タブー、マナー、エチケット:東方礼儀之国

李妍淑(イ ヨンスク)

「(朝鮮の)男にとっての一番大切な人生目標は、自分が死んだ後、祭祀(チェサ)を行う息子を残すことである。また、息子は父親に絶対服従しなければならないことになっている」。これは、今から約百年前アメリカの宣教師で朝鮮語学者でもあったJ・S・ケイル(1866~1939)の書『コリアン・スケッチ(Korean Sketches)』に現われる一節である。

「男の一番大切な人生目標」は、百年たった今、人によってさまざまではあるが、男の児を産みたいという願望と、親と子の位階秩序の厳しさは、それほど変わっていない。韓国の礼儀の軸をなしているのも、まさに親と子の関係から始まる「長幼有序」の原則である。あらゆることばつかい、しぐさ、しきたりなどが、この縦の秩序によって決定されるのである。

たとえば、韓国で親、とくに父親の前でたばこを吸うのは無礼のきわみとして非難される。この鉄則は、親だけにかぎらず、目上の者、とくに恩師や上司など尊敬の念を表すべき年長者の前でも守らなければならない。これは、だいたい男の児のしつけとして教えられるが、女はこのきまりに従わなくてもいいというわけではない。むしろ、つい最近まで女がたばこを吸うなどは想像もできないことだったから、こうしたしつけを教えることなど論外だったからである。今は女性のなかでも、ずいぶん愛煙家が増えてきてはいるが。とはいえ、彼女たちにとって、たばこは嗜好品というよりも、まだ反抗の態度の表明という面がずっと強い。

お酒も基本的にはたばこと同様に、親や年長者の前では飲んではならない。しかし、目上の人に強くすすめられたときには、次のような要領で飲む。まず、両手で杯をもって、年長者が注いでくれるお酒を丁重におしいただき、体をちょっと後ろに向けて、目上の人にお酒を飲むところを直視されないようにして飲む。すなわち、年長者や親の前では、お酒を楽しんでいる様子を見せないための工夫であろう。つねに理性を保たねばならず、礼儀をくずしてはならないのだ。

目上の人に対することばつかいも、韓国の礼儀においてもっとも大切な項目である。このことをよりよく理解するために、韓国語における敬語のことに少し触れておこう。

敬語はそもそも、その社会のタブーとされていることを直接言わずに他のことばに言いかえたり、娩曲表現を用いたりするところから始まったといわれている。だから、敬語の使い方は文法の一問題というよりは、作法と礼儀に属する問題であろう。もともとあらゆる言語は、多かれ少なかれ敬語的な表現にかかわる規範をもっている。しかし、そのなかでも韓国語と日本語はもっとも厳格な敬語体系をもっているといわれる。この二つの言語はたがいに言語構造もたいへんよく似ていて、敬語の使い方にも共通点が多い。ところが、韓国語における敬語法には、日本語のそれと著しく異なったところがある。

まず、自分の両親や上司などの上位者のことをほかの人に話すとき、相手が話題になっている人物の上位者であっても敬語を使う。つまり、「私の両親」ではなく「私の御両親様」であり、「うちの社長」ではなく「うちの社長様」になるのだ。また、韓国語の敬語のなかで興味深いのは、上位者決めの最大の条件は年齢差であるということがある。だから、上位者のこどもには敬語や尊称は使わない。いくらえらい人の子供であっても、また重大な利益関係のある社長の子供であっても、敬語は使わないのが礼儀である。

韓国社会で、相手との距離を計測するのに年齢の差ほど重要な物差しはない。韓国人どうしのけんかの多くも、この年齢が原因だということも多い。その一方、けんかの現場でよくよく話を聞いてみると、結局、相互の年齢の確認をしあうことで和解してしまうことがよくある。そのたびに私はあらためて、なるほど韓国は「長幼有序」の社会だったのかと痛感するのである。

さてこんどは、親子の間でのことばの礼儀について述べてみよう。まず、子供は親、とくに父親の「お名前」を軽々しく口にしてはならない。もし、お見合いの席などで、相手から父親の名前を聞かれたとする。たとえば、父親の名前が「盧泰愚(ノテウ)」だとすれば、ちょっとかしこまった表情で、「()(ジャ)、「()(ジャ)、「()(ジャ)でございますと、ゆっくり答えなければならない。そして、すでに述べたように、自分自身の親に対しても最大級の敬語を使わなければならない。

ところが、親に対する最大級の敬意は、生前にではなく、死後に払う。つまり、J・S・ケイルが驚きをもって指摘した祭祀(チェサ)、すなわち死後の礼儀のことである。また、その祭祀をとりおこなう資格は、もっぱら息子だけに限られているので、男の児を残さないでは親は死ぬに死ねないわけである。

子供が親の死に臨む態度も、たいへん厳格である。つまり、親に死なれた子供たちは、それだけでたちまち罪人になるのだから。というのは、韓国語で「死ぬ」の敬語にあたる表現は「帰られてしまった」になるのであるが、それではなぜ親があの世に「帰って」しまったかといえば、子供たちの親孝行が足りなかったからだと解釈される。こうして、罪人になった子供たちは、少なくとも三年間は謹慎しなければならない。それは身なり、言動にはじまって、生活のあらゆる面に及ぶのだが、これを三年喪と呼ぶ。ところが、このような儀礼が、現代韓国社会の発展を妨げていると判断した韓国政府は、1973年に「家庭儀礼準則」という大統領令を公布し、三年喪を九十日間に短縮するよう奨励したが、まだまだ伝統的な三年喪にこだわる人も多い。

