Graduate

【茂住修身さんスペシャルソロインタビュー】原点は学生時代に ~経験ゼロから一流書道家へ~(1/2)

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「令和」の元号を揮毫したことで知られる、卒業生の書道家 茂住菁邨さんが学生時代を振り返り、これからの抱負を語りました

大学で書道と偶然出会う

―茂住さんは大学時代なぜ書道部へ入部されたのですか。

 私は20歳まで目標というものを持てずに過ごしていました。自分が何をしたいのか、分からなかったんです。優秀な兄や妹と比べてずっとコンプレックスを抱いていましたね。

 高校卒業後は短大に進みました。父は教員で母が布団店を営んでいて、その布団店を継ごうと思っていたんですが、家庭の事情でそれが叶わなくなり、改めて大学へ入ろうと思ったタイミングで受験できたのが大東文化大学で、何となく将来を考えたときに経済学部を選びました。入学が決まった後、先に東京の大学に進んでいた兄から「お前が入った大東文化大学は書道が凄いんだぞ」と教わったんです。

 そこで初めて大東文化大学が漢学振興のもと書道に力を入れ、日本唯一の書道専門機関「書道研究所」があることを知りました。秀才の兄にコンプレックスを抱いていた私は「書道をやったら兄を超えられるかも」と思い、書道部に入ろうと門を叩いたのです。

―そこで書道の世界に魅入られたのですか。

 私の書道経験といったら子どもの頃に書道教室に一度通ったきり、大東文化大学の書道部がどれだけレベルが高いのかまったく知りませんでした。書道部は全国の書道エリートの集団で、会派に所属し、展覧会等での入賞経験もあり、大東文化大学の文学部に入って書道部に入り、将来は書家か書道の先生になるのが目標、といった学生ばかりでした。

 私はまったくの初心者ですから話が合わないし小馬鹿にもされましたが、ムラムラっと負けん気が湧いて「絶対にこいつらに負けない」と思ったんです。そこから1年、どういう書があるか勉強して、鍛錬して、書にのめり込んでいきました。初めてと言っていいくらいに、目標というか無我夢中になれるものと出会ったんです。書道は準備には時間がかかりますが絵画などと違い、瞬時に仕上げます。その一瞬の芸術に惹かれた、といってもいいかも知れません。ともかく夢中になりました。

 

 余談ですが書道部に入ったもう一つの目標は彼女を作りたかったんです。彼女はすぐにできて、それが今の妻なんですが(笑)。彼女は書家の娘で、初心者の私にとってどのような道具を使うのか、から始まって、どういうことを学んでいけばよいか、といったことを一から教わることができたのも大きかったですね。


「今勝負したら負けるけど、俺はこれからぐんぐん伸びていって必ず勝つ」とそう誓いました。


書道のイロハを学び書道の高みを目指す

―書道部で、書道家 茂住菁邨の土台がつくられたのでしょうか。

 そうですね、書道部は個性的な人が揃い、自己主張が強く、たとえば会派に入っていれば自分が所属している会派が最高だと思っているから、批評会のような場でも血気盛んで、討議が喧嘩腰になるようなことは日常茶飯事です。ただ書の実力はもちろん理論的にも素晴らしかったですね。

 今なら書道学科に入れば中国と日本における書道の歴史や漢文学や日本文化史などの理論を学ぶことができますが、書道部では先輩方の議論を通してそうした教養を吸収し、書の本質や技法、書風などの知識を得ることができました。また当時の書道部は体育会系な気質で、下級生にとって先輩たちは怖い存在でしたが、礼儀や人間関係など多くのことを学びましたね。

 私にとっては、自分の立ち位置も見つけることができたし面白かったです。

―日々、書と向き合う、そういう学生時代だったのでしょうか。

 良い作品を書きたい、作りたい、という気持ちがすごく強かった。

 最近ある展覧会でギャラリートークをさせてもらい、若い世代の方とも話をしたんですが、私たちの頃とはずいぶんギャップを感じることがあります。たとえば「展覧会をやってどうなるんですか」「賞をとって何になるんですか」「それが就職に役立ちますか」といった発言を聞きます。

 私たちはただ、他人とは違う作品を書きたい、誰もが納得するすごい作品を書きたい、そういう熱意がありましたが、今の若い人はそういう意識がちょっと少ない気がします。私はいろいろなところで話しているんですが、書道というものは、芸術というものは、新しいことへの挑戦なんです、誰もやっていないことをやりたい、発想力も想像力も創造力も必要です。

 だから面白くて魅力があるんですよ。若い人たちはその魅力を分かっていないのかも知れませんね。

―書道部では部長も務められましたね。

 私は書道部が好きだったんですね。書道部の大方は文学部に在籍していて、私は経済学部だったのである意味冒険ですが、立候補しました。対抗馬も出ました。弁もたつし書の実力もある人です。

 でも立候補したからには負けるわけにはいかないので、一年間の運営方針などを一生懸命アピールして、選挙に勝つことができました。執行部の人選にも苦労しましたが弱小ながらも体制ができまして、一年間通してやり通せたことが私としては大きな経験になりました。

師匠 青山杉雨先生との思い出

―師匠である青山杉雨先生との出会いも在学時でしたね。

 先生は書道研究所の所長も務められていたと思いますが、1年の終わり頃、初めて青山先生の書を見たときに「この字だ!」と震えがくるくらい感動して、先生の門を叩きました。以後、書道部の活動とは別に毎週先生の稽古を受けるようになりました。

 先生は雲の上の存在であり、稽古のレベルは高く厳しかったです。付いていくために時間を惜しんで練習し課題を仕上げました。先生は1時間で70人、80人見ますから、指導も一言、二言で終わりです。お手本はいただけるんですが、たとえば字が体裁よく半紙のなかにおさまっていない、ということが2、3回続いて「うちには合わないからほかに行った方がいい」と言われてしまう人もいましたね。

 まずお手本通りに書くことに向き合って、同じ位置がとれるようになったら「次は自分の線で書けよ」ということになります。

―青山先生は通常の講義はもたれていなかったのですか。

 当時はまだ書道学科はありませんでしたが、文学部の科目に書道の科目が組み込まれていて、多くの先生が講義をもっていました。私は経済学部の講義は受けたいと思っていなかったけれど、書道の講義は受けたいと思っていました(笑)。

 ですから本来聴講できないのですが、いわゆる「もぐり」で彼女の助けも借りてどの辺りに座ったらいいかも確認して、聴講していましたね。もちろん青山先生も講義を持っていましたから聴講したいのは山々なんですが、行けなかったですね。先生には顔が割れているし、怖くて怖くて、そんな勇気は出ませんでした。

―青山先生との思い出をご紹介ください。

 青山先生は厳しく、近寄りがたかったことは確かですが、とても優しい方でもありましたし、お茶目なところもありました。思い出はいくつもありますが、嬉しかったことと言えば、私が部長を務めていたとき夏合宿への参加をお願いしたら、受けてくださったんです。そんなことはかつてなかったので、舞い上がるほど嬉しかった。

 作品を批評していただいたことはもちろん、麻雀のお相手を正座をして務めて足が痺れてどんな手役なのか分からなくなっていたことも良い思い出です(笑)。

 また先生は人前で褒めることはまずなかったのですが、親族の方が渋谷で書道用品店を営んでいて、そこにお見えになるときに独り言のようにボソボソっと話すらしいです。「あいつな、良く書けてるんだよ」といった感じで。その独り言で自分のことを認めていただいていると、人づてで聞いたときもものすごく感激しましたね。