葬儀:韓国

新納豊

〔死者は生者とともにあり〕

韓国にやや長期に滞在し、友人付き合いで気軽に家を訪問できるようになると、かなり頻繁に友人の親族と顔を合わせる。農村では同じ村に住んでいるのだからと、さして気にはならないが、都会でも、けっこう遠方に住んでいる親族が機会あるごとに顔を出す。そのつど友人にその続柄を確認するのだが、そのうち頭はパニック状態になり、親族表を作りながら半日位の講義を受けることになる。こうしてこれまで話だけで登場していた親族も含めてひとまず紙の上での整理がつき、生きているとばかり思っていた人が実は何世代も前の人であったりということが判明する。この洗礼を受けると、日本と比較して親戚付き合いが広いとか深いとか程度の差で済ませていた認識を改めざるを得なくなる。家族や親族の範囲やニュアンスの違いもさることながら、どうやら死者の生き方とでもいうべきか、生者の生き方生かされ方の問題なのだ。

その圧巻は祖先祭祀の時である。ここにはすべての親族が顔を揃える。実際にはやむにやまれぬ事情で欠席する人もいるが、そのかわりにというわけでもなかろうが、知人や近所の人も出入りしてこったがえす。ここでの親族とは「同高祖入寸」(寸は親等に対応する)まで、すなわち四代前の父系祖先の子孫たちである。日本でも民法上親族は六親等内の血族と配偶者および三親等内の姻族とされ、いい線いっているのだが、日常的な行き来はかなり狭い範囲にとどまるだろう。韓国ではこの子孫たちが少なくとも年に数回、多ければ十数回顔を合わせ、身内〈チバン〉としての絆を確認する。実際に、この範囲内の人々の付き合いは、日本での親類というよりも家族そのものである。死者は生者を結び付け、生者とともにあるのだということを無言のうちに伝えている。

韓国では冠婚葬祭の通過儀礼は日本と同様に誕生、婚礼、還暦、葬礼、祭礼があり、これらは一般に儒教の儀礼にしたがって行われている。儒教は、高麗末期に朱子学が宋から入ってから圧倒的な影響力をもつに至った。儀礼は『朱子家礼』に基づいて書かれた『四礼便覧』にことこまかに整理され、これは現在の儀礼生活にも大きく作用している。ここでの課題は葬儀だが、「葬」と「祭」は分かちがたく結びついているので、まず葬儀について述べ、祭祀に及ぶ。

〔葬儀〕

葬儀は出棺までの日数で三日葬、五日葬、七日葬などがあり、近年は全般的に簡素化の方向にあるが、農村部で地域の名門を自負しているような家では、今でも盛大な葬儀が行われる。埋葬とそれに伴う儀式までを含めて初喪といい、初喪の後屋外に特別の霊座を設けて位牌と遺影を安置し、毎月1日と15日に供物を供えて朔望奠をする。1年目の命日を小祥、2年目の命日を大祥といい、いずれも親族や弔問客が集まって大きな祭りをする。大祥が済むと葬儀は完全に終了する。これを三年喪という。つまり遺体は埋葬されたとしても、魂はこの間喪家にとどまり、大祥終了後にはじめて家を去るものとみなされている。したがって三年間は喪に服すことになっている。これ以降は、のちに触れるように四代祖までは家に迎えて祀られ(家祭)、五代祖以上になると墓所で祀られる(墓祭)ことになる。

喪主は死者の長男がつとめるが、嫡長男がいない場合には承重孫子(長男の長男)、次嫡子孫(次男)、妾出子孫の順につとめる。女性が喪主になることはない。原則として死者儀礼の対象となりうるのは正常死を遂げた既婚の成人男女だけであり、未婚者の場合には葬儀は行わない。葬儀の実際は近親者か親しい友人がとりしきる(これを護喪という)。葬儀での供物の準備や会葬者への食事等の支度は女性の役割となっており、近隣からも手伝いにやってくる。最近は都市部では葬儀屋に頼む場合も多いようだが、農村では契と称する任意の互助組織があって、その仲間が現物や労力を提供するのが普通である。