親が亡くなって三年たつと、忌日、つまり命日に祭祀をささげるが、祭祀のしきたりはきわめて細かくて厳しい。

まず、祭祀を行う時間は次のように定められている。すなわち、亡くなった日の子の刻(夜の十一時から午前一時までの時間)に始め、鶏が鳴く前に終わらせる。また、祭祀の準備をとり行う人は、心身ともに清めてからでないといけない。これを「沐浴齋戒(モクヨクチェケ)」という。もちろん、月経中の女性は遠ざけられる。

祭祀に供える飲食物や材料を祭需(チェス)というが、他の場合と違って、祭需を買うときはあまり値切ったりしないように心がけなければならない。

祭礼のときもっとも大事なことは、供え物の配列である。これは、長男夫婦なら必ず覚えなければならない義務のひとつである。家や地方によっていくつかのヴァリエーションはあるが、次に紹介する配列はだいたい全国共通である。

ただし、「魚」といっても、うろこのついていない魚、さばやあじ、たちうおなどは失格である。かなりの高級品とおもわれる魚だけが、亡くなった先祖のお好みである。このような細かい条件までがついている祭需の準備は、相当な経済的、心理的負担になる。また、祭祀は亡くなった両親だけではなく、自分を基準にして四代、つまり高祖父母(祖父の祖父母)までふくめて行わなければならない。こうしてみると、韓国の相続の基本が長男相続であることは当然なこととして理解される。

古くから韓国は、中国をはじめまわりの国々から「東方礼儀之国」と呼ばれてきた。今も韓国人はそのことをたいへん誇りに思い、小中学校の教科書にもきまり文句としてたびたび使われているくらいだ。

とくに李氏朝鮮時代(1392~1910)には、「礼」は「法」よりも優先されるというのが支配的イデオロギーであった。そして、礼儀はもっぱら男性だけが関るべきものと決まっていた。

一方、女性は社会的、政治的になんらの期待もかけられず、ひたすら子供、それも息子を産むこと、そして家の秩序を平穏に守ることだけが要求された。このような要求は「七去之悪」という戒めとして定められていた。つぎにそれを列挙する。

  1. 不事舅姑……舅と姑に不孝すること
  2. 無子……息子を産めないこと
  3. 淫佚…貞節を守らないこと
  4. 妬……嫉妬すること
  5. 悪疾……悪い遺伝病など子孫に悪い病気を残すこと
  6. 多言……口数が多すぎること
  7. 窃盗……他人の物を盗むこと

この「七悪」のなかでも、「無子」の罪ははなはだ重い。女はこの「悪」から逃れるために、あらゆる方法を総動員する。というのは、息子を産むことは、人間の努力だけでは限界があるから、あらゆる神々に頼み込むのはもちろん、およそ森羅万象の秩序に反しないように心がけなければならない。

そのなかでも、月はもっとも頼りになる。月には「精気」が充満していて、それを飲むと「吸月精」が体のなかに入り込んで男の児が授かると信じられていた。満月の夜、女たちは月に向かって大きく息を吸い込み、しばらくこらえてから、ゆっくりと息を吐き出すという呼吸法をおこなった。ところが、生意気なことに、犬も月の光をかじって生きのびると考えられていた。だから、息子が欲しい家では、一年のうちでもっとも精気がみなぎっている一月の満月の夜には、犬にはえさをやらない。

また、卵も男児を生むことと密接な関係があると思われている。大晦日に卵3個を男性の尿のなかにつけておいて、正月の朝にはそれを食べる。しかし、四月に食べる鶏の肉は、女性から出産の力を奪ってしまうと信じられている。韓国で、ときどき鼻の先が欠けている石仏を見つけることがある。これも「得男(トゥンナム)」願望と深い関係がある。石仏の鼻は、しばしば男根のシンボルとして考えられていて、その石仏の鼻の先を削ってきて、それを粉にして飲むと効能があると信じられていたからである。

何としても男の子を産みたいという切望は、女性たちを泥棒にまでさせてしまうことがある。韓国では、出産した家ではすぐに家の大門、産室、台所の入口などに禁索(しめなわ)を張る。これにはかならず左縒りの縄を用い、男の児が産まれると、唐辛子、炭、わらをはさみ、女の子の場合には、炭、紙、松葉、わらをはさむ。この禁索は二十一日間懸けておく。この間は、外の者の出入りは禁じられるし、産室から外にものを持ち出すことも禁じられる。

ところが、この禁索をこっそり盗み、約一週間ほど腰につけておくと、男の児を生む精気が体内に入ってくると信じられていた。盗むのは禁索ばかりではない。もっとも効力のあるのは、男の児をたくさん産んだ母親の血がついた下衣だそうだ。この下衣のことを??「ケジム」と呼ぶが、簡単にいうと月経帯のことである。この下衣を手に入れることは、並みの情熱や努力ではとてもできそうにない困難な大事業であることは、充分に想像できるだろう。

このような呪術的努力は、いまは都会ではほとんど見られなくなり、現代医学がそれにかわってきている。

いまでもたしかに韓国では、礼儀正しい人が高い評価を受けている。しかし、かつての「東方礼儀之国」も、しきたりがあまりにも厳しかっただけに、礼儀の核になるべきものが次第にくずれ、外の殻だけが細々と残っているような感じがする。いずれはその殻を破り、「新礼儀」を生み出す苦しみに立ち向かわなければならない日が来るだろう。

初出誌情報

李妍淑 1994「タブー、マナー、エチケット:1.東方礼儀之国」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第4号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.90-93.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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