—参加したきっかけは?
鬼塚:2年次の5月に大学のポータルサイトで募集告知を見て応募しました。入学してからずっとコロナ禍で学内活動が制限され、今こそキャンパスライフを取り戻せるのではないかと考えたからです。登校する機会も少なく、自分が通う大学をもっと知りたいという想いもありました。
丹羽:私は募集告知開始前に100周年記念事業推進室の職員の方からこの企画のことを聞き、その場で参加を決めました。在学中に100周年を迎えるなんてなかなか無いことなので、関連事業には片っ端から参加するつもりでした。思い出作りですね(笑)
西脇:私も大学のポータルサイトの告知チラシで知りました。カメラが趣味だったので、撮影して満足するだけでなく、学生や関係者に自分が撮影した写真を見てもらえる機会になると思い応募しました。
―初めて参加メンバーが一堂に会した時はどんな雰囲気でした?
西脇:最初のキックオフミーティングでは学生が30人くらい集まっていたので、意外と集まったなと思いました。
鬼塚:面識のない学生も多く、何を取材するかも決まっていない状況でしたが、不安より楽しみという気持ちの方が強かったですね。
丹羽:友だちと誘い合わせて参加する人もいましたが、単独で応募した学生も多く、初めて会う人ばかりでしたが、何をやるんだろうって思うとわくわくしました。
—立候補してリーダーに?
丹羽:いえ、なんとなく流れで(笑)。
鬼塚:A~Eの6チームに分けられたのですが、2チームずつを丹羽さんと西脇さんと私の3人でまとめるみたいな流れになって、わかりました!みたいな感じで。
西脇:しばらくは何となくリーダーっぽい感じで動いていたのですが、本格的に活動するために正式な役職名を決めようと3人で話し合って、「ディレクター」、「マネージャー」、「クルー」という役職と呼称を決めて、役割を明確にしながら活動に臨みました。
丹羽:私たち3人はオープンキャンパスのスタッフとして一緒に仕事していた仲でしたので、ディレクター同士で情報交換したり、アドバイスしあったりして、振り返ってみるとこのメンバーで良かったなと思います。
—取材テーマは自分たちで決めるのですか?
丹羽:最初は事務局からテーマを与えられていましたが、そのうちに自分たちでテーマを決めて行動するようになりました。
鬼塚:最初の取材はウォーミングアップみたいなものですね。
—印象に残っている取材は?
丹羽:初めて自分たちでテーマを決めた書道研究所事務室の取材ですね。(「あれ、これさっきも見たぞ……?」)
インタビューさせていただいた書道研究所事務室の職員の方がとてもユニークで、話があちこちに飛んで、真面目な話をしていたかと思うとオチをつけたりと、笑いっぱなしのインタビューで、これ記事にまとめられるかなと思ったのと同時に、取材の楽しさを知りました。
鬼塚:私は、「カフェつく!」プロジェクトの取材です。(「大学にカフェがオープン?!「カフェつく!」プロジェクト」)
計画段階から、準備、設営、運営まで密着することで、スタッフたちの努力の過程をリアルに紹介できました。取材を通して大学の魅力あふれる学生や教職員の方々と知り合えたことで、学生生活がより豊かなものとなっています!