〔葬儀の進行〕

  1. 臨終―死期が近づくと、新しい着物に着せかえて東枕にして寝かせる。家族や親族は着替えをし、静かに見守る。臨終を見取らないことは非常に不孝なこととされている。
  2. 収屍―死が確認されると、目を閉じてやるなど遺体を整える。
  3. 皐復(招魂)―死は霊魂が肉体を離れること、しかも一定の期間は、家の近くになおさまよっていると考えられ、死者の霊魂を呼びもどす儀礼が行われる。
  4. 獲喪―髪を解いて実し、喪を世間に知らせる。
  5. 訃告―親族や知人に故人の死を通知する。
  6. 襲―遺体を拭き清めて死装束を着せる。
  7. 飯含―水に漬けてふくらんだ米を故人の口の右、左、中央に含ませる。これはあの世へ行くまでの食糧といわれる。
  8. 小?―遺体を真っ直ぐに伸ばしたり両手を合わせる形にするなどの支度をし、霊前に供物を供えて哀実する。
  9. 大?―小?のすんだ遺体は柩に移される。柩の内底には七星板(北斗七星を型どった穴をあけるか墨で描いた板)の上に地金と称する布団を敷き、遺体を枢に収める。隙間には綿や着物を詰めて動かないようにし、天裳と呼ばれる布で覆い、蓋を閉めて木釘でとめる。
  10. 成服祭―入棺を終えると霊座をつくり、魂帛(臨時の位牌)と遺影を安置し、親族は喪服に着替えて祭祀を行う。弔問客の焼香は成服祭 を終えてから許される。出棺までは毎日朝夕に祭祀を行う。
  11. 發?(出棺)―成服祭から3日ないし5日(さらに7日、9日)後に枢は墓所に運ばれる。喪主を除く遺族が枢の両側に立って支え、部屋の四隅を巡って庭に運び出し、用意された喪輿に収めたのち、ちょっとした祭壇をもうけて祭祀を行う(發?祭)。
  12. 運柩―野辺送りの歌(香頭歌)を歌いながら墓所に向かうが、途中で路祭が行われる。これは親しかった友人の家の前などで、彼が故人に告別する意味があったとされる。墓所に着くと、喪輿のそばに祭壇を設けて弔問客を受ける。
  13. 下棺・成墳―發?と同時に墓所では墓穴が準備される。喪輿から棺を下ろし、近親者の手で静かに墓穴の中に下ろされる。この時、遺体 の頭は北に向けられる。喪主がまず土を入れ、人夫が埋葬する。途中何度か念入りに土固めをしながら穴が埋まると平土祭を行い、さらに円い土饅頭をこしらえ、芝を敷いて踏み固める。
  14. 虞祭―遺体の埋葬を終えて帰宅後、故人の魂が彷徨しないように慰安するための儀式を行う。ここまでが前述の初喪であり、小祥と大祥 を経て葬儀は終了する。

以上は儒教式の基本である。煩雑を避けるためにかなり省略している。また実際には、例えば襲と小?大?を同時に行うなど、簡略化され る場合が多い。葬儀の実態は地域により、また階層等によって多様であり、ここでは触れないが巫俗(シャーマニズム)儀礼の並行が全国的に見られるという。

〔祖先祭祀〕

葬儀だけでも気が遠くなりそうだが、その後には祭祀が待っている。祭祀は生者への孝行の延長にある。いわば孝行の仕上げであり、手を 抜くわけにはいかない。祭祀は家祭と墓祭に大別される。

家祭は葬儀の終了後4世代の間家で行われる(四代奉祀)もので、これには次の2種類がある。

①忌祭祀〔キジェサ〕日本での法事にあたる。各祖先の命日の前夜半過ぎから夜明けまでの間に、家内の大庁に位牌をそなえ、祭物をそなえて行う。これに集まる人々は高祖父(4代前の父系祖先)の子孫たちであり、この範囲はチバンと呼ばれる父系近親者たちの範囲といちおう対応する。4代まで、つまり高祖父母までだからきちんとやれば年に最低8回、正妻を亡くして後妻を迎えた人がいればその分が加わる。さらに不遷之位(国家に勲功があって、国王が特に未来永劫祀堂にまつることを許した神位。親族にとってはステイタス・シンボルとなる。)を有する家系ではさらに回数が増える。

