飲料:韓国 スンニュン考―韓国の食後飲料―
新納 豊
はじめに
日本では食事の後の飲料といえばお茶であろう。韓国ではこれにあたるものは麦茶あるいはとうもろこしを原料とした麦茶類似のオクスス茶である。近年、これに緑茶(煎茶)が加わった。とはいえこれはここ10年ないし20年のことで、それ以前には庶民の食後飲料としてはスンニュンが一般的に飲まれていた。今でも、ちょっと気の利いた食堂では食後にスンニュンがでたりする。スンニュンは飯を炊いた後の釜の底に焦げ付いたおこげに水を注いで沸かしたものである。製法はいたって簡単、しかも味の濃い韓食の後には最適と思われる。これが電気釜の普及で一般家庭から姿を消した。最近、おこげのできる炊飯器が売り出されたというが、スンニュンへの郷愁が呼び起こしたものだろう。
スンニュンは固有語で、漢字表記は無いが、李朝後期の農書『林園経済志』(1840年頃)では「熟水(スクス)」とあてられている。「熟水」は中国・元代の『居家必用』では香料・芳草を沸かした湯に入れて冷ましたものをいう。またスンニュンは飯湯(パンタン)・炊湯(チタン)とも呼ばれる。
1.飯の炊き方
スンニュンを作るには「おこげ(ヌルンジ)」がなければならない。飯の炊き方にはいろいろあるが、中尾佐助さんによれば(『料理の起源』)、中国の華北は湯取り法、華中・華南は炊干し法、台湾および日本も炊干し法地帯に分類される。そして「中国の華北は湯取り法の地域であったが、それに隣接した朝鮮半島はと言えば、それも同様に湯取り法地帯である。朝鮮の都市では炊干し法もあるが、この両地区は共々強い湯取り法地帯で、日本と非常に異っている」と言う。
ここで炊干し法とはわれわれになじみの深い、一定量の水と米を釜に入れ、水分がなくなるまで一挙に炊き上げる方法である。湯取り法には地域により若干のバラエティはあるが、その基本は多量の水と米を釜に入れ、ふきはじめると蓋を開け、おねばの水を捨てて、再び弱火の上で蒸すという炊き方である。炊干し法では、炊き上がる頃に釜底の水分が先になくなり、温度が上昇して香ばしい「おこげ」ができる。湯取り法には通常「おこげ」は付随しない。
現在の韓国では電気釜での炊飯は言うまでもなく、在来式のかまどで炊く場合でも炊干し法である。湯取り法は見たことも聞いたこともない。実を言えば、先の中尾さんの一文に出会って、「これはまずいそ」と心穏やかでないのである。私は今のいままで、十分な検討もせずに朝鮮半島は炊干し法と決めてかかっていた。本稿を書き出す前に、真っ先に手に取った『韓国民族文化大百科事典』(韓国精神文化研究院刊)の「スンニュン」の項目でも、やはり華北の湯取り法と対比して朝鮮と日本は炊干し法だということが前提されていた。ただし、炊干し法はいいとして、それはいつからなのか、あるいは若干なりとも湯取り法の併存が見られたのかについての記載はなかった。そこで中尾さんの本を開いて、先の記述に行き当たったのだった。ただ、中尾さんも朝鮮半島は湯取り法地帯だと断定しているが、時期は明示されておらず、また根拠も不明である。
2.朝鮮半島は炊干し法
そこでさらに数冊の文献を渉猟した。結論だけを言えば、やはり朝鮮半島は炊干し法地帯と言うべきである。そして嬉しいことに韓国の食品学・食文化研究の第一人者である李盛雨さんの本に次の記述を発見した。「中尾佐助はどこに根拠があるのかは知らないが、韓国では今世紀に入って除湯法(湯取り法―引用者)から普通の炊き方(炊干し法―引用者)に変化したと言う。韓国ではムギをいったん煮たのち、再び米と混ぜて麦飯を炊くが、この時のムギを煮る方法を見て除湯法と言ったのではないだろうか?」『韓国料理文化史』70ページ)と。
