2026年 1月28日(水)に板橋キャンパス1号館301教室で、2025年度の歴史文化学会秋季大会が行われました。歴史文化学会会長の武藤慎一教授による、1979年のイラン革命を例に、出来事が起きた当時は分からなかったことを、今だからこそ研究するのが歴史研究の意義であるという開会のことばで始まりました。
第1部は卒業論文発表会で、日本史コース先崎美咲さんによる「明治・大正期の鯰絵に関する一考察」、観光歴史学コース円谷和貴さんによる「浮世絵から読み解く筑波山」、日本史コース飯塚祐太さんによる「明治・大正期の出稼ぎ移民―オーシャン島の燐鉱石採掘を例として―」の3つの発表がありました。先崎さんの発表は、明治初期から大正期までの鯰絵を丹念に解読し、当時の時代背景と関連させて鯰絵の役割や目的を考察した内容でした。円谷さんの発表は、地域ごとに異なる筑波山の浮世絵が、何を題材として描かれているのかを考察し、筑波山の浮世絵を今後観光にどのように活用していくべきかという提言まで行い、観光歴史学らしい発表でした。飯塚さんの発表は、埼玉県の比企地方からも海外移民があったことを発見し、出稼ぎ先であるオーシャン諸島での作業内容や、当地における移民の生活を解明した内容でした。どれも丹念に調査し自らの考察を述べ、今後の課題にまで言及した充実した内容でした。
第2部は、2024年12月10日にノルウェーでノーベル平和賞を受賞し受賞演説を行った、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)代表委員の田中熙巳(てるみ)氏により、「核兵器の無い平和な未来に―次世代へのメッセージ―」と題して講演が行われました。1932年4月生まれの田中さんは、もうすぐ94歳になられますが、2時間近くに及ぶ講演を実に熱心に行われ、講演後の学生による質疑応答にも真摯にお答えいただき、学生も真剣に話に聴き入っていました。
田中さんのお話は、先ずは可愛がって下さっていた叔母が亡くなり、親族の手で荼毘に付したことなど、御自身の長崎での壮絶な被爆体験から始まりました。
講演の後半は、「日本被団協」の活動の紹介、そして、核廃絶運動の現状の紹介等、本学学生に最新の情報を御提供下さいました。田中さんによれば、現在、地球上には1万4千発の核爆弾があり、その大半はアメリカとロシアが保持し、残りは、フランス、イギリス、中国が保持していること。また、現在、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が独自に核開発を進めており、その上で、アメリカに遠慮して「核兵器禁止条約」の加盟を見送っている日本政府には、アメリカもかつてのようなアメリカではないので、是非この条約に加盟してもらいたいと強調されておられました。その上で、本学学生に、アレクサンダー・クメント『核兵器禁止条約』(白水社、二〇二四年)をぜひ一読して欲しいと呼びかけられました。
御講演の後の質疑応答では、「どうすれば核兵器を無くせますか」という学生の質問に対し、「皆さんたちの未来に核兵器が使われるかもしれない。人類の破滅になる危険性がある」と警鐘を鳴らすとともに、「いろいろな取り組みをやっておりますが、日本被団協が出来て、もう七〇年になります。それに気付いていない人が多いのが悩みです」とも述べられ、学生たちに対し、核廃絶問題に対して正面から対峙し、学習し、進んでアクションを起こして欲しいというメッセージを発して下さいました。
田中氏は、大東文化大学の高橋進学長とも懇談されました。懇談では高橋学長が、ノーベル平和賞受賞以降全国各地からの講演依頼が殺到するなか、午前中の埼玉県内の小学校での御講演に続いて本学に駆けつけて下さった田中さんへのねぎらいと感謝をお伝えしました。田中氏も、「大学生の皆さんと率直な意見交換ができて嬉しく思います」と答えられ、短い時間ではありましたが、次世代の若者への期待をめぐって意見交換が行われました。
学生の感想をいくつかご紹介いたします。
【学生報告について】
○学会報告では史料やデータの紹介、それを分析してそこからどのようなことがわかるのかということの説明など、これからの卒業論文に向けて活動をしていく上で参考になることが多くあった。そして、新しく知見を得ることもあり、勉強にもなった。特に明治・大正期の鯰絵に関する一考察では、地震鯰が災害をもたらすというネガティブな象徴から福をもたらす世直し鯰へと変貌していったということを考察しており、地震関連しか知らなかった鯰が、明治・大正になるにつれて、政治風刺にも取り入れられて世直しの象徴となったことが新しく知ることもあり、特に印象に残った。
○発表者3人とも、膨大な文章量の卒業論文を発表用に簡潔にまとめ、図を表示しながら発表していて理解しやすく、発表の仕方としてもお手本としたいと感じた。質疑応答の際にもスムーズな返答がされていて、研究としての完成度の高さを実感した。自分もこれから卒業論文に取り組むにあたって、未だ明らかになっていない、研究の少ない分野からどのように情報を集め、研究していくのか、先輩たちの卒業論文を参考としながら進めていきたい。
