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contents #03

ヒストリア

Historia

『中国語大辞典』の編纂

『中国語大辞典』(全1巻・上下2分冊)は、大東文化大学中国語大辞典編纂室編として、1994(平成6)年3月に角川書店から出版された。 B5判・上製箱入り、本文約4200ページ、親文字1万5千、見出し語26万語に及ぶ大辞典である。

この編纂事業は、1983(昭和58)年9月20日に迎えた本学創立60周年記念事業として展開されたもので、編纂には実に12年有余もの年月が費やされた。 編纂主幹は外国語学部中国語学科の香坂順一教授、編集委員には学内外の研究者が着任した。 日本のみならず、中国全土の関係者に協力を求め、資料を悉皆的に収集し、「時代性と地域性とを同時に配慮した辞典」の刊行を目指し、学園側も編纂刊行に向け人員配置や予算などを配慮、大東文化学園・編纂関係者・角川書店の三者が協力しあい、公刊されたものであった。

『中国語大辞典』の編纂刊行を提起したのは、当時の鈴木則幸理事長以下、学園執行部であった。  続く大西経信理事長が「大学は無体財産を持つべきである」との信念のもとに同事業 を正式に決定、河上昇之助常務理事が賛同して準備を進めるかたちで具体化し、1982(昭和57)年4月より編纂業務が開始された。 編纂準備期間は約1年半、その間に資料提供を日本・中国双方の研究者に呼びかけ、集まった資料の検討が進められ、その結果「編纂方針」は次のように決定した。

  1. 1.語彙の処理には、中華民国以降のとくに1949(昭和24)年の解放後の研究成果を取り入れる。
  2. 2.虚詞(機能語)は、記述を平易・詳細にする。
  3. 3.語彙の範囲を拡大し、普通語、方言、専門語のほか、現代で使用される古語にも広げる。
  4. 4.古い白話語(口語・俗語など)は、宋代以降の文学に見られるものを取り入れ、現代語に継承されているものは年代順に掲出する。
  5. 5.例文を多くし、読む辞典としての性格を強く出す。

こうして、創立60周年記念式典を終えた直後の1983(昭和58)年11月、決定された「編纂方針」のもと具体的な編纂作業に入ることとなった。 同時に報告された「編纂経過」によれば、「語彙採集」に関してはすでにかなり進行しており、集めた語彙は50~80%程度カード化しているとして、極めて順調であるとしつつ、同時にいくつか問題点も挙げている。 採集した単語カードの整理に今後相当の時間と人手を要することや、中国語語彙を日本語に翻訳するため協力者を募らねばならないが、学内協力者に対する報酬がないことも障害となっていることなどが指摘された。 なお、この段階での出版刊行予定は1988(昭和63)年としていた。

当初の刊行予定であった1988年を過ぎた頃、費用が嵩む一方で予定時期を過ぎたことで、学内では批判の声も上がりはじめたが、編纂室は改めて進捗状況の遅れを現況とともに報告、理解を求めた。 さらに1991(平成3)年3~9月に連続して出されている複数の報告書には、「編纂に係る経費明細」も添付され、長期休業も返上して中国語学科教員中心に関係者が一丸となって取り組んでいることが記されている。 遅れの理由としては、①「差別語」とされる用語の取り扱いや専門用語を含む語彙の最終チェックが想定よりも時間と人手を要していること、②編纂スタッフの入れ替わりで専門用語を操る人員が養成しにくいこと、③「コンピューター印刷」の進化によって、従来の手作業による「書き入れ」が出来ず、逆に手間取ってしまっているということ等が挙げられた。

その後、1993(平成5)年秋に編纂作業が終了し、1994(平成6)年3月に角川書店より『中国語大辞典』が刊行された。 1995(平成7)年7月には再版が出され、同年12 月に再版時に確認された訂正個所を整理し、大がかりな「中国語大辞典[ 初版] 正誤表」が発行された。 中国語大辞典編纂室は、学園記念事業事務室内・中国語大辞典編纂担当となり、事後処理を終えると、学園を挙げての大事業は幕を閉じたのであった。

編纂に使用された大量の資料や単語カード等は、板橋図書館書庫棟内に長く保管されていたが、2014(平成26)年に大東アーカイブスへその一部が移管された。 残された資料の中には、購入図書の一覧、資料収集目録、進捗状況の報告書、研究協力承諾書、予算、アルバイト勤務状況に至るまで多くの事務ファイルがあった。 そこには、編纂の仕事を進める研究者と、事務処理を担当する編纂室職員との12年間の苦闘の様子が綴られている。

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