パラ・デフアスリートとしての軌跡と特別支援学校での経験
2026年6月11日(木)、大東文化大学東松山キャンパスにて、パラリンピック競泳金メダリスト(東京2020大会、パリ2024大会)の木村敬一選手と、デフリンピック陸上競技金メダリスト(トルコ2017大会、東京2025大会)の山田真樹選手をお招きし、特別ゲスト講演会が開催されました。
本講演会は、中高教職課程「特別支援教育」の授業の一環として行われたものです。当日は夜遅い時間(6限)での開講となりましたが、参加した学生たちは熱心にメモを取りながら耳を傾け、特別支援教育の現場や当事者のリアルな歩みに触れる、非常に有意義な時間となりました。(司会進行:橋本一郎先生)
■ 盲学校での手厚い教育と「寄宿舎生活」が育んだ力(木村敬一選手)
前半は、全盲のスイマーである木村敬一選手が登壇しました。木村選手からは、視覚障がいクラスの競泳ルール(光を完全に遮断するゴーグルの着用や、壁を知らせる「タッピング」)についての解説に加え、幼少期の特別支援学校でのエピソードが語られました。

地元・滋賀県の盲学校は非常に少人数で、同級生はわずか4人。「自分が休むと授業が止まってしまう」環境だった一方、点字の読み書きや白杖を使った単独歩行など、視覚障がい者が生きていくための技術をマンツーマンに近い形で丁寧に教わることができたと振り返りました。
また、自宅からの通学が困難だったため、幼くして「寄宿舎」に入り親元を離れて生活。小学4年生の段階で掃除や洗濯など身の回りのことをすべて自分で行わざるを得ない環境でしたが、当時の経験がその後のアメリカ留学などの基盤になっていることを力強く語りました。
東京2020パラリンピック後の競技生活においては、これまでの筋力強化にとどまらず、オリンピックメダリストの星奈津美さんの指導のもと、目が見えない中で泳ぎのフォームを磨くという新たな挑戦を乗り越え、パリ2024パラリンピックで見事金メダルを獲得した軌跡が紹介されました。
■ ろう学校での出会いと、限られた環境での選択(山田真樹選手)
後半は、生まれつき耳が聞こえない「ろう者」である山田真樹選手が登壇しました。イギリス人の母と日本人の父を持ち、家族全員が異なるコミュニケーション方法(口話、手話、指文字、英語、日本語)を使う環境で育った山田選手にとって、小学部から通ったろう学校は大きな転機となりました。

山田選手が通ったのは、東京のろう学校で、同級生は10人でした。小学4年生の時、転校生が使う美しく洗練された手話(山田選手曰く「イケ手話」)や、そのデフファミリー(家族全員がろう者)が手話で深く豊かな会話をしている姿に衝撃を受け、「自分には手話が必要だ」とろう者としてのアイデンティティを確立していったと語りました。
また、特別支援学校ならではの苦労として部活動の少なさにも言及。中学時代、部活の選択肢は「野球、バレー(女子のみ)、卓球、生活文化」の4つしかなく、野球の体験入部でボールが全くバットに当たらなかったため消去法で卓球部を選んだというエピソードも披露。高校から「陸上部」に入部したことが、後のトルコ2017デフリンピック金メダリスト誕生の契機となりました。
講演では、第一子誕生後の困難を乗り越え、パートナーの支えで東京2025デフリンピックにおいて金メダル2個、銀メダル1個を獲得したエピソードや、競技を通じて世界中に友だちができたこと。たとえ使っている言葉や手話が異なっていても、相手を知りたい、自分を知ってほしいという気持ちがあればコミュニケーションの壁は越えられる、という力強いメッセージが送られました。
■ 特別支援学校の独自教科「自立活動」の真の意義とは
講演の最後には、山田選手の中学時代の恩師でもある橋本一郎先生から「特別支援学校の独自教科である自立活動で何を学んだか」という質問がありました。
木村選手からは「白杖を使って一人でどこへでも行けるようになり、迷った時に人に助けを求める方法を学べたこと」、山田選手からは「大学での情報保障の依頼や、電車が止まった時の周りへの助けの求め方など、人を信用し、頼る力を教わったこと」が挙げられました。
橋本先生はこれを受け、「自立とは自分一人で何でもできるようになることだけではない。困った時に周囲に適切に頼れること(依存すること)も立派な自立である。これは特別支援教育に限らず、一般の教育においてもとても重要な視点です」と総括しました。

木村選手、山田選手、感動的なお話を誠にありがとうございました。また、本講演の企画・司会進行・手話通訳者として、学生たちに貴重な学びの機会を与えてくださった橋本一郎先生に、心より感謝申し上げます。