酒物語:中国―ウイグル族とカザフ族の酒文化

トホティ

漢民族がウイグル族から学んだ

中国にいるウイグル族とカザフ族は主に新彊ウイグル自治区に住む。1990年ウイグル族の人口は730万人余、カザフ族は109万人で、すべてイスラーム教である。

周知のように、敬虔なイスラーム教徒は酒を飲まない。イスラーム教の教義がそれを禁じている。しかし、両民族とも酒とは深い関係がある。日常生活では、酒とどうして無関係でありえないのか、酒の種類がとても多いのは何故か。これに答えるには、歴史から説き起こす必要がある。

中国の漢籍《漢書、西域伝》に、西域(今の新彊)に醸造の記録がある。漢代、張騫が西域に行ってから、西域の酒が中国の中心地に絶えず流入した。葡萄は伊吾、亀茲、康吾によく産し、漢はその種をとりて長安に植える。葡萄は今の葡萄。“その実は指の如くで、味は豆蒄に似、香わしき酒になる”“大月氏は葡萄酒を1万余石貯蔵し、数十年に至るもその酒は腐らず”。これらの記録は酒の豊富さを伝えるものだ。しかも、数十年もその酒の質が変わらなく、質がよいことを述べている。

この記録のように、今日のウイグル地区、カザフ地区には醸造の歴史は2000年余に及ぶ。この地域の葡萄を原料とするワイン作りの歴史は漢族の地域より長く、漢族地域は西域から葡萄酒の醸造技術を学んだ。

ウイグル、カザフ族は長い経験から豊富な各種のワインや低アルコール度の飲料酒造りの技術を蓄積して来た。日常生活ではこれと離れては考えられない。このように、酒も彼らの生活の一部分となっている。

11世紀からウイグル族はイスラーム教を受容した。イスラーム教は厳格な戒律をもつ。イスラーム教徒は、豚肉を食べてはならないし、酒、タバコはダメである。これは戒律による習慣である。イスラーム教を信仰したウイグル族などの諸民族は過去の信仰(仏教)をかえ、多くの生活習慣をかえた。しかし、醸造、ワインの貯蔵、その売買、飲酒の古来からの生活習慣だけは完全にかえることはなかった。

豊富な酒の種類

現代のウイグル族、カザフ族は醸造技術を継承して来たのみならず、それを発展させ、酒の種類より多く、多様になっている。人々の知る近代的な貴州の茅台酒や青島ビールなどの他に、ウイグル族、カザフ族には伝統的な酒の上に、その他の民族がもたない酒や飲料がある。

Musallas;ウイグル族の伝統的な低度の清涼酒である。一般の家庭ではどこでもそれを作る道具がある。原料は葡萄、砂糖、リンゴ、野菜などである。アルコール分は10~18度の間。葡萄が熟したころそれを洗滌し、その汁をしぼる。それに砂糖を加えて沸騰し、冷やし、木桶に入れて日陰の涼しいところにおいて発酵させる。数ヵ月で熟成し、飲めるようになる。通常、春に客を招待しもてなす。その芳ばしさときたら、人の心を酔わす。

Kimiz;カザフ族の日常生活には不可欠な馬の乳から作った酒である。アルコール分は2~6度。しぼりたての馬乳を馬の皮で作った皮袋に入れ、できあがっている馬乳酒の種を入れて温かいところにおくと発酵を始める。毎日木のシャク子で数回攪拌する。数日後には酸味を帯び、酒香を放つようになる。清涼飲料で口にすると、腹にしみ通る味の乳酒である。通常“馬乳酒”と呼ぶ。

羊の尾の中にある油を馬乳といっしょに皮袋に入れておくと発酵する。この乳酒はとても芳ばしく、栄養が豊かである。元代の詩人許有壬は“その味は甘露に似、醸醴の泉かと疑う”といい、清朝人は乳酒を“その色は玉清水で、味は甘く香り高い”"(《瑟樹叢談》)と形容している。乳酒はアルコール分を含むが10数杯を重ねても、頭にくることなく、かえってねむけをさそう。数杯で桃源郷にさまよえる心地となり、陶然として睡気をもよおす。カザフ族はこの酒を最も好み、客を歓待するときの重要なごちそうである。他に、家庭用のラクダの乳から乳酒をつくるものあり。それは色は白く、アルコール分は高い。味は甘く豊淳にして、馬乳酒よりおいしく。香が高い。アルコール分は5~30度の間。肺結核や胃病に効く。このため、ウイグル族、カザフ族の牧民はこの酒を好む。