②茶礼〔タレ〕年に2~5回、元旦や秋夕(旧暦8月15日)などの名節の朝、忌祭祀の対象となるすべての祖先に対して行われる。普通はチバンの本家〔クンチプ〕に全員が集合して祭祀を行い、ついでチバン内の各家をまわってそれぞれの家の祖先をまつる。儀礼そのものは男性によってなされるが、祭物の準備はその家の女性たちがする。
 もう一方の墓祭(時祀ともいう)は、5世代以上の祖先たちに対して、毎年一定の日(陰暦10月または3月)に墓地で行う。5世代以上に際限はない。この祭祀は各個の家を離れて、当該祖先たちの子孫全員の責任において、普通は門中〔ムンジュン〕(その最大範囲は同姓同本、つまり同姓でかつ始祖の出身地を同じくする氏族。ただし、氏族内部はいくつもの段階で派に分かれ、一定地域や村を単位として、その土地に定着した始祖の子孫による門中が存在する。)の行事として行われる。この時には門中の人々が墓地に集まり、始祖から順に一つ一つの墓をまわって祭祀をする。日本の場合、一ヶ所の墓に先祖代々の骨を祀ってあるから簡単に思われるが、韓国の場合は土葬だから墓は一基ごとに独立している。しかも根強い風水地理説によって墓相のよいところ(明堂という)を探し求めて建てるので、方々に散らばっているから大変だ。伐草普通でも2、3日、1週間や2週間掛かるという話も聞く。また、墓祭の前に墓を掃除して整えなければならないが(これを伐草といい、秋夕前後に行うことが多い)、私の経験では11基の墓の伐草に大人6人で2日間が費やされた。昔とは違い、農家が山を利用する機会がほとんどないので、生い茂った草をかき分けて墓所を見つけるだけでも一苦労である。

さて、これらの儀礼をまともに遂行するとすれば、そのために割かれる時間、労力、財力等の負担がどれほどのものかはある程度想像していただけるだろう。チバンや門中といった血縁・地縁が人生の一義的な拠り所であった時代には、ともかくも実質的な意義を担っていたが、現状の韓国はすでにはるか先に進んでいる。高度成長をへて社会環境は大きく様変わりし、生活様式や人間関係のあり方自体が伝統的な価値観とそぐわないものになってきているので、儀礼は一般的に簡素化の傾向にあるといえるが、まだいわば価値観における伝統と近代が綱を引 き合っている情況にあり、落ち着くべきところを見出してはいない。喪輿政府でも虚礼虚飾の一掃を目的とする「家庭儀礼に関する法律」を発布し、それに基づく「家庭儀礼準則」を制定したりしてそれなりの効果をあげているが、所詮これは価値観の変動にまで踏み込んだものではない。親族関係は都市と農村をつないでいるので、程度の差こそあれこの問題は都市も農村も等しく抱えている。祭祀を終えたあとなどの座で語られる親族間での勤務評定じみた話題の辛辣さは、儀礼というよりも親族関係の維持存続にかかわる事態の深刻さを示しているといえよう。ともあれ、現状は儀礼では建前を、日常では本音を優先させることでしのいでいるように見受けられる。

参考文献

伊藤亜人ほか編『朝鮮を知る事典』平凡社、1986年

梁恩榮「韓国の墓」(『パラム(風)』第2号、新納ゼミナール論文集)1993年

尹学準『歴史まみれの韓国』亜紀書房、1992年

『家庭寶鑑』一信書籍公社(ソウル)、1989年

初出誌情報

新納 豊 1993「葬儀:1.韓国」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第3号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.132-135.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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