○3つの研究どれにおいても、信頼性が高く、歴史的な確証が持てるしっかりとした資史料を用いている点において見習わなければならないことが沢山あると感じた。また、他の研究にも沢山触れているのにも関わらず、筆者独自の意見が徹頭徹尾一貫していると感じた。鯰絵の現代までの変化、筑波山の現代観光利用、オーシャン島と北大東島の比較と移民の実情などそれぞれの視点で研究しているが、誰も素晴らしい内容で共通しているところは多く、これから本格的に卒業論文作成にあたり、学ぶことが多い内容であった。
【講演について】
○日本被団協の田中熙巳氏の講演では実際に長崎の原爆を体験したというとても貴重な話を聞くことができた。テレビや本で原爆に関する話を見聞きすることはあったが、実際に体験した人の言葉で語られる原爆は生々しいものであり、聞き入ってしまった。原爆の恐ろしさを知っているからこそ、核の廃絶と平和を訴える言葉はとても重く感じられた。
自分たちが核のある世界でできることとして、核を完全に無くすことは難しくても、核を使わせないように努力するということが重要であるとの言葉が印象深かった。また、自分たち一人一人が微力ではあるが、核の脅威を無くすために、核を使用しないように声を上げ、政治家を動かすように努力していくことが必要であるという話も印象に残った。
○田中さんが「戦争や核の恐ろしさを知らない人が増えた結果、日本も核を持つべきだという意見が広がってしまった。これでは平和は望めない」と述べていたが、私はまさにその通りだと感じた。実際、私の母方・父方の祖父母はいずれも戦後生まれで、戦争を直接経験していない世代である。今の日本では、戦争の現実や核兵器がもたらす恐怖を、自らの体験として語れる人が年々少なくなっている。そのため、戦争や核が持つ本当の重みが、記号や理屈としてしか受け取られなくなっているのではないだろうか。恐怖や悲惨さを実感として知らないからこそ、「抑止力」や「安全保障」という言葉だけが一人歩きし、日本も核を持つべきだという危険な考えが支持を集めてしまう。戦争の記憶が薄れていく今だからこそ、過去から学び、平和の価値を改めて考え続けることの重要性を強く感じた。
○田中さんの壮絶な体験をお聞きする中で、自分では言葉にできない衝撃を受け、改めて戦争、特に原爆投下のような悲惨な歴史は決して繰り返してはいけないと強く思った。昨今では、核兵器を持つことで、他国に対する抑止力となってしまっている状況である。それについて自身で考える機会があり、核兵器を核保有国が手放し、核なき世界を実現するには、まず一人一人が核兵器の恐ろしさを認識し、少しずつ少しずつ世界の認識を変えていくしかないと考えていた。田中さんに質問させていただいた際、田中さんも一人一人が核兵器がどんなものかを知り、”知らない”をなくすことが大切という考えを述べられていた。これはとても長く、難しい方法かもしれないが、国が手放そうとしない限り国民一人一人が声を上げなければいけないであろう。また、どの国も核を打たれるかもしれないという疑心暗鬼な状況であるため、核兵器を手放せない。それは、各国がそれぞれ別の方向をむいているからだと思う。本当に難しいことだと思うが、世界の国々が宇宙開発でも何か1つの目標に向かって協力し合える日が来るなら核兵器も無くなるのかなと妄想する。そして、田中さんの「武器で守れるものは何もない」という言葉の通り、武器があったとしても日本より武力では強い国が沢山ある中で守れるものは何もないと思う。人々が真にわかりあえる、そんな日が来ることを願う。
○田中さんのご講演で1番印象に残ったのは、「武器で守れるものはない」という言葉です。様々な経験をしているからこそこの言葉に重みがあり、私自身考えを改めなくてはいけないなと思いました。なんとなく武器を持っておくことを、安心材料にしてしまっているのが今の世の中だと感じます。「うちはこんなに強い武器を持っている。だからそっちはうちを攻撃できないでしょ?」という無言の圧力のような効果を武器が担ってしまっています。これではいたちごっこで、根本的には戦時と変わりありません。話しても意味がないと避けてしまうのではなく、ちゃんと会話して互いに理解することを諦めてはいけないと強く感じました。思い返すことさえも辛い体験を、二度と繰り返してはならないと世界中に訴え続けている田中さんの勇姿を見たからこそ、改めて自分事のように考えなくてはならないと思いました。本当に貴重な経験になりました。
○当時の話のなかで、メディアがまだあまり発達していなかった時代だったと聞いて、何も分からないまま爆弾が落とされ、多くの命が失われたという光景は、話を聞くだけでも恐ろしく、二度とそんなことは行われてはいけないと改めて思いました。各地で戦争が起こり、核保有国が核の使用をほのめかしていたりする現在の情勢にあるなかで、このような話を聞けてとても貴重な体験となりました。







