態を作り出しながら、作品のテクストを織りなしていることが明らかにされる。間テクスト性の手法を取り入れた創作法は、実のところ、クリステーヴァの理論を待つまでもなく、古今東西の文学作品に取り入られている。日本でも『源氏物語』から数々の作品が生産されている。講義では現代の日本人作家の例として、漱石の『吾輩は猫である』と奥泉光の純文学描き下ろしと称される『吾輩は猫である殺人事件』を比較する。また私が翻訳したオーストリアのエルフリーデ・イェリネク(1946- 、2004年ノーベル文学賞受賞)やドイツのクリスタ・ヴォルフ(1929-2011)、その他ハイナー・ミュラー(1929-1995)の作品にも顕著にみられる間テクスト性の例をテクストや映像で紹介し、この手法の意図や、作品の面白さという効果を検証する。しかしこの手法の文体が、「読まれる」という点で主流たりうるかも考察する。また、クリステーヴァの見解では、ソシュール的な構造言語学で、シニフィアンとシニフィエとの関係、記号と概念との関係は一対一対応をなし、二分法的構造を有するが、クリステーヴァ自身はそれらの関係が二分法でもなく、一対一対応をなすものでもないような対象を想定しており、言語(ラング)の土台からいっそう広い記号空間へと拡大して、コミュニケーションの図式に閉じこもっている言語学から、別種の学へと、記号学を開こうとしつつ、小説の生成や「意味の生産」を語ることができるのではないかと考える。この点から現在「よく読まれている」作品の構造を角田光代の『空中庭園』などで検証し、文学作品のテクストの本質とはなにかを探る。参考(クリステヴァについては西川直子著『クリステヴァ ポリロゴス』(講談社)

※本発表はドイツ語分野との共催となります