飲料:インドネシア―インドネシアの飲料

エディ・ヘルマワン

インドネシアの飲料は、大別すると2種類になる。第1種は単品種の飲料で、もう1種類は混合飲料である。一番人気のある単品種の飲料には、テー(teh/茶)とコーヒーとがある。西部ジャワでは、混合飲料には、バジグル(チャンカレングの果実を入れたもの)、バンドレク(黒砂糖と生姜などを入れたもの)、ジュース(マルキサ、ミカン他)などがある。いずれも砂糖と香料を添える。ラムネ(炭酸)、シロップのコピヨル(ソフート、椰子の実)、シルサク、薄いチンチャウ(青と黒)、スコテングなどは、若い世代の大好物である。ラハンはワインのような飲料である。今はほとんど醸造していない。日本の清酒や中国酒は洋酒と同様、舶来品である。売られてはいるが、現地にすむイスラームの人々とは縁がなかった。

1.インドネシアのテーとその歴史

オランダ語の dranken、インドネシア語の minuman、スンダ語の leueutan、inuman は必ずしもテーだけを指すわけではない。テーならば、teh、enteh という表現でよい。テーの語源は福建語の「<テー>」である。インドネシアのテーも中国と深いかかわりがあることがここからもわかる。ちなみに、ジャカルタには、パテコアン(八帝罐)という名前の町がある。パは八、テは茶、コアンは缶で、昔、八つの茶碗が並べられていた。そこは、茶を売る場所だったらしい。昔、中国商人はインドネシアの香料をいろいろと捜して、漢方薬の原料として中国へ運んだ。たとえば、安息香、肉桂、にくずく等である。他方、インドネシア商人が中国へ交易品を捜しにいくことはほとんどなかった。17世紀(あるいは18世紀前半)、オランダ東インド会社は中国から茶の種子を輸入したという。しかし、テーの生産には成功しなかった。1825年より1829年までの5年間、Diponegoro とオランダ植民地主義者とのあいだに戦争が勃発した。これは、オランダ植民地政庁に大きな打撃を与えた。政庁の財政は逼迫した。政庁は2,000万ルピアという膨大な経費の支出を余儀なくされた。同じころ、オランダ本国とフランスとの間にも戦争が勃発した。オランダの国土は一時フランス軍に侵入され、多くの財産が略奪された。ベルギーも独立してオランダと戦った。財政難が一層深刻化した。こうした財政的困窮が背後にあって、オランダ政庁の Van de Bosch 総督はジャワ島に強制栽培制度(Culiturestelsel)を導入した。この制度では、テーの栽培が指定された。テーは政庁政府に多大の利益をもたらした。茶畑のオランダ人所有者は1年のうちの66日間、農民を無償で働かせた。当時、テーの主産地は、ジャワ島西部のボコール・ジャカルタ(旧名バタビア)・スカブミや、スマトラ島のペマタン・シアンタルであった。1824年、オランダは日本に滞在中のシーボルトに命じて、日本茶の種子を送らせた。この時の栽培、つまり技術導入は失敗したと伝えられる。1852年には中国茶を中国式に生産できるようになった。1870年からは、インドのアッサムやスリランカからの茶を植えるようになった。その後1922年から33年にかけてオランダ政庁は6回ほど茶生産の調査団を中国に派遣し、種子や苗を導入した。そうした基礎があって、その後製茶工業や製茶機械業は発展をみた。独立後も順調に発展した。1980年には、インドネシアの茶園は約10万ha、生産量はll万tに達している。

17世紀末にオランダ領東インドに入ったテーの樹木は、いまでも熱帯及び亜熱帯に広く分布している。背丈は一般に低い。高くなると9mにまでも生長すると言われる。西部ジャワでは今日、そんなに高いテーの木は見られない。低い木ばかりである。白または桃色の花を葉の脇につける。緑色または茶色の果実がつく。熱帯地方では、海抜1,200~1,800mのところで年降雨量1,100mmあれば生長できる。西部ジャワのプンチヤクバタケとレンバン茶園は海抜800mのところにある。降雨量が豊かなのでよく生長している。レンバンのテーは日本で売られているジャワ・テイーの原料茶葉である。ジャワ・ティーは干した若葉を使う。緑茶は、蒸して乾燥する。ジャワの黒茶または紅茶を作る際には、若葉を干すが、発酵はしない。

インドネシア全土で愛飲されている紅茶とは別に、華人が作る「中国茶」も人気がある。たとえば、60年も前から発売されているTeh新徳、後の新新徳は今も銘茶としての評価が高い。輸入品の鉄観音茶はあまり飲まれていない。しかし、伝統を守る華人はお酒を飲むようにちびりちびりと飲む。日本人がお酒を飲むときに似ている。

