飲料:アラブ諸国

小笠原良治

アラブでは「快活で感じの好い人」のことを「彼の気質はシャーベット」(ダンムフ・シャルバート)と言い、またその人の言を「彼の言葉はシャーベット」(カラームフ・シャルバート)と言う。つまり、ある人物の好ましい性格や会話が、アラブの好物で甘いシャーベット水に喩えられたのである。古来、アラブ世界では豊富な果物から数々の飲料を作って愛飲してきた。それらは「シャルバート」(飲み物の意)と呼ばれていたが、この語から今日われわれが使用している「シャーベット」や「シロップ」という言葉が出たのである。

この飲み物は彼らの間で常時飲まれてはいるが、とくに慶弔の集いや、何かの催しものがある場所などで人々に振る舞われる。

最もありふれているシャルバートはすこぶる甘い単なる砂糖水だが、これにバラ、スミレ、ジャコウ、リュウゼンコウなどの香りを溶かしたものもある。しかし、これらは慣れない人にとって、香りが気になって飲みにくいのではないかと思われる。この他に乾したブドウ(ザビープ)、ナツメ椰子の実(バラバ)、イチジク(ティーン)、桑の実(トート)を入れて作ったシャルバートもあり、こちらの方が飲みやすいようだ。

1.お茶

さて、お茶は世界各地で飲まれている主要な飲み物と言ってよいであろう。アラブもその例外ではない。彼らが飲むのは紅茶で、これを「シャーイ」と言っており、大方は砂糖をきかせた甘いのを好む傾向にある。中には、それにレモンやミルクを入れて飲むものもあるが、この場合はわれわれと共通している。また、ナァナァ(薄荷)の葉を浮かべた紅茶を好むものもあるが、これは香りも良く、爽やかさが伴ってなかなか美味である。

ところで、彼らの中にはお茶を一種の薬と思っているものもある。例えば、頭痛のある場合など、お茶を飲めば痛みが軽減すると信じ込んでいるのである。なお、食後には必ずお茶を飲む習慣があるが、これも健康に役立つものという考えからであろう。

ときに、カイロのような大都市には至る所に「茶房」(マクハー)があり、店内はもちろん舗道にもややはみ出した形でテーブルや椅子が並べられている。そこで空席に、あるいは好みの場所に腰を下ろせば、ボーイが注文を取りにやってくる。客がお茶を望む場合は「シャーイ」と言い、次いで「マスブート」(ちょうど良い甘さ)、または「サーダ」(砂糖なし)、あるいは「スッカル・ズィヤーダ」(砂糖をきかせたもの)のいずれかを言って注文する。ただ「シャーイ」とだけ言えばマスブートがお望みなんだな、と思われるであろう。ほどなくして望みの飲み物と一緒に、必ずコップ1杯の水が運ばれてくる。客はまずコップの水を一気に飲み、それからゆっくりと時間をかけてお茶を楽しむのである。茶房(マクハー)のお茶の器は水が入っていたコップと同類のものが使用される。

面白いことに茶房(マクハー)は男たちだけの社交場と言ってよく、そこに女性客の姿を見たことがない。午前中からここに来る人たちと言えば老人や仕事の無い人たちで、ドミノやタウラ(西洋双六風のゲーム)に興じながら、シーシャ(水たばこ)をくゆらしたり、紅茶やコーヒーを飲んで暇をつぶしているのである。とは言え、彼らは明るくて本当に親しみ易い人たちである。話しかけると「タファッダル・シャーイ」(お茶をどうぞ)と言って、手元にあるお茶が飲みかけのものでなければ、それを提供してくれるであろう。茶房(マクハー)で出す飲み物はお茶とコーヒーがほとんどである。もし変わったお茶が欲しければ、尻上りの調子で「アンドコ・ケルファ」(肉桂茶ありますか)とか「アンドコ・ザンガビール(1)」(しょうが茶ありますか)とボーイに聞いてみるとよい。これらのお茶も乙な味わいがあるので是非試してみるとよい。

夕刻ともなれば茶房には色々な職業の人が集まってくる。カイロの中心地に近いある茶房は有名な作家や文十の集う場所として知られている。ある日、私はカイロ大の学友と一緒にノーベル賞作家ナギーブ・マハフーズが来るという茶房を訪れたことがあったが、生憎その日は会えなかった。茶房は多様な人たちが集まるので、情報交換の場でもあるし、為政者たちを風刺のきいたジョークで散々に扱き下ろして溜飲を下げる場所ともなっている。もしあなたが家あるいは部屋探しをしている最中であれば、茶房に行けばよい。きっと斡旋屋にも会えるであろうから。

このほか、官公庁や学校にもお茶入れを生業としているものがいる。カイロ大学文学部の教授控室の近くにも、お茶の道具一式を備え、常時待機している男があった。教授たちの中には彼にお茶を注文し、それを飲みながら講義を進めている方もあった。私もその男のお茶を文学部の教授に幾度か御馳走してもらったことがある。というのは、その教授は私を見ると教授控室に連れて行き、特別レッスンをしてくれた.ヒ、例のお茶を振る舞ってくれたのである。最初のころであったと思う。私が左手でお茶のコップを持ったら、「君、左手はだめです。右手で持ちなさい。」と注意されてしまった。言うまでもなく、アラブでは左手は不浄とされているからである。