Baoza酒;これはウイグル族、キ・リギズ族の伝統的な小麦粉から作った酒で、栄養が豊富である。アルコール度は5~20度の間。通常冬に家庭で飲むか、接客用につかう。ドロドロにといた小麦粉から作った糊状の酒で、水で溶いた小麦粉を鍋に入れてにる。うすい糊にし、熟成後、木の桶に移す。手がやけどしないくらいまで温度が下がった頃、麦芽の粉からつくった種を入れる。ふたをし、密封(その上に土をかぶせてもよい)、そのまま発酵させる。第3日目に、煮沸し、冷やした水を入れてうすめ、絹布で濾す。それを瓶に入れれば完成。

Buoza酒;自家用がほとんどである。遠来の友が来たときなどに供される。だから、店には売りがない。この酒は栄養が豊富である。とくに人を酔わせしめ、心がうきうきとなる。恋愛中の恋を語る際、青年男女が葡萄棚の下で飲むと、甘美な味と芳香で気持ちがより昂ぶる。他に、補血作用がある。牧民がしょっちゅう飲むのは、貧血などの治療のためである。高貴な客が来たときなどこの酒をふるまい、主人のもてなしの誠意のあかしとする。

Murapba酒;これはウイグル族の一般家庭の常備の甘酒である。アルコール分は3~6度の間である。糖分がかなり高く、とにかく甘く、香がよい。飲んで酔うと、芳香が漂う。とくに女の子供たちが好む。

Murapba酒の原料ははなはだ多い。葡萄、リンゴ、アンズ、梨、桑の実、野イチゴ、モモ、櫻モモ、海棠の実、イチジク、梅などである。葡萄から作ったMurapba酒と葡萄酒との基本的な相違は、葡萄Murapba酒が葡萄の果汁を搾り出し、果肉と果汁を分離、果肉の方でつくる。果汁からではない。熟成したMurapba酒は、黄色でおかゆ状、甘さの中に酸味がある。酒の香と葡萄の甘さが混在、より人をひきつける。

美酒の宴

毎年、7、8、9月は、ウイグル族、カザフ族の家庭、果樹園、葡萄園、牧場のどこでも、乳酒、葡萄酒、Baoza酒、Murapba酒などの芳香が漂い、人を魅する季節である。

ウイグル族もカザフ族もイスラーム教を信仰しているが、どの家庭にも手製の各種各様の酒がある。だから、客の接待、祭、節日などでは親は子供に飲酒を許す。とくに、結婚式の日はそうである。結婚は一生の中で大きな節目であり、新婦の両親は家の最もよい酒を新郎と新婦の親友にわたす。その親友は参加者の若者や子供たちを集め、新郎新婦の両親や他の参加者がみえないところへ行き、その最上の手製の美酒の宴を開く。酔いつぶれてやっとやめる。

イスラーム教との関係があると思われるが、ウイグル族もカザフ族も、敬老精神があり、子供たちを可愛がる。また朴訥として情熱あふれる性格である。飲酒の時は、老人と青年とは席をわける。老人たちが酒をくみ交わす座には青年たちはいない。逆に青年たちの酒の座には老人たちは参加しない。このため、婚礼の時には老人たちは若者たちのことを思い、彼等が大いに酒を飲んで楽しむように気を使い、若者たちに干渉しない。結婚は青年たちにとっては最も甘美な幸福な時である。青年たちは各種の酒を持ちより、酔うほどに飲みあかす……。

酒文化は、イスラーム教を信仰するウイグル族、カザフ族の少数民族の生活の中で独特な意義がある。彼等はイスラーム教文化と酒文化という完全に対立する2つの文化を一つに融合させ、豊富多彩なオアシス文化を創っている。酒も彼等の日常生活の重要な一部となっており、これは他の民族にはそう多くみられない。

(訳:小島麗逸)

初出誌情報

トホティ 1992「酒物語:4.中国―ウィグル族とカザフ族の酒文化」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第2号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.119-121.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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