「一度きりの大学生活、教科書の枠を超えた挑戦がしたい」という強い思いから、経済学部社会経済学科に所属する里見 寛恕(さとみ ひろゆき)さんが、2年間のワーキングホリデー経験し、帰国されました。
現地では、言葉の壁や文化の違い、思い通りにいかない仕事探しなど、綺麗事だけではない海外生活の「酸いも甘いも」を全身で経験しました。
数々の挫折や想定外のトラブルを乗り越える中で、何が起きても自分の力で切り拓く圧倒的なタフさと、多様性を受け入れるしなやかさを身につけました。
異国でのサバイバル生活を経て一回りも二回りも逞しく成長し、満を持して大学へ復学しました。
ご自身の経験が、かつての自分のように「一歩を踏み出す勇気が出ない」と悩む方々の道標になればという願いを込めて、今回のリアルな体験記を執筆してくれました。
「留学」ではない海外渡航が人生を大きく変えた好例として、ぜひご一読ください。
里見さんののプロフィール:
名前(氏名・所属・学年) | 里見 寛恕(Satomi Hiroyuki)・経済学部社会経済学科・3年 |
渡航先(国・都市) | オーストラリア(メルボルン)、カナダ(バンクーバー) |
ワーキングホリデー期間 | 大学を2年間休学して実施 |
現地での活動内容 | 【豪】日本食レストラン、お寿司屋さん、カツ屋さんでの勤務 【加】ラーメン屋さん、お寿司屋さんでの勤務 |
ワーキングホリデーレポート(社会経済学科 里見さん)
ワーキングホリデー「動機」と「決断」のプロセス
── きっかけと目的、出発前の不安と準備
私がワーキングホリデーを決意した最大の理由は、「海外に住んでみたい」という高校生の頃からの強い夢を叶えるためでした。当初は正規の留学も検討しましたが、費用が非常に高額になってしまうことがネックでした。それと交換留学だと、日本の大学で勉強する時間が1年減ってしまうのもネックでした。せっかく日本の大学に進学したのだから4年間はしっかり日本の大学で学びたいと思っていました。
そこで、現地で働きながら生活費を補うことができ、費用を大幅に抑えて長期滞在ができるワーキングホリデーという選択肢を選びました。また、現地で働くことで日本と海外の労働環境、生活環境を身にしみて感じることができると考えたからです。最初は一年間だけオーストラリアに行く予定でしたが違う国に住んでみるのがすごく楽しかったのでなんとか親を説得して大学を2年間休学して挑戦することを決断しました。
しかし、当時の私の英語力は「英検準二級程度」であり、いざ出発するとなると不安ばかりが募りました。「本当にこの英語力で雇ってもらえるのだろうか」「現地で仕事は見つかるのか」「ネイティブとまともにコミュニケーションが取れるのか」と、出発前は心配で胸がいっぱいでした。日本にいるうちに少しでも不安を解消しようと、海外のドラマや映画を熱心に見たり、英語学習のモチベーションを高めるために英語系YouTuberの「Mayu E Room」さんの動画を見たり、実践的な日常会話の底上げとして「バカイト(Bakaito)」さんの動画を繰り返しシャドウイングしたりして、耳と口を英語に慣らす独学の準備を進めました。
現地での勉強・仕事・生活の実態
── 具体的な語学学習の状況、仕事内容と探し方、時給や職場の雰囲気と住居や生活費など
最初の渡航先であるオーストラリアのメルボルンでは、到着後1週間ほどで仕事探しを始めました。現地では自分で履歴書(レジュメ)を店舗に配り歩くのが主流だったため、毎日20~30件の店舗を必死に回りました。しかし、最初は全く仕事が見つからず非常に苦戦しました。2ヶ月ほどかけてようやく採用された日本食レストランは、なんと法律の最低賃金以下で労働者を買い叩く悪質な環境でした。英語がまともに話せない日本人が海外で自立して生きていくことの厳しさを痛感させられました。
「もうここで我慢するしかないのか」と諦めかけましたが、めげずにレジュメ配りを続けた結果、すぐに現地の法律を遵守しているクリーンなお寿司屋さんに採用してもらうことができました。そのため、最初の最低賃金以下のお店は1日で退職しました。その後、毎週決まった時間以上シフトに入って安定して働きたかったため、さらに仕事探しを続け、3つ目の「カツ屋さん」に雇っていただきました。このカツ屋さんがメルボルンで最も長く、一番働きやすい最高の職場となりました。