茶房(マクハー)は男たちだけの場所だと述べたが女人禁制の場所だと言っているのではない。しかし習わしとして女性は行かない所なのだと私は理解している。従って、女性同伴であればカフェテリア(喫茶店)に行けばよい。そこではケーキも注文出来るし、わが国の喫茶店とほとんど変わらない。とは言え、カフェテリアはマクハーのように諸所で見出せるものではなく、その地に明るくなければ、見つけるのが困難かも知れない。

2.コーヒー

カイロではコーヒーをアホワと言う。彼らが家で飲むのは、コーヒーの粉と砂糖を入れてそのまま沸かすトルコ・コーヒーである。それは飲むと言うより、ちびりちびりと嘗めると言う表現の方が適切のようだ。

このコーヒーはフィンガーン(2)と呼ばれる大きめの鶏卵くらいのコップに注がれて出される。普通それはコップの縁まで注がれるが、もともと小さなコップである上に、その半分くらいまでどろどろした原料が沈んでいるので、飲む量はごくわずかである。飲み終わった後など、時折、そのコップを受け皿の上に逆さにして暫く放置する。すると底にあった沈澱物が縁のほうに流れ出す。その流れが描く文様で飲んだ人の諸事を占うのである。いわゆる「コーヒー占い」と言い一種の遊びである。

コーヒーのたて方についてウィリアム・レイン(1801~1876)は『エジプトの生活』の中で次のように述べている。

「コーヒーをたてるさいには、まずポットで湯を沸騰させてから、新しく焙ってひいたコーヒーをその中にいれて、撹拝する。そのあと、ポットを1、2回ふたたび火にかけ、コーヒーがぐつぐつ煮えたら、おろして、まだ表面がクリーム状を呈しているうちに、中味を茶碗にあける。エジプト人はこんなふうにしてたてた、純粋の、強烈なコーヒーが大好きで、めったに砂糖を入れないし(健康がすぐれない場合には砂糖をいれるものもある)ミルクやクリームは絶対に使用しない。けれども、しばしば、ショゥズクの実を少しばかり加えるし、また、マスチックの煙で茶碗をいぶす習慣もありふれている。さらに、金持ちは時たま、コーヒーに竜誕香(〈アンバル〉)の芳醇な香りを添えることもある。」(大場正史訳)

さて、コーヒーが飲みたくなったら、例の茶房(マクハー)に行けばよい。注文の方法はお茶の項で述べたのと全く同じである。ただし、ここでのコーヒーはトルコ・コーヒーであるから、日本で飲むような濾したコーヒーが望みであればカフェテリアに行かなければならない。

ところで、アラブは広大な地域を擁しているので、土地柄によって風俗習慣がかなり違ってくる。サウディアラビア半島の紅海に面する南アラビア地方、ティハーマあたりでは客に対するコーヒーの振る舞い方がエジプトなどとは大分異なっている。トーキル・ハンセンの『Arabia Felix』にはコーヒーの注ぎ方について次のように述べられている。

「コーヒーができると小さなコップに注ぎ、他の人たちに回す。このときコップには、一口分しか注いではいけない。飲んでしまうとコップを返し、また一口分を注いでもらう。これが一般的にみられる接待の原則で、なみなみと注ぐことは「さあ飲んでとっとと消え失せろ」ということになり、礼儀に反する。すべて決して性急に運ばれることはなく、1杯飲み終わっても空のコップを手に座っていて、そのうちにやおらコップを返して次を飲む。(中略)
 差し出すコップになみなみと富を注いでもらえないことを、ごく当然のこととして受け取っている。なみなみと注ぐことは、もてなしの原則に反することである。あたかも嘲笑して、とっとと消え失せうと言うかのごとくに思われる。」(伊吹寛子訳)

前嶋信次著『アラビアに魅せられた人びと』にもこれに類似した話があるが、この場合はシリア砂漠に近いジョーフ(ジャウフ)辺りである。

そうこうしているうちに、コーヒーの準備がととのい、スワイリム(3)が一方の手にコーヒー・ポットを、もう一方の手で盆とコップを持ってまわりはじめた。

最初に注いだコップは、エチケットとして彼自身が飲んで見せなければならぬことになっている。これは「ポットの中に死毒などございませんよ」という証拠を示すためである。

そのつぎに客たちに注いでまわるのだが、炉のそばの最上席に坐っていた客からはじめて、最後にこの家の主人がコップを受け取るのである。

コーヒー・コップを断ることは、正に許せぬ侮辱行為とされている。しかし1杯の分量は、決してそんなに多くはない。なぜかというとフィンジャーン(コーヒー・コップ)はせいぜい大きめの鶏卵くらいの大きさ、それに半分以上注ぐことは決してないからである。アラビアには「相手が敵だったら、コーヒー・コップにいっぱい注げ」という諺があるくらいである。とにかく、アラビアのコーヒーは芳香ふくいくとして、爽やかであり、元気をつけてくれ、真黒くにごったトルコ・コーヒーやフランスの水っぽい妙り豆の煎じ汁みたいなものとは全然ちがっている。