西脇:私はフレンドシップかるた大会の取材です。(「おとなも思わず本気に!こども相手にも容赦なし!?大いに沸いた「フレンドシップかるた大会」の様子をレポート」)
カメラが趣味なので、案件によっては単独で取材することも多かったのですが、フレンドシップかるた大会はチーム全員で取り組んだ取材で、チームで活動することの楽しさを改めて感じましたし、自治体や地域の方も参加したイベントだったので記事も華やかなものになりました。
—取材活動で苦労した点があれば教えてください
丹羽:私は、人間関係ですね(笑)。1年生2人、2年生1人に4年生が私1人という構成のチームを担当していて、最初は上級生に気を遣わせないようにするのが大変でした。それで、私のチームでは敬語は一切禁止にしました。最初は戸惑っていましたが、徐々に抵抗がなくなったみたいで、後半は1年生も普通に“タメ口”でした(笑)。あとはスケジュール管理ですね。自分ひとりでやった方が早いと思っても、チームとしての共同作業なので、それぞれに作業を預けるのですが、締め切りが近づくと胃がキリキリしました。
西脇:確かに、AとBという作業があったら、ひとりで両方やる方が効率的だけど、それではチームを組んだ意味がないので。上手に役割を振り分けるのは難しかったですね。
鬼塚:ディレクターとしては役割分担とスケジュール管理は一番の課題ですよね。チームでカレンダーを共有して、スタッフには常にスケジュールを意識してもらいました。課外活動とはいえ、この活動は大学は仲間でもあり、クライアントでもあるという意識を持っていました。大学のHPに公開されても恥ないクオリティの記事を、学業やプライベートを両立させながら執筆し続けなければいけない点が苦労しました。
丹羽:4年生なので、就職活動の合間を縫っての取材もありましたし、メンバーにもそれぞれの予定、試験や課題やアルバイトもありますから、自分も含め、いかにモチベーションを維持するのかも課題のひとつでした。
西脇:原稿制作も結構悩みました。撮影や記事制作をメンバーに割り振って、提出されたものを私がまとめるのですが、メンバーごとに捉え方、感じ方が異なることもあり、それぞれの個性を崩さずにいかにまとめるか気を遣いました。
鬼塚:大学のホームページで公開されるものなので、私の主観性と客観性にどのように折り合いをつけるかも苦労しました。だからこそ、テレビ、新聞、雑誌、街中の広告などがどのような表現を採用しているのか。自分だったらどのように表現するかなどをより深く考えるようになりました。表現方法の試行錯誤は一生続くものだと実感しました。
丹羽:取材をこなすうちにメンバーも自分の枠割を自覚するようになって、互いの個性や得意不得意を理解してからは、楽でしたね。
西脇:記事にもチームのスタイルというか、カラーが出てくるようになりましたね。
—苦労ばかりのような感じですが?
丹羽:いえいえ、そんなことないです。楽しかったことの方が多かったですよ。
西脇:取材後にメンバーたちとシャトルバスに乗って東京巡りしたりとか?
丹羽:それもあるけど(笑)。取材を重ねるうちに、人の話を聞くってこんなに楽しいんだってことに気づきました。質問票を用意しても、予定通りに進まなくて、話があちこちに行って、記事にできないような話も飛び出したり、こっちもリラックスしてくると敬語を忘れたり。でも相手もそれを面白がってくれたり。貴重な体験でした。
鬼塚:出会いの大切さを感じました。こういった機会がなければ会えないような方々の話を聞き、体感することで自身の知識や経験にもつながりましたし、なによりも人間関係が広がったことですね。学部学科や学年が異なる学生たちと仲良くなったり、プロジェクトの裏側に密着することで、さまざまな人と知り合い、それが次のステップに繋がったりと。本当に濃い経験をさせていただきました。
西脇:なによりも勉強になりました。ひとつの記事が公開されるまでに、それがどのような目的で企画されて、取材を経て構成する。そこに至るまでの一連の作業に最初から最後まで責任者として携わることでコンテンツ制作の裏側を知ることができました。自分が目指す将来の夢に役立てたいと思いました。
—参加してよかった?
丹羽:よかったですね。取材も楽しかったし、取材の後にみんなでご飯を食べに行ったり、コロナ禍で制限されていたキャンパスライフを満喫できました(笑)
それに、取材を通してコミュニケーションの大切さを改めて感じました。相手が心地よく話してくれるための距離の詰め方や間の取り方など、自分でもコミュ力は高い方と思っていましたが、発見することだらけでした。
西脇:参加してよかったです。大変だったこともありましたが、自分たちの作った記事がホームページにアップされたときはそんな苦労も吹き飛びました。メンバーへの接し方や作業の進め方など、失敗も成功もありましたが、それらすべてが自分の糧になりました。この経験は社会人になっても生かせるのではないかと思います。
鬼塚:参加して本当によかったです!ちょっとした考えや思いつきでも、自分から発信し行動することで共感する仲間ができ、その輪が広がり想像よりも大きな結果や成果を生み出す。自分が動き、人に動いてもらうことの相乗効果を実感し、大東文化大学をさらに好きになりました。一生の経験と思い出の機会を与えてくださった大学へ感謝してもしきれません。ありがとうございました。
—ありがとうございました。そして2年間本当にお疲れさまでした。