このオーストラリアでの経験と失敗を徹底的に活かしたのが、2カ国目のカナダ(バンクーバー)です。仕事探しのコツを完全に掴んでいたため、バンクーバーに到着してわずか3日目からラーメン屋さんで働き始めることができ、その後お寿司屋さんでも勤務しました。2カ国を経験して比較すると、職場の雰囲気、時給、人間関係、会社の福利厚生など、総合的な面においてオーストラリアの方が圧倒的に労働環境が良く、住みやすいと感じました。
生活面においては、両国ともお金に余裕がなかったため、毎日自炊を徹底して節約に励みました。僕はアイスとフルーツが大好きなのですが、海外は日本よりフルーツが安く毎日食べていました、アイスも大きくて嬉しかったです。住まいはどちらもシェアハウスです。メルボルンでは家探しに1ヶ月ほど苦戦しましたが、最終的には現地の不動産会社の方にサポートしていただき、なんとか安心できる家を見つけて日本人4人で暮らしました。
この苦い教訓を活かし、カナダへ移動する際は、オーストラリアにいる段階や日本への一時帰国中のタイミングから、Facebook(フェイスブック)のコミュニティやマーケットプレイス等を駆使して、事前にバンクーバーの家主とコンタクトを取り、何件も内見の約束を取り付けておきました。その結果、カナダに到着した1日目で現地の大学生たちとのシェアハウスを決定することができました。最初のホテル代を完全に浮かせることができ、前回の反省を活かして非常に賢く立ち回れたと自負しています。
直面した「壁」と「乗り越え方」
── トラブルや失敗談、それをどう解決したか
2年間の渡航の中で精神的に最もきつかった「壁」は、間違いなくお金(資金)の不安でした。特にオーストラリアでの最初の2ヶ月間、仕事が見つからずに日本から持ってきた資金が日に日に減っていく恐怖は凄まじく、ストレスから毎日のように蕁麻疹が出る日々が続きました。ようやく仕事が決まってからも、最初は十分なシフトを貰えず、お金の心配から夜中に鼻血が出て目が覚めることが何度もあったほどです。同じようにワーホリに来ていた友人も、残高が減るストレスで散歩中に突然鼻血を出すなど、まさに極限状態でした。
結局、3ヶ月目には持参した資金が完全に底をつき、友人に合計30万円ほど借金をし、ルームメイトにも家賃を何度も立て替えてもらうという大ピンチを迎えました。それでもプライドを捨てて周囲に助けを求め、カツ屋さんでの安定したシフトを勝ち取るまで諦めずに動き続けたことで、この最大の経済的危機を乗り越えることができました。
また、現地での手続き面でも言葉の壁にぶつかりました。働くために必須となる現地の銀行口座開設では、窓口でのやり取りがすべて英語で、当時は言われていることの30%ほどしか理解できませんでした。それでも分からないなりに食らいつき、口座を開設しました。
さらに、実体験から得た教訓として、海外での病院の受診とマインドセットの重要性が挙げられます。現地で体調を崩した際、海外現地の保険はすべて英語対応のため非常にハードルが高いです。私は少し費用が高くても「日本の海外旅行保険(留学生プラン)」に加入していたため、オーストラリアでもカナダでもすぐに病院を手配してもらい、日本語の通訳さん付きで診察を受けることができました。この選択は大正解だったと感じており、今でも海外に行く際は必ず日本の保険を利用しています。
そして、人間関係の壁においては、「Yes, Noをハッキリ言うこと」の大切さを学びました。海外では自分の意思を曖昧にしていると、職場の上司には都合よくこき使われ、友人からは『何を考えているか分からない』と距離を置かれてしまいます。自分の意見を明確に主張することの大切さを、身をもって知りました。
帰国後の「変化」と「キャリアへの影響」
── 得られたスキルと価値観、その後の進路や今後の計画
2年間のワーキングホリデーを終えて日本に帰国した今、心から「海外に住んでみて本当に良かった」と感じています。当時19歳、20歳という人生の早い段階で、言葉も通じない異国の地に身を置き、自分の力だけで生活を営んだ経験は、何物にも代えがたい貴重な財産となりました。
帰国後は、自分自身の「見える世界」が劇的に変わりました。外の世界を知ったことで、日本の治安の良さや便利さといった素晴らしさを再認識すると同時に、海外の自由さや多様性といった魅力も肌で感じ、視野が大きく広がりました。現在はまさにこれから就職活動に臨むタイミングですが、この海外生活の中で培ってきた「世界中にできた人脈」「実際の海外生活で培った英語力」「予測不能な事態に対応するその場の対応力」、社会経済学科の学びや現地の逆境で鍛えた「圧倒的なタフネス・メンタル」の4つの大きな武器を最大限に活かし、グローバルな視野を持ってこれからのキャリアを切り拓いていきたいと考えています。
