結婚考:タイ―カレン民族の成人と結婚

吉松久美子

成人の資格

カレン民族の村では、20歳になったら成人式というような区切りはない。しかしもちろん彼らにも「子供」と「成人」の問には明確な区切りがあるし、名称も変わる。「子供」はポサホと呼ばれ、一人前になった「青年」はポサクワァ、「娘」はムグノと呼ばれる。そして、「子供」と「成人」の間には大きな隔たりがある。ポサクワァとムグノになると結婚が認められるからである。

では彼らはその「子供」と「成人」をどのように識別しているのであろうか。その識別は6歳になったから小学校入学、13歳になったから中学に入学するという近代国家の制度よりはるかに合理的である。彼らは15歳から23歳の間にそれぞれ成人していく。つまりその技能と体力によって成人と判断されるのである。

彼らの社会には厳格な男女の役割分担はない。息子がいなければ娘が水牛の世話をするし、母親が遅ければ息子がご飯を炊く。お婆さんがいなければお爺さんがギッコンバッタンと臼と杵で精米する。しかしそれは一応、代理である。やはり男の仕事、女の仕事というのはある。そして、「成人」するということはこれらの仕事を大人並とまではいわなくても、まあ、そこそこにこなせるようにならなければならない。

男の仕事としてまず挙げられるのは、竹細工である。精米用の丸ザルから衣装入れの丸筒、草刈り用のカゴ、籾運び用のカゴ、部屋に敷くゴザ、銑をしまう鞘と日常品はすべて竹製品で作られている。そしてそれを編むのは男の役割である。一人前として認められるためにはもっとも簡単だといわれる鶏カゴは編めなければならない。なにしろ結婚後初めて購入する2羽の鶏のために新郎は誰の手助けもなしに一人でカゴを編み上げなければならないからである。

その他にも男の家畜とされる水牛の世話、その水牛を使っての田起こし、焼畑の伐採、家作りなどがあるが、かつてはさらに狩猟の腕前、象の調教などもあった。だが、今や、野生動物が消えてしまった森でこれらの腕前は試しようがなくなっている。その代わり畑仕事での力量がその重要性を増している。さらに、近代化の影響も顕著となり、村にある小学校を終了することも新しい基準として加わるようになっている。

これらの男の仕事は力仕事が多いために、「成人」として認められるのは、早くても身体が十分できる17、18歳から、遅い場合には22、23歳になることもある。こうして「一人前」の男ができあがる。

一方、家族を守る女たちの仕事は環境の変化にかかわらずに依然、健在である。まず女の子のお手伝いは水汲みと飯炊きから始まる。そして籾を米にする精米を習い、機織りを始める。織り上げられるものは、小物入れの布カバン、民族衣装となる娘用の白いワンピース、既婚女性用の縞模様の赤い巻スカートと黒の上着、子供をおぶるための毛布がある。なにしろ女たちは結婚衣装となる既婚女性用の衣装と、男性用の衣装を式の前に自ら織り上げなけれなならない。

その他にも麹を仕込んで米焼酎を蒸留するのも女の大切な仕事である。一家の主となって夫とともに行なうあらゆる儀式に米焼酎が供される。また女の家畜とされる豚と鶏の世話も彼女たちの大切な仕事である。女たちもその技能の差によって個人差があり、15歳から20歳くらいまでの間に「成人」していく。

求愛

そうして成人したポサクワァ(青年)とムグノ(娘)は人生でもっとも楽しい季節を迎える。つまり恋人捜しが始まるわけである。出会いは人が集まる場所である。焼畑の伐採や田植え、収穫という村々を越えて人手が集まるときや、新年の祭りや結婚式、葬式とやはり村々を越えて人々が行き交うときである。なかでも葬式は想いを打ち開ける決定的なチャンスとなる。

カレンの未婚の男女は2人だけの積極的な接近は許されていない。ところが非日常となる葬式でだけでは、夜半から夜明けまで歌垣によって想う相手に恋を打ち明けられる。さらには卑わいな歌で誘惑することすらゆるされるのである。当然、葬式は若い男女の熱気で華やぎ、死の悲しみを強調するより、死者の「あの世」への愉快な見送りとなる。