朝鮮半島では、どうやらコメの炊き方としては湯取り法は希薄なようだ。かといって、無いとまで断言はできないだろう。中尾さんが、華北と「隣接した朝鮮半島は」と連続性を示唆しているように、古来、朝鮮半島はアワ・キビ・ヒエ等の雑穀食の伝統が強い。稲栽培の全国展開が15・16世紀であることも考えれば、雑穀食の調理法が当初コメに応用された可能性も捨てきれない。この場合は、ムギの例のように「湯取り」があり得るだろう。中尾さんは、炊干し法を元来は粥を作っていたのが、かための粥となり、飯へと変転した「前期炊干し法」と、湯取り法から発生した「後期炊干し法」に区分している。日本は「前期炊干し法」だそうだ。この問題も含めて、専門家の結論を待ちたい。
3.かまどとオンドル
朝鮮半島と日本は飯の炊き方が炊干し法で、「おこげ」ができた。そして実は、日本にもスンニュンはあった。日本の『本朝食鑑』(1692)ではまさしくスンニュンを「食湯」と称し、「食後にこれを飲むことは古来の慣習である」と書かれている。とすれば、華中・華南にもあった(あるいはある)のではないか。それはともかく、日本ではその後「食湯」を飲む慣習は廃れ、庶民層まで飲茶が広まった。朝鮮半島では日本より古くから仏教伝来とともに上流階級に飲茶の習慣があったが、それは庶民層にまで浸透せず、李朝の仏教排斥とともに衰え、むしろ上下を問わずスンニュンが一般化した。この点について、前出の李盛雨さんは次のように述べている。
「わが国ではかまどの炊き口とオンドルが一体となっていて、釜は固定式だから釜を洗うのにとても骨が折れる。日本は可動式の釜で、水も豊富だからおこげをこそいだ釜はいつでもきれいに洗える。さらに飲茶の風習が普及して今更スンニュンのような飲料の必要性も感じない。われわれはおこげに水を注いで沸かしてスンニュンを飲むことができ、また固定式の釜を洗う方法にもなる。スンニュンをパガジ(ふくべで作った柄杓)でくみ出せば若干残った水分は余熱で蒸発する。」(『韓国食品文化史』262ページ)
伝統家屋のかまどとオンドルは図のようにつながっている。かまどのある台所(プオク)は土間で、オンドルのために一段低くなっている。かまどの煙(熱気)は床下を通って排気される。釜は炊き口のところに固定され、平底で浅い鋳物製である。もちろん移動も可能だがタライほどの大きさもあり骨が折れる。近年は田舎でも人口の都市流出で世帯員数が減り、この大釜はひっそりとほこりをかぶっている姿ばかり見かける。日常は電気釜を用い、秋夕(チュソク)等に家族・親族が集まった時くらいにしか使う機会はなくなった。ところで、オンドルの本格的な普及は高麗時代と言われるから、かまどや釜の形式もこの頃に定まったと思われ、だとすればスンニュンの起源も11・12世紀までは遡れることになる。
4.余録
石毛直道さんが黄慧性さんにインタビューする形式で作られた名著『韓国の食』のなかにスンニュンについての興味深い記述があるので以下に紹介したい。
―スンニュンはどうやってつくりますか?
鉄釜でご飯を炊くと、底が広いからおこげがたくさんできるんです。金持ちの家でも、いちばん下は何を置くかというと、ゆでた大麦を敷きます。その上にお米を入れて、静かに分量の水を入れて炊きます。
―なるほど、麦がおこげになったとき香りがよくなる。
または豆を水でふやかして釜底に敷きます。そうして炊きあがったご飯を取って、飯粒をこそぎ取ると、下に一枚こういうのができるでしょう。
―はい、おこげが。
民間ではそれを子どもたちがもらいたがるから、真鍮でできたしゃもじでこそぎ取ります。木のしゃもじではよく取れません。韓国のしゃもじというのは木の葉っぱのような形で柄がつ いています。台所でおこげを取って、大きいのが取れたら、子どもたちが喜んで持っていく。そこに今度はお水をパッと入れて。
―それは同じ釜の中で。
はい。それからしばらくわかします。それを別の器にうつしてちょっと軟らかくなったおこげを一匙か二匙すくって入れて、ちょっと茶色の…。
―むしろ麦茶に似たような。
麦と豆を焦がすと、香りも色もいいし、本当においしい味がするんです。スンニュンというのは、わいたお湯のことなんです。どんなお金持ちの家でも、釜の下は必ず麦を敷くんです。それに昔は、どんなお金持ちでも白米のご飯は、お祭りとかハレの日だけで、普段は雑穀をたくさんつかったものです。
(黄慧性・石毛直道『韓国の食』80~81ページ)