結婚考:インドネシア
ジャワ・マドウラ・バリ・カリマンタン・スマトラ・スラウエシを中心に

エデイ・ヘルマワン

インドネシアでは、1974年に新婚姻法ができた。これによれば、20才代は結婚適齢期と規定されているから、20才以下の結婚はもはや禁止されている。そして、一夫多妻または重婚は、正妻が納得しなければ無理である。が、違反者がまったく居ないとは言えない。

インドネシア人の93%は回教徒である。回教徒は宗教的結婚の儀式が行なわれてから、夫妻関係が成立する。したがって、役所の婚姻証明書も発行される。しかし最近では、異なる宗教信者の結婚が問題にされている。とくに、イスラームとキリスト教、イスラームと仏教の間の結婚、インドネシア語で言えば、カウイン・チャンプルは、困難になったらしい。婚姻法には明文の禁止はなかったが、いずれか一方が改宗しなくてはならないという考えが根強いことを裏付けている。

しかし、愛情は実に不思議なもので、時にはたまに盲目的とも言われる。二人は愛しあって、万難を排除して、互いに譲り合って、信仰が違っても結婚する例がよくあるが、「異教徒間の結婚はあまり問題にしないよう」と有識者が指摘している。1986年に「高等裁判所によって決定書が出されたにもかかわらず、夫婦異宗教の場合、結婚届けが拒否されたことがある。しかし、法廷の許可が出れば、何故市町村の役所もやむを得ず結婚証明者を発行するかは理解できない。

キリスト教徒は教会で、仏教信仰者は寺で、それぞれの結婚式を行なって、市町村の役所が結婚証明書を発行し、法廷の承認も得られる。これが法的根拠となる。

インドネシアで外国人との結婚、いわゆる国際結婚は、女性がインドネシア人の場合、外国人の夫は帰化しなければ、自動的にインドネシア人にはならない。しかし、男性がインドネシア人の場合、一定期間内に、当局に報告すれば、外国女性もインドネシア国籍を持つことができるというような規定がある。インドネシアの女性は上位のためと推測しているが、定説ではない。

インドネシアには200から300の民族が居るので、それぞれの地縁関係により、結婚儀式には特色があるが、それら全てを紹介しきれない。ここではいくつかの民族の結婚を取り上げてみたいと思う。

ジャワ人の結婚はイスラーム教徒なら、その教律及び伝統習俗に従う。一夫一妻はほとんどであるが、1974年の新婚姻法成立以前多妻の場合、ありのままで結構である。しかし、妻は異議はあったら、もちろん離婚することもできる。血縁による近親(六親)、例えば、いとこ兄弟姉妹の結婚は禁止されている。一般的には、「母方の従兄弟年長者、年上のいとこ」間の結婚があった。そして、特筆すべきことはジャワ人の男女は平等であること。オランダ政庁350年間の統治で、女王様のお蔭またはその影響かどうかはわからないが、結論としてはジャワ人品格のすばらしいところだと言えるだろう。現在、青年の自由恋愛が流行していると言っても、父母の納得が必要である。農村も都会と同様、まず男の父母と相談する。結婚は女性によって決められる。結婚数日前に、男子は女家に持参金を、女子に贈物を上げる。現在はお金の方が、水牛、道具などより多い。金額は、男子とその父母の経済力によるものである。披露宴は大部分、男家が負担する。婚礼直前、まず、寺院で宗教儀式、いわゆる日本の神前結婚を行なうこと。しかし、女子は出席しない。親族の男性が代表する。婚礼の日は、とても賑やかで、新郎は、沢山の人々と一緒に、新婦の家に来て、新婦も大勢の人と新郎を迎える。男女両方が、シリ(植物)のはっぱを互いに上げる。これはウパチヤラ・バランガンという。どちらが先に相手に届けた方が勝つ。勝った方が家庭の主宰になるという迷信がある。最近では、このような考え方は消えてしまっている。勝った女子は主宰とは言え、母系社会のような役割かつ権力はほとんどない。この儀式後、一緒に食事する。新郎と新婦は同じ皿である。もう一種類の儀式が行われる。新郎は新婦にお米を投げること。これは沢山の立派な子供を生めるように願いを意味する。食事後、ジャワの踊りまたはワヤンの上演もが一般的には行なわれる。

ジャワの男女は12才から15才までの間、イスラームの信仰によって割礼をしなければない。終わってから、成人として認められる。西部ジャワの人々の結婚儀式もジャワ人とほとんど同じである。スンダ社会において、女性は大変尊敬されている。

また、娘が一人の場合、結婚後、夫が転居して、嫁の父母と一緒に住むことになる。ジャワ島の東に居るマドゥラ島人は回教徒の場合、ジャワ人と同様、結婚式が寺院で行われる。まず新郎が沢山の人と一緒に新婦の家へ向かって、新婦を迎えるのである。そのとき、新婦は、新郎をつれて新婦の部屋に案内し、大きな一つの皿に盛った食物を一緒に食べる。夜に、お客さんがお祝いに来る。非常に賑やかで、踊りなども行われる。イスラーム教徒なので、結婚前夜に、読経が必要である。夫婦になっても、家族とは同居しない。別の家に住むことは一般マドゥラ人の新婚さんの暮らしの様子であろう。不倫に対しては、厳しい措置を取ることも広く知られている。