3.ミルク

アラビア語で「ハリーブ」または「ラバン」である。これは人間や動物の乳を意味するが、彼らがそう呼ぶ場合は羊か牛の乳を意味することが多い。

エジプトに渡った当初、外国人留学生寮に住んだ。朝食はエーシュ(エジプトのパン)、グブナ(4)(白いチーズ)、フール(ゆでたそら豆)、それに飲み物はミルクとすでに砂糖の入った紅茶がメインであった。量は十分であったが、慣れていないせいもあり、とうてい、おいしいとは言い難いものであった。ミルクは日本で飲んでいたものよりも黄味を帯びていて、こくがあるように思った。味もまあまあだったのでミルクは毎朝かなりの量を飲んでいた。ある日のこと、誰かが「あれはジャームーサ(水牛)の乳だ」と言うのを聞き、少々臆するものがあったが、そのうちに完全に慣れてしまった。

それにしてもエジプトの街頭で売っている牛乳びんは大きかった。かつて、日本で早朝に配達されていた牛乳びんの3倍くらいの容量をもっていた。彼らはそれを一気に飲み干してしまう。なるほどなあ…彼らが立派な体格をしているのもむべなるかなと、しばし感心して眺めたものである。そもそもこの地域ではミルクは飲み物というより滋養物として古来愛飲されてきた。病床に在るものや体力のないもの、あるいは災害などで負傷したものたちが努めてミルクを飲むのを見ている。

4.ジュース

上述のように、西アジアは果物が豊富なのでジュースの種類も多い。夏季にはアナーナース(パイナップル)、ホルシューフ(チョウセンアザミ)、アイナブ(ブドウ)、ファラーウラ(イチゴ)、マンゴージュースは最も高価で、冬季に出回りしかもポピュラーでもあるオレンジやカサブ(サトウキビ)ジュースの4倍から6倍くらいする。

最も庶民的なジュースはカサブである。これは茎ごと圧搾機に押し込んで汁を絞り取るので、飲むと青臭さがあり、しかもざらざらした感じがあって馴染めなかった。それに、衛生的見地からも思わしいものではない。しかし、大変廉価なので、彼らがよくご馳走してくれるのがこのジュースでもあり、いささか辟易した思い出がある。カサブに次いで大衆向きなのがオレンジジュースである。この地域のオレンジはそれ自体大変美味で、冬季にはたくさん出回るので安価でもある。ジュースも日本のそれのように水で薄めることがないので、ねっとりしている。おそらく、シャルバートと一緒に掻き混ぜてジュースにするのはバナナくらいではなかろうか。

5.その他の飲み物

・ヘルバ

「ころは」というまめ科の植物からつくられる。この植物の種子には芳香があり薬用にもなる。これを細かく砕き、シャルバートに溶かして冷たくして飲むと渇きが速やかに癒えると言う。ポピュラーな飲み物ではない。

・カルカデ

これはブーゲンビレアの花を乾燥させたものと聞いたが、少々覚束ない。カルカデはスーク(市場)にたくさん売られていて、極めて安価なので、よく、エジプト帰りのお土産として頂戴する。これを沸かしたお湯に入れると赤紫色をした飲み物が出来る。それ自体は酸っぱいので砂糖を入れ、好みの甘さにして飲む。スーダンではこれを愛飲すると聞いている。夏やせ防止、慢性胃腸病、心臓疾患に良いとされている。いわゆる煎じ薬の類である。

かつて、カイロではイルクスース(萱草)、ハッローブ(地中海沿岸に産するイナゴマメ)、あるいはレモン等のシャルバートを水さしの口のような出しロの付いた、大きなガラスの容器に入れて売り歩いている人たちがあった(5)。彼らは片手に直径】Ocmくらいの金属製の皿を2枚持ち、それを巧みに噛み合わせ、チャンチャンチャチャン、チャンチャンチャチャンとラジャズ(6)のリズムに乗せて音を出し、己の存在を知らしめて商売をしていた。折しも、それを見た私の友人が言った。「僕は幼いころ、あれを飲んで病気になった」。

昨今では、これらの地にもレモン水、コカコーラ、あるいはペプシコーラ等の工場が出来、この地本来の飲み物を凌駕する勢いである。

さて、アラブは、はるばる訪ねて来た客には大変な心づかいをし、必ず飲み物を出してくれる。まずコップ1杯の水、それからお茶やコーヒー、あるいはレモン水のような飲み物がすすめられるであろう。これは長い間、乾ききった大地に住み続けて来た人びとにとっての、来客に対する自然の持てなしなのである。

〈注〉

(1)正則アラビア語ではザンジャビール。

(2)正則アラビア語ではフィンジャーン。

(3)人名。サーリムの卑小形。

(4)正則アラビア語ではジュブナ。

(5)画参照。

注5の図。アラブの水売り

(6)アラビア詩の韻律の中で最も単純な形式。

初出誌情報

小笠原良治1995「飲料:アラブ諸国」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第5号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.137-142.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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