飲料:日本(2)沖縄の茶

生田 滋

東アジア諸国における非アルコール飲料といえば、その筆頭は茶であるといってよい。そのことはさまざまな清涼飲料水、コーヒー、紅茶の普及した今日でも基本的には変わっていない。そうした状況は沖縄においても同様である。ここでは沖縄における茶の歴史を簡単に振り返ってみたい。

沖縄においても古くから茶の利用が行われていたと思われるが、そのことに関する文献史料はほとんどないといってよい。古いところでは1471年に李氏朝鮮の申叔舟が著した『海島諸国記』の琉球国語のリストのなかに「焼茶――茶わかせ」という単語が採録されている。もちろんそれ以前から茶の利用法が知られていたであろうことはいうまでもない。この時期茶葉はすべて中国から輸入されていたと思われる。

1534年に尚清王を国王に封ずるために中国から冊封使の陳侃が沖縄を訪れた。彼は帰国後『使琉球録』を著したが、そのなかで、旧暦八月の中秋節に円覚寺に遊んだ際に、茶の粉末に湯を注ぎ、竹の刷毛(茶筌であろう)でかき混ぜたものを飲んだが、その味が大変よかったということを記録している。これは日本の茶道の作法であるから、この時期にはすでに日本式の茶の利用法と茶道が沖縄にも伝えられていたことがわかる。おそらくこれを伝えたのは貿易事務を担当するために日本から来航した禅僧であろう。ただしこの時期の茶道は、利休以来現在に至る茶道とは異なるものである。

こののちおそらく16世紀の末ころまでに、茶葉に妙り米の粉末を加えてよくかきまぜ、泡立てたものを供するという利用法が日本から伝えられたらしい。日本では当時このように茶に妙り米の粉やむぎこがしなどを混ぜて利用する方法があったものと思われる。

日本文化の一部としての茶道の伝来にとって重要な事件は、1600年に泉州堺生まれの茶人喜安入道蕃元が沖縄に来住したことである。彼は利休の開いた茶道を沖縄に伝えたことで知られている。また彼ののこした『喜安日記』は1609年の島津藩の琉球征服の経過を知る上に重要な史料である。彼はその後尚寧王によって琉球中山王国王府の茶道頭に任じられ、人々に茶道を教えた。また彼は1619年には首里城内に茶室を建築するのを指揮監督した。

このようにして王府では日本文化の一部としての茶道が行われていたが、一般の人々は中国から輸入された茶葉を中国式の利用法で用いていたようである。日本茶は1627年に金武王子朝貞が薩摩から種子を持ち帰ってから栽培されるようになったが、あまり利用されなかった。沖縄は石灰岩地帯なので、水も硬水であり、日本茶には適さなかったのであろう。また琉球船が中国に赴く際には福州がその受け入れ港であり、福建省は中国でも第一の茶の産地であるから、中国茶が愛用されたのは当然のことであろう。

琉球に輸入された中国茶は半発酵茶である包種茶が主であったようである。福州には琉球中山王国の出先機関である琉球館があり、ここで必要な量が集荷された。種類としては最上級の清明茶(清明節に用いられるのでこの名がある)、並級の香片(ジャスミンなどで香りをつけたもの)、徳用の半山があった。このほか茶葉を固めた団茶も薬用として輸入された。

中国茶は輸入品であるから、それを利用できる者は限定されていた。最初は薬草を煎じて飲む習慣のなかに入り込んでいったものと考えられる。そのためか、さまざまな花を用いて茶に好みの香りをつけることも行われた。上に述べた妙り米の粉を混ぜて泡を立てる利用法はおそらく増量のためでもあったと思われるが、王府でも行われるようになり、冊封使に対しても供された。明治に入り、琉球中山王国が日本に併合されてから後、日本茶とならんで、中国系の茶の国産化、品種改良も試みられた。

現在の沖縄における茶の利用状況は観光客のおみやげ用の薬用茶(欝金茶など)もしくはその亜流、緑茶と呼ばれる日本茶系統の茶が多いが(これには玄米茶も含まれる)、それとならんで「さんぴん茶」[香片]と呼ばれる伝統的な製法によるもの、および台湾、中国産の同種の製品も売られている。ただしこれらはデパートではなく、スーパーなどに行かなければ見ることはできないし、しかも比較的安価である。このあたりが利用状況の実際を如実に示している。

また沖縄独特の利用法としてブクブクー茶と呼ばれるものがある。これは茶湯と妙り米を煮出した湯を混ぜ、茶筌でよくかき混ぜて泡立てるもので、太平洋戦争以前は那覇の中流以上の家庭でよく用いられた。この場合、硬水で「さんびん茶」を用いて作った茶湯が最もよく泡が立つということである。戦後一時廃絶していたが、最近になって聞き取りに基づいて復活させる努力がなされている。これは上に述べた妙り米の粉などを混ぜる利用法から発展したものとも考えられるが、分布状況と使用される茶葉の種類を考慮すると、あるいは中国から伝えられた茶の利用法の一つなのかもしれない。

初出誌情報

生田 滋1995「飲料:日本(2) 沖縄の茶」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第5号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.99-100.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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