また、このワーキングホリデーを通して、英語力の中ではリスニングとスピーキングがすごく伸びました。常に英語でコミュニケーションをとる友達といたので友達に英語や文化をたくさん教えてもらうことができました。日本から出る前までは「英語力が一番手に入るだろう」と予想していましたが、実際に得られた最も大きな宝物は『仲間』でした。自分が一番手に入れたものの順位をつけるとするならば、一番は仲間、二番目が適応力、三番目が英語力(リスニング・スピーキング)だと思います。
ちなみに、オーストラリアで出会った友達がいるのですが、その友達は今、香港に住んでいます。日本に近いということもありますが、今でもすごく仲が良く毎年会っています。今年もまた会えるのが本当に楽しみです。いろいろな国の人と友達になれたことですごく世界が広がり、そのおかげで、現地の様々な国にも行くことができました。私とお友達になってくれたすべての人に心から感謝しています。ありがとう。
大切な人々への感謝の言葉
── ルームメイト、友人、そして家族へ
ここで、2年間の旅を支えてくれた大切な人たちへ、どうしても感謝の気持ちを伝えたいです。オーストラリアでもカナダでも、一緒に暮らしたルームメイトにはすごくすごく感謝しています。私は当時、シェアハウスの中で一番歳が若かったこともあり、みんなが私のことをすごく心配してくれました。「本当にありがとうございました」。私は照れ臭くて、あまり自分の気持ちをストレートに表に出すようなタイプではないのですが、心の中ではいつも、すごくすごく感謝していました。すごく楽しかったです。本当にありがとう!
そして最後に、この2年間という長期にわたる挑戦を信じ、温かく見守り、ワーキングホリデーに行かせてくれた両親に深く感謝しています。本当にありがとうございました。
これからワーキングホリデーを検討される方へのメッセージ
── 「これだけはやっておこう!」
ワーキングホリデーは楽しく、本当にワクワクするような経験ですが、綺麗事ばかりではありません。現地で泥臭く生き抜き、チャンスを掴み取るために、大東文化大学の後輩の皆さんへ「これだけは絶対にやっておけ!」というリアルなアドバイスを贈ります。
ワーホリを成功させるためのリアル
● 最初の仕事探しは「めげない心」がすべて: 毎日20〜30件のレジュメ配りは当たり前。最低賃金以下の悪質な職場に当たっても諦めず、クリーンで働きやすい環境を自力で見つけるまで打席に立ち続けること。
● 海外へ行くなら「Facebook(FB)」をフル活用: 最初のメルボルンでは不動産会社の方に頼って家を見つけましたが、その経験を活かし、2カ国目では移動前からFacebook等のコミュニティを通じて現地家主と直接コンタクトを取り、到着 1日目で家を決めて初期費用・ホテル代を賢く浮かすこと。仕事もFacebookで見つけられます。
● Wiseを使う: 日本のクレジットカードを海外で使うと手数料とレートが高いのでWiseというアプリを使うことをおすすめします。すごく便利です。
● 少し高くても「日本の海外保険」に絶対入ること: 現地で体調を崩した際、日本語通訳やスムーズな病院手配のサポートがある日本の保険は、必須の命綱です。
● 職場でも友人関係でも「Yes, No」をハッキリ言う: 曖昧な態度は海外では命取り。ハッキリ主張しないとこき使われ、信頼も失う。自分の意見を言葉にする勇気を持つこと。
今海外に行こうかな?海外に行ってみたいなと少しでも思っている人がいるなら今すぐ海外に行ってみることをお勧めします。まずは短期海外旅行でもいいです。留学するお金がないのならワーキングホリデーをお勧めします。海外の生活にはたくさん不安があると思いますが意外となんとかなります。自分で問題解決する能力も自然と伸びます。今が一番若いです。一番若いときに一歩踏み出してみることをすごくお勧めします。もし海外での生活が合わなかったり、仕事が見つからなかったりしたら日本に戻ってくればいいと思います。
海外に行ってみようかなというその気持ちに一歩踏み出したら全く新しい世界・景色・出会いがみれると思います。
何か相談したいことなどあれば国際交流センターの人に僕の名前を伝えてください。些細な相談でもなんでも相談に乗りますので!皆さんの挑戦を心から応援しています!
最後まで読んでいただきありがとうございました。