バリ人の結婚は、ジャワ人とマドゥラ人との間に幾分かの相違がある。ヒンズー教の島のバリでは一般的には見合結婚は非常に多い。すなわち、結婚は両方の父母が決定するのである。持参金は、同村なら、免除されるが、何らかの形で持っていかねばならない。バリ島では、以前、奪い結婚があっても、決して簡単ではなかった。近年、このようなことはほとんど無くなった。そして、74年新婚姻法が出来る前には、多妻もあった。今のバリ島の青年男女は自由交際、国際性が満ちる島であるから、国際結婚も少なくない。ただ伝統儀式が商業化され、ヒンズー教徒ではない外人カップルが、ヒンズー教結婚式を行なうことは、現地では賛否両論となっている。

スマトラ人の結婚はインドネシア各地とほとんど変わらない。村で、結婚式を行なわれるとき、村長またペトア(イスラーム教長)の出席が求められる。持参金もあいかわらず必要であるが、誰(父母か嫁か)がこの持参金を貰うのか、はっきりわからない。多分、新婦の貯蓄として保存される。新婦はある期間に父母と一緒に住む。後、独立して、夫と同居する。

スマトラのバタク(タバヌリ)の男女の交際は非常に自由であるが、結婚後の不貞、不倫、浮気に対し、前述したマドウラ人に負けないぐらいの措置を取っている。バタク族は、交際に対して誇りを持つ。結婚式に出席者の人数は多ければ、新郎の知名度が高くなる。さすが、農業と漁業が豊かなバタクは、新婦が新郎に稲を贈り物として捧げる。しかし、新郎の方が、ほとんどお金で返すのである。婚礼に招待される人々は、イスラーム教徒なら、寺院に、キリストなら、教会に参列する。後の披露宴にも出席する。新郎と新婦は一緒に、一つの皿の食物を食べる。そして、伝統を守るジャワ人と同じように、新郎がお米を新婦にあげ、多くの子供を生むという希望を示す。結婚式が終わってから、独立して家を持つことになる。

アチェ人は父系家族と言っても、母権の存在を無視できない。求婚するとき、父母の役割は大きい。父母が決定してから相手の父母に求婚するという順序である。しかし、すぐ結婚はさせない。まず、婚約の発表をする。時間ははっきり決められない。しかしあまり長くすることは望ましくない。結婚の際、イスラーム教徒なら、イスラーム関係者の出席は必要。儀式後、父母と同居して、夫は断ることができない。父母と同居の時限が過ぎると、夫の家に転居する。この伝統は今も続いている。

スマトラのミナンカボウ人は文学が堪能である。オランダ政庁時代から、インドネシア文学の発祥の地として知られている。バントウン四行詩一恋歌は、求愛の武器として使われていた。いま、パントウンはほとんど作らない。(相聞)においてのロマンチックな表現はもう消えてしまった。しかし、結婚式で長老者の(詩的訓話)ペパタ、ペテイテイは継承している。

ミナンカボウの女性は男性に求婚する。このことはいまの世界においても珍しいのである。女の子を産むことは家庭内の誉れである。いかに、女性を重視するか、この女性求婚の大胆さと女子出産の誇りからよくわかる。すくなくとも、母系社会のイメージがまだ残っている。そして、ミナンカボウで姑、または姪などとの結婚も盛んである。

式は女家で挙行される。終了後、夫は嫁の家に住んでも、毎日ではない。ある時期、もとの家に戻って、耕作する。最近では、外地に出稼ぎに行っているミナンカボウ人はほとんど妻と一緒である。

インドネシアの伝統婚礼 出所:シンガポール『聨合早報』1990年10月9日

カリマンタンに住んでいるダヤク族の男子が、美人のダヤク女性にプロポーズが成功するときは、男性の父母が相手の父母に正式に申し込んだ後、初めて婚約が成立する。式はジャワまたスマトラのように多彩または贅沢な礼俗は見られない。戦前の持参金の代わりに、労役の習俗はまだ消えないだろう。

スラウエシに住んでいるマカサル(現ウジュンパンダン)人の結婚礼俗は興味深いところがある。男子が意中の女性が見つかったら、誰かに頼んで、求婚する。納得される場合、男子はすぐ贈り物を持って行って、女性の父母に捧げると同時に婚礼の吉日について相談する。戦前、父母に反対されたら、青年男女は、女性の家の前に座って、一枚のサロンで二人の身を包んで、ナイフを持ちながら、自殺で脅かすことがあった。大騒ぎするので、父母は軟化して、止むを得ず、許可する。

北部スラウエシには、日本人と中国人の顔に似た、皮膚の白い女性が沢山居る。この地域の青年も結婚する前、父母の同意を得なければならない。費用も両方の父母が負担する。宗教と伝統を重んじる式がほとんどである。とくに婚約の破棄は侮辱として受け止めるので絶対許せない。男性は女家に入る前、薪を切って贈り物として差し出す習俗がまだある。新婦は家に閉じ込める。翌朝、新婦は多くの人と一緒に男家へ行く。道中で、何回もわざと止って、催促されて、やっと男家に到着。

ミナハサ人はキリスト教信仰者が多いためキリスト教の儀式に従う。ミナハサ人は、初めの子供が生まれてから儀式を挙行する習俗もある。ある場所で、新婚の礼品として、男性は嫁さんの実家で、(薪を切る)以外の肉体労働の実施も珍しくない。

初出誌情報

エディ・ヘルマワン 1992「結婚考:5.インドネシア―ジャワ・マドウラ・バリ・カリマンタン・スマトラ・スラウエシを中心に」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第2号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.90-94.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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