こうして気に入った娘を見つけた青年たちは足しげくその娘の家へ通うことになる。娘はその青年を気にいれば、接客用のベランダで相手をするわけであるが、当然、2人きりは許されない。兄弟姉妹が同席したり、青年の方も友達同伴となる。両親は竹壁越しに部屋のなかでもしっかりと2人の会話を聞いている。もし気に入らなければ、娘はわざわざベランダまで出ていかない。兄弟姉妹が代わりに、ときには親が代わりに接待する。こうなると脈なしである。

もし娘の方に恋焦がれる青年がいる場合、切羽詰まれば、両親に仲人を立ててもらって直接、その青年の両親に結婚を申し込むことができる。なにしろここでは結婚申込は女性からとなっている。いくら青年が恋焦がれようとも、じっと恋人からの結婚申込を家で待つしかないのである。こうしてめでたく婚約が整うと、村をあげて式の準備に取り掛かる。

結婚式

結婚の申込も女性からなら、結婚式も新婦の村で行なわれる。新郎は村人を従え、新婦の村へ結婚の宴に出向くことになる。新婦の村ではどの家でも祝いの米焼酎を蒸留し、客人を待ち受ける。

新郎のグループが村堺に差しかかると、まず最初の村入りの儀式が新婦の村長を始めとする長老たちによって執り行われる。これは新たに村の一員となる新郎を国神と村神へ焼酎を捧げて報告する儀式である。そうして迎え入れられた新郎の一行は結婚式が始まるまで仲人の家で待つことになる。この頃になると同行した新郎の村人たちはそれぞれの親戚の家に上がり込んだり、若者たちは恋人捜しに四散していく。

新郎が到着すると新婦の両親は豚を屠殺し、客人たちを饗する宴の準備に入る。数頭の大きな豚をすべて料理し終わるまでには4~5時間掛かることもあり、到着が夕方のような場合には準備が整うまでにすっかり夜が更けてしまうこともある。結婚の宴はこれから4日3晩続く。

最初の晩は新郎側から結納品が献納される。結納品の品数は奇数がよいとされ、多くの場合は7という数字が好まれる。結納品には織り上げられた民族衣装やターバンのような冠頭衣、塩、タバコなどの伝統品が用意される。そしてこれらの品物は仲人と村長を含む新郎側と、同じく仲人と父親を含む新婦側で掛け合いの長唄を唄いながら、一つ一つ引き渡されていく。それが終わるのが夜明け近くまでかかる。二晩目に初めて新郎が新婦の家へ上がることが許される。そして式が始まるわけである。式は1羽の鶏を殺し、まず2人がその肉と飯を一口ずつ共に食べることから始まる。これは結婚した夫婦が行う民族神へ儀式を象徴している。これ以降、夫婦となった2人は困窮や病気の際にこの神を祭って儀式を繰り返し行うことになる。次は国神への報告と2人への庇護を求める儀式がある。 これは米焼酎を使って行われ、夫婦となった2人はこれも共飲することになる。

その式を見届けた新郎の村人は翌朝、2羽の鶏を渡され、どのくらいの豚を何頭殺したかを告げる豚の頭をみやげに帰路へつくことになる。最後の晩は、新婦の村人だけで村堺に出向いて、村神への報告が執り行なわれ、新婦の村での結婚の儀式はすべて完了することになる。

新婚生活

その後、数日から1週間くらいして、今度は新郎の新婦を伴った里帰りである。新婦は新郎の両親の前で、飯を炊き、数日してから米焼酎を蒸留する。そしてその焼酎でやはり村神と国神に報告と庇護を求める儀式を執り行なうことになる。この最後の儀式が終わると、2人は新婦の村へ戻り、新郎は少なくとも1年間は新婦の両親の家で彼らを助けて暮らさなければならない。普通は3、4年同居する場合が多いが、 そのあとは2人でどこに暮らそうが自由となる。だが、多くの場合、妻の両親の家のそばに新たに自分たちの家を立てて独立することになる。夫の両親の村へ移り住んで行く夫婦は20パーセントくらいとなろう。

婿入り婚で核家族の形態をとるカレン民族の村では、結婚式に掛かる費用は新婦側の負担の方がはるかに大きい。しかし、これは結婚後、新郎が新婦の両親と同居することによってその労働力を提供することで、その収支が合うことになっているのである。

初出誌情報

吉松久美子 1992「結婚考:8.タイ―カレン民族の成人と結婚」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第2号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.103-105.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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