大東文化大学の歴史大東文化大学の歴史

contents #03

ヒストリア

Historia

大東文化協会理事・大東文化学院教授 藤澤親雄

藤澤親雄は1893(明治25)年9月、東京に生まれた。父の藤澤利喜太郎は東京帝国大学教授で数学者であったが、親雄は政治学者となる道を選んだ。国家主義者であった一方、エスペランティストとして日本エスペラント学会の創設に携わったことでも知られている。

藤澤は幼少期より学業に秀でており、東京開成中学校を経て第一高等学校、東京帝国大学へと進学した。1917(大正6)年に東京帝国大学法科大学仏法科を卒業すると、農商務省へと入省し官僚となった。入省から2年後の1919年にジュネーヴ国際連盟会議に出席、語学が堪能であったこともあり新渡戸稲造を通じて連盟事務局員となり、さらに文部省在外研究員としてベルリン大学へと留学する機会を得た。同大学より哲学博士を授与されると、1923年の帰国と同時に東京帝国大学講師となり、1925年には九州帝国大学教授に就任した。北京大学からの招聘を受け1931(昭和6)年より中国へ活動の場を移したが、日中関係悪化の影響を受け帰国、1934年より文部省国民精神文化研究所嘱託となり同研究所の実質的責任者として運営に携わる傍ら、1935年より大東文化学院教授に就任、同時に大東文化協会理事(理事維持員)もつとめた。大政翼賛会東亜局長などを歴任したが、敗戦後は公職追放となった。1955年に追放解除となり公職復帰、同年より日本大学教授、1958年に日本文化連合会を結成、1961年から国士舘大学教授となったが、1962年7月に死去した。

このように多彩な経歴と多様な業績があるにもかかわらず、藤澤に関する研究はこれまで意外なほど行われていない。藤澤は国家主義者としてファシズムを推進したことなどで知られており、そうした皇国思想につながる研究自体が戦後否定されてきたことも要因であろうし、また日本民族の優位性を極端に強調する点や偏った国民思想が受け入れがたかったからかもしれない。加えて、藤澤が生涯で発表した著作は膨大でありその全体像をつかむこと自体が極めて難しいうえに、理論が難解であることも理由かもしれない。しかし、藤澤の論稿には戦前日本の抱いた国家観や民族観に言及しているなど興味深い研究が多数あり、今後その思想解明を進めていくことは意義があると思われる。藤澤の主著としては『日本民族の政治哲学』(巌松堂、1937年)や『皇道政治学概論』(大東文化協会出版、1933年)などが知られているが、それらのなかで藤澤の日本観がどのように展開されていたのかを辿って見てみると、戦前期から戦後にかけての日本観、民族観、神話的政治論などに関する価値観には大きな転向が見られなかったという特徴をうかがうことができる。一方、藤澤が1919年に日本エスペラント学会を発足させたことも注目される。小坂狷二や浅井恵倫とともに設立に携わり、エスペラント運動を精力的に展開した。この創設の背景や経緯の究明も今後の課題である。

さて、藤澤と大東文化学院との関係についてであるが、藤澤が同教授として1935(昭和10)年に着任して以降、公職追放を受けるまで、在任期間はおよそ10年間であった。この間、前述の著書以外にも協会機関紙なども含めて多くの論稿を大東文化協会や学院の刊行物のなかに発表しているが、これらの論稿は歴史のなかに埋もれ、ほとんど確認されないままであった。たとえば、大東文化協会出版会からドイツ語で発表した『JAPAN ALS GEISTIG KULTURELLE WIRKLICHKEIT』(DAITO-BUNKA-KYOKAI,TOKYO,APRIL 1936) などもその一つである。

藤澤親雄は、大東文化学院に着任後、亜細亜部を牽引し、東亜政経科の部長として本学を導いた存在であった。田中逸平とならび、学内のアジア理解に関する教育に深く携わったと言えよう。藤澤が皇道政治学の担当教授として招聘されると、同年度より「亜細亜事情」といった科目が発足したことも、1938(昭和13)年に三部制を導入し東亜政経科を設けることとなった道筋の一つとなっていったと指摘できる。1941年2月には大東文化学院の運営体制に「両次長制」が導入され、学務長に飯島忠夫、庶務長に土屋久泰が就任した。同時に教務課長には高等科1期生で当時学院教授であった澤田總淸が着任、新体制の中で大東文化学院の発展が図られた。同年は教員組織にも大きく変更があった。草創期を支えた内田周平、細田謙蔵、國分高胤が第一線を退き名誉教授となり、新たに第一部部長に飯島忠夫、第二部部長に平野彦次郎、第三部部長に藤澤親雄が就任した。藤澤は刷新された学内において、新たな時代へと移行していく激動の大東文化学院を支えた1人であったのである。

INDEXヒストリア
ページトップページトップ