2.茶屋(茶舗、茶店)、茶器など

バンドゥン市北方の山麓にあるレンバンには、オランダ政庁時代からの茶屋がある。茶屋はダゴ・テ・ホウイス(Dago Tee Huis、Dago Tea House)という。これは、オランダ語からの転用であると思われる。インドネシア語の dahaga、dahga、dago は「口が渇いた」という意味である。植民地時代、そこにカフェが建てられた。オランダ人支配層の憩いの場所となった。今は、大学生(とくに国立パジャジャラン大学)や中級以上の市民、外国人観光客専用の「喫茶店」になっている。庶民には高すぎて入れない。

安いのは珈瑳館(kedai kopi)、コーヒー屋(warung kopi)である。ちなみに kedai teh または warung teh という表現はない。珈瑳館では紅茶も置いている。市内には「飲茶(ヤムチャ)」の料理店も華人によって経営されている。しかし「飲茶」は、単なる「茶を出す店」ではない。コカコーラやお菓子も売っている。

普通はガラス製の茶器が使われている。陶製の茶器は、華人が経営する飲茶のレストランや西洋風のカフェーで使われている。テーはアルミニウム製のポットに茶葉を入れ、それから湯を注ぐ。3分ぐらいして、まだ熱いうちに飲む。お茶を味わって飲むというようなことはない。暑い国だから、水分の補給というわけで、渇いたのどに水をがぶがぶ飲むように流し込む。中国人のように味や香りを楽しむことはない。日本の茶道のような作法もない。だから茶のわび(幽雅)は知らない。中国では、陸羽の《茶経》は茶のバイブルとして有名である。インドネシアでは、現地国人はもちろん、華人も知らない。曲芸のようにして茶を茶器に注ぐ芸当や、コップの茶の中に毛筆で字を書く水書道もない。

以前は、西部ジャワのマラバルにある山地の茶畑では、歌を歌いながら茶を摘む女性の姿が見られた。今では、舞台で茶摘み踊りが再現されている。日本の「茶切節」とは音感がかなり違う。中国のような、茶を飲みながら友人同士で詩を作るという風俗はない。しかし、珈瑳館では知識人が活発に政府に対する批判をする。

インドネシアの紅茶は香りも味も抜群である、と私は思う。東ジャワのスラウイ・ジャスミン紅茶は中国のジャスミン茶と味も香りもちがう。ジャスミンの干し方や蒸し方がちがうためであろう。

3.インドネシアのコーヒー

植民地時代、外国人は“I want a cup of Java.”とよく言った。‘a cup of Java’とは‘a cup of Java coffee’の意味であった。このようにジャワコーヒーは有名であった。もっともジャワだけがコーヒーの産地であったわけではない。バリ・コーヒーもアロマ・コーヒーも有名だ。今では、トラジャ(スラウエシ、旧名セレベス)コーヒーの名が高い。トウモロコシを混ぜたニセ物も出回っているので注意しなければならない。インドネシアでも、コーヒーは濾過式とドリップ式の2種類の入れ方がある。

ジヤカルタやバンドゥンの珈瑳館のメニューは、白い砂糖やミルクの有無で異なる。コーヒーでは、Kopi manis(砂糖入り甘い珈瑳)、Kopi pahit(苦い珈瑳)という。テーでは、Teh manis(砂糖入り甘い茶)、Teh pahit(苦い茶)、Teh susu(茶と牛乳、缶の練乳)という。

4.熱飲と冷飲の話

バンドゥン盆地は年中涼しい。そこで、紅茶やコーヒーが好まれる。お茶うけにはカヤンの菓子やバナナが添えられる。もっとも暑いときには、氷を入れたアイス・テーやアイス・コーヒーが飲まれる。ジャカルタの中華街では、冷たい涼茶(甘草などを入れた混合飲料)や甘いキャンディ飲料が、輸入品の酸梅湯とともによく売れている。生姜を粉にして、熱湯を生姜の粉に注ぐ飲物もよく作られる。熱くて辛いが、体が暖まる。西部ジャワのバンドレクでは、生姜のほかに薬草(ジャム薬草類)や胡椒を入れる。辛すぎて外国人の口にはあわない。薬草を入れたインドネシアの漢方飲料としては、Nyonya Meneer や Tjap(cap)jago がもっとも有名である。近年有名になったBeras Kencur も薬草(ジャム)の一種である。

インドネシアのビールはドイツ系統のハイネケンに似た味である。オランダ政庁時代から生産されているビールは建国後Bintang(星)とAngker(錨)に改称された。味と香りはあまり変わらない。最後に、インドネシアでもっとも大切なのは水である。日本やマレーシアと違って、水道の生水を飲むことはできない。飲料水は沸かさなければならない。現在の日本ではミネラルウォーターが花盛りである。私には、土甕(kendi)に入れた沸かした水が美味しく感じられる。

茶畑で茶摘みをしている女性達:西部ジャワ

初出誌情報

エディ・ヘルマワン 1995「飲料:インドネシア インドネシアの飲料」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第5号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.123-125.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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