- テーマ
- 弘法大師空海の生涯と思想
- 講師
- 松本照敬(東洋研究所教授)
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公開講座/Extention Lecture
東洋研究所では1985年(昭和60年)から一般の方を対象とした公開講座を開催しています。
「アジアの民族と文化」を共通テーマに毎年11月に3回講座を行っています。
弘法大師空海は、「お大師さま」の呼称で親しまれている。大師号と空海とが深く結びついているのは、全国各地の井戸や温泉にまつわる大師伝説や四国八十八箇所の巡礼などによって、弘法大師の名が広く流布しているためであろう。しかしながら、名が知られているほどには、空海の歴史的実像や思想は知られていない。本講座では空海の足跡を尋ね、思想内容についてできるだけ平易に解説してみたい。
8世紀末から19世紀にかけて、通信の革命が起こった。それまで遠隔地通信は、馬、馬車などの手段でおこなわれた。フランス革命期、眼視(望遠鏡)で情報を読み取り、腕木によって次々と伝達するようになった。また、19世紀中頃に、電信機による情報伝達がおこなわれるようになった。本報告では、1794年10月から1795年11月にかけて、フランスのパリとリールを結ぶ腕木信号機の交信記録に記載されたことを解読して、何が伝達されたかを紹介する。
我が国の隣国である中国は、いうまでもなくその国土は広大であり(日本の約25倍)、人口もきわめて多い。歴史的にみると、我が国は早くから漢字をはじめ、中国の学問・思想・芸術・宗教・政治制度などさまざまな文化や制度を受容し、あるいはその影響を受けてきた。13億人ともいわれる中国の人口の大部分は漢民族であるが、チベット族やモンゴル族・ウイグル族など少数民族(非漢民族)も55種を数え、彼らはおもに辺境地域に居住する。中国南部(長江ないし揚子江以南の地域)は現在、多数の漢民族が居住するが、少数民族も各地に分布する。南中国は元来、非漢民族の地域であり、漢民族は北中国(黄河中・下流域)より歴史を通じて南下移住してきたものである。南中国は温暖多雨の気候に属し、早くから水稲耕作が発達してきたが、その水稲耕作と少数民族との関係も重要な問題と考えられる。今回は多種の少数民族のうち、いくつかを選び、その文化を検討してみたい。