葬儀:タイ―カレン人

吉松久美子

私が文化人類学のフィールドワークでタイへ出かけたのは1986年7月であった。タイ北部の山地で暮らすカレン民族の文化研究が目的であったが、実際にカレンの村で暮らし始めるのは翌年の4月からであった。葬式は死生観を知るためにも重要な行事なので、ぜひ観察したいと心待ちにしていたが、人はなかなか死なず、結局、初めて葬式を経験できたのはその年も押し詰まった12月末だった。そのときのフィールドノートからの抜粋である。4キロ離れた隣村の80歳を越えた老婆の葬式だった。

「カレンの葬儀は4日3晩続く。そして、くり返し吟じられる送魂歌がその特徴である。日が暮れはじめると、若者や娘たちがあちこちの 村から集まって来た。顔見知りも4、5人含まれている。

送魂歌が始まった。村の老人を中心に男たち7、8人が数珠つなぎとなり、お棺の回りをすり足で数センチずつ時計回りにずり進む。歌といっても抑揚を強調した長唄の感があり、歩く速度と調和している。送魂歌は、まず、この「太陽を指し示す歌」から始まる。

太陽は暗い、太陽は暗い。
暗い太陽、人が指すのは逆の空
注ぐ河口はみなもとのようで、
木のてっぺんは根っことなる。

出だしのほんの一節であるが、カレン人にとって「死」は、誕生前に「あの世」で申請した滞在期間の期限切れを意味する。つまり、故郷への期間を示している。故郷となる「あの世」は見かけは「この世」にそっくりなのだが、鏡に映し出されたような逆さま世界を成している。歌にあるように、太陽は西から昇って東に沈み、川が川下から川上に流れ、木が天から地へ伸びる。だから、故郷としばらく離れていた故人には、帰りの長い道中、送魂歌を聞きながらそれを思い出してもらおう、というのである。

お棺の上には故人が愛用していた様々な道具がのせられていた。布鞄、精米用の竹で編んだ丸ザル、パイプ、葉煙草、竹筒、赤い糸、錠、籾などなど。これらは「あの世」で故人が使うという。そして、道中食べるための飯、鶏肉、塩、菓子などものっている。

トウガラシの木、バナナの茎、瓜の茎がお棺をはさむように三本組に組まれ、その上にはカレンの既婚女性用の赤と黒の民族衣装が掛けられていた。これらの植物は故人が「あの世」で栽培し、服は道中の木陰を作るためだという。吟じられる歌を鳥のさえずりと聞きながら、木陰の道をム(楽しく陽気に)故人は「あの世」に戻って行くという。

一通り送魂歌が終わって夜もふけ始めると、今度は「上がってらっしゃい」の歌である。既婚者が抜けたあと、若者たちが娘たちに歌いか ける。

上がってらっしゃい、お嬢さん。
そこに座る美しいお嬢さん。
さあ、さあ、ここへ上がってらっしゃい。
あなたの気が進まないのなら、
僕はあなたの母さんを呼びますよ。

これもほんの出だしだが、誘われて娘たちは白い民族衣装を真っ赤なショールで包み、やはり数人が数珠つなぎとなってすり足で回りはじめる。若者組と娘組が掛け合いで交互に歌いだし、若者の低い声と乙女の高いソプラノが静まった闇にリンと響く。歌い手が多くなると、故人の持ち物が外に出され、その回りでも若者と娘たちが円を描く。男の低い声と娘の澄んだ高い声が幾重にも重なりあい、見事なハーモニーを奏でる。赤々と燃える焚火が、一種異様な美しさを闇に映し出す。

夜中を過ぎるころから、歌は卑狸さを増し、男と女の直接的な誘いになるという。娘さん、なんてでかいオッパイだ。そのオッパイをちょっと揉ませてちょうだいよ、ってな調子だ。葬式での歌合わせは、未婚の男女が禁句で誘いあってかまわない唯一の機会である。上手な者は一対一の即興掛け合いにもなるらしいが、残念ながら、カレンの長唄などまったく理解不能だった。イヤラシイのか、イヤラシクないのか、ともかく華やいでいるのだけは分かった。

既婚者が参加できないのはこのためである。既婚者にはもう恋人探しをする資格がない。

生きるのがム(楽しい)である若者たちをあとにして家路についた(『ムがいっぱい』より)。

フィールドノートからも分かるようにカレン人たちは葬式を否定的には捉えていない。むしろ積極的に楽しもうとしていると言ってもよいであろう。これは日本人の常識からすると驚くべきことであった。ここでは負として忌み嫌われるものが、楽しみをもたらす正の価値へと転化している。この負から正への転化は彼らの生きる哲学としてフィールドワーク中にもあらゆる場面で遭遇することになった。彼らはそれを「ム」という言葉で表現していた。「ム」とは、訳せば、楽しい、幸せだ、楽だ、面白い、愉快だ、気に入る、調子がいい、などとなる。つまり、心身が心地よい状態すべてを意味していると解釈できるであろう。

では死における負から正への転化をカレン人たちはどのようにして可能にしたのであろうか。まず彼らの生死を決定づける「あの世」と「この世」の世界観から説明しよう。

カレン人にとって人の故郷は「この世」ではなく「あの世」なのである。そしてそれは誕生と死を通して互いに結ばれている。故郷である「あの世」は送魂歌にあるように「この世」とちょうど逆さまな世界を成している。しかし、人はそこで「この世」のカレン人と同じように、村を作り、焼畑を耕し、狩をし、蟹や魚を取り、竹の子や茸や木の実を集めて暮らしている。彼らが「この世」にやってくる理由は旅、つまり物見遊山である。

旅を決めた人は、カレン人が移住するときのように移住先で使うものを大きなカゴに入れ、それを背負ってこの世へ向かって歩いてくる。そして中間地点で大木の上にいる彼らの守護神ムカと出会う。この神に出発する旨と滞在期間、さらにはカゴに入れたものを使ってどのような生活を送るか、を報告する。すると、ムカ神は申告した人の頭上にその滞在期間を書き込む。それはちょうど出国手続きをして、出国スタンプをもらうのと同じようなものである。ただ、生者の目ではこの期限を読み取ることはできない。

ここで特徴となるのは、神が運命を決定するのではなく、自己申告で自らが運命を決めるという点である。寿命もおのれが望んだ期間であるし、またカゴに何を入れてきたかで、暮らし振りも決まることになる。稲束を入れてくれば、稲作が得意となり、鉄砲を持ってくれば、狩に秀でるようになる。つまり「この世」での運命はムカ神の前での自己申告で決まるのである。それにどちらにしろ「この世」は旅先なのである。「この世」のどんな不幸も災難も帰国すれば冒険談や悲恋話に転じてしまうわけである。

カレン人にとって死とは期限切れの意味をもっているといえよう。自己申告した期限が切れて、故郷となる「あの世」へ帰還するのである。ちょうど海外旅行でビザが切れて帰国するように。だから死は決して「消滅」ではない。むしろ「帰国」なのである。彼らの葬式で涙をめったに見ないのはそういう理由による。

また死という社会的危機にあたって、カレン人はまったく正反対の非日常を持ち込んで楽しい祭りに転化するのである。それは未婚の男女の出会いである。カレンの若者たちは普段は自由交際を禁じられている。若い男女が二人だけで出歩くなどもってのほかである。想う娘がいる場合にはひたすら彼女の家に通わなければならない。家には当然、両親兄弟姉妹が同居しており、語らいには必ず誰かが同席している。甘い言葉などささやくことはとてもできないし、ましてや恋の告白など不可能である。求愛する場合にはかならず仲人を通さなければならないのある。

ところが葬式の夜だけは、それも夜中すぎになると、おおっぴらにガールハントやボーイハントができることになる。ただしそれは歌によって行なうのである。最初は若者グループと娘グループが二つに分かれて決まり切った誘いの歌を歌い合うが、やがて夜もふけてくると、つぎつぎと即興の歌が歌い上げられる。そのうちお目当ての青年と娘、一対一の掛け合いにまで進んでいく。そして歌はしだいにかなり露骨な肉体的な誘い合いにまで発展していく。一種異様な興奮があたりを包むことになる。

だから、葬式がある、というと遠くの村々から未婚の若者や娘たちがそれぞれの思惑をもって集まってくることになる。結婚のきっかけが葬式だったという夫婦も結構多い。葬式が長い間行なわれないと若者達の間で、早く誰か死なないかなあ、と期待感すら漂ってくる。私も葬式から戻るたびに、ム(楽しい)だったか、と聞かれ、いつも返事に窮していた。日本人の私にとってハイと答えるには不謹慎だし、といってイイエではカレン人の期待に反することになる。

カレン人たちは、死という本来暗く悲しいものに、それとはもっとも縁遠い若者たちを配したのである。押さえても溢れ出る若者たちの生の華やぎ、そして彼らの求愛は新たな生を産み出す予兆となる。ここでは死の暗さが生の明るさに席巻されることになる。

つまり、カレン人の負の価値観から正への転化は、死を旅からの帰還として捉える世界観と、また死に生の華やぎを持ち込んだことによって成立しているといえよう。これは私たちが死に負の価値観を与え、できるだけ忌避しようとする世界観とはかなり異なったものといえるだろう。

初出誌情報

吉松久美子 1993「葬儀:4.タイ―カレン人」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第3号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.144-155.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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