大東文化大学の歴史大東文化大学の歴史

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ヒストリア

Historia

東松山校舎の開校と「大東スポーツ」の隆盛

体育部創設以降、各部の活動や選手の成績を讃えるため「祝賀会」(後の「桐門スポーツ賞」)が開催された。大学創立50 周年(1973年)の運動部祝賀会では、桐門会(OB会)発足を発表した。

1966(昭和41)年4月、東松山キャンパスが開設される前年のこと、「大東体育部」「大東文化大学学生自治会体育連合会」が設立されました。体育部の主目的は、既存の運動部(当時16団体)をまとめ体育連合会として、学生の健全で活発な身体・精神を涵養することにありました。この体育部の活動と学生自治会体育連合会の活躍によって、1970年代に大東スポーツは花開くこととなります。

大東スポーツの発展のカギとなったのは、東松山校舎でした。広大な敷地は、選手たちに必要な施設設備を提供することを可能にしました。大きなグラウンドも体育館も最新設備で、さらに都会から程よく離れた自然豊かな環境は選手たちの足腰だけでなく精神面をも鍛えてくれ、トレーニングを行なう場所として適していました。

1967年にこの広大な東松山校舎が開校すると、埼玉県体育協会の協力を得つつ、大東スポーツの強固にして確固たる基盤が形成されていきました。同年に選手育成のための第一次計画が打ち立てられ、それに従って次々と実行に移していったのです。各部には、部長のほかに補導官と監督を置き、三位一体の体制によって手厚い指導が可能となるようにしました。特に「補導官」制度は当時としては大変珍しく、コーチングによって部員たちの精神面を含めた心身のケアを行うといった画期的な試みでした。また、「監督」には各分野において一流の実績を持つアスリートを招聘しました。第一線で活躍したからこそ得た、研ぎ澄まされた感覚によって、選手の指導に当たりました。

1969年からの第二次育成計画(五ヵ年計画)では、OB会(桐門会)を設立し、学園と同窓の経験者とが相互に協力し、現役選手の育成を推進するシステムを確立しました。この頃には運動部は32団体まで増え、一部の競技では常勝校としての地位を築きつつありました。

「駅伝の大東」、そう呼ばれるようになったのは、1970年代の陸上競技部の大躍進があってのことでした。本学で陸上競技の同好会(後に陸上競技部)が結成されたのは1966年、しかもたった4人でのスタートでした。本学における箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)の印象は強いですが、初出場は1968年1月の第44回大会のことでした。1968年4月に名将・青葉昌幸監督が着任すると、1969年1月の箱根駅伝第45回大会では一区を一位通過し、往路6位、復路10位、総合7位という結果を出しました。出場2年目にして、シード権を獲得することとなったのです。その後、大東の駅伝チームは着実に実力を伸ばし、順位を上げていくこととなりました。箱根駅伝での初優勝は1975年の第51回大会のことで、翌1976年にも優勝を重ね、箱根の覇者・駅伝の大東という鮮烈な印象を残しました。さらに、1990(平成2)年・1991(平成3)年の箱根駅伝でも二連覇を達成、箱根駅伝では過去4度の優勝経験を誇ります。なお、「全日本大学駅伝」における本学の初優勝は1973(昭和48)年の第4回大会の時で、往路復路の完全優勝でした。翌年の第5回も優勝、現在まで計7回の優勝を誇ります。また、「出雲駅伝」での初優勝は、1990(平成2)年の第2回大会で、これにより大学三大駅伝大会を制することとなりました。

1963年創部の大東ラグビーにも、今再び熱い注目が集まっています。1974年に関東大学ラグビーリーグ戦で初優勝し、さらに第23回大学選手権(1986年度全国大学ラグビーフットボール選手権大会)で初優勝を飾って以降、本学ラグビー部の強さに、世間は目をみはりました。1980年代、身体能力の高いトンガ人留学生をラグビー選手として受け入れるという画期的な試みを行なったことで急成長を遂げた本学は、大学ラグビー界に「トンガ旋風」を巻き起こし、ジャージの色にちなんで「モスグリーン旋風」とも称されました。今日でもワールドカップ2019日本大会の代表選手として本校卒業生が選ばれるなど、ラグビー伝統校としてその活躍に期待は高まる一方です。

さて、大東体育部の最大の目標の一つに、オリンピックに出場するような、国際舞台で活躍する選手を育成することがありました。その目標は、1972年「札幌冬季五輪」の女子スキー競技や、同年夏「ミュンヘン五輪」の男子レスリング競技に現役学生が出場したことで達成され、さらに陸上競技部の強化によって男子長距離競技における五輪出場も見られるようになりました。近年は改めて女子選手の活躍、2012年ロンドン五輪におけるテコンドー競技での出場のほか、女子陸上競技における活躍も期